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【患者さまの声】逆境を乗り越えて。ADHDと向き合う日々

今回お話しいただいたのは精神疾患と共に生きる野田雅也さん。
ADHDと精神疾患を抱える28歳男性です。

野田さんは、職場でのストレスやコロナによる休業を経験し、体調を崩したことがきっかけで精神疾患と診断されました。今は薬を毎日9錠飲まれていますが、少し前までは倍量飲まれていたそう。

障がいに対する周囲の理解が難しかった小学生時代。
特別支援クラスで過ごした中学生時代。
高校生になっても同級生からの心無い対応は続いていたといいます。

学生時代の想いや就職してからの苦悩、発達障害と精神疾患に向き合いつつ前向きに生きられるようになったきっかけなど、野田さんがマイナス思考から抜け出すことができた経緯までをお聞かせくださいました。

ADHDと精神疾患。ストレスとコロナで症状が悪化

―――疾患についてお聞かせいただけますか。

小学生の頃にADHDと診断されました。
5年生のころ、担任の先生が気づいてくれて児童相談所のようなところに行きました。そこで初めて「ADHD」という障がいを知ったんです。

それ以前にも、集中力がなかったり多動で座っていられなかったりすることはありましたが、当時は障がいについてはあまり理解できていませんでしたね。成長とともにだんだん症状もわかるようになって「自分がどうしてこんな障がいで生まれたのか」と考えるようになりました。母親にも「元気に産んであげられなくてごめんね」と言われたのを覚えています。

精神科を初めて受診したのは高校生の頃です。
高校時代も特別支援学校に通っていたんですが、そこの先生や周囲の人に精神科の受診を勧められたのがきっかけです。

でも、病院なんて気乗りしないし、自分自身では「普通に生活できている」と思っていたので、ちゃんと通院しませんでした。正直に言うと、初診のときも治療の必要性を理解できていないまま、母に連れられて行ったという感じです。
自分ではわかりませんでしたが、周囲から見たらなにか様子がおかしかったのだと思います。

―――学生時代に辛い思いをしたのですね

中学から高校時代は特別支援クラスに入っていたので、友人や周囲の人が助けてくれる環境でした。理解ある友人たちのおかげもあって、友達とのBBQや、映画に行ったりご飯を食べたりするのが楽しかったですね。
それでも一部の同級生から嫌がらせを受けたり、からかわれることは続いていましたし、毎日帰宅後に部屋に閉じこもって泣いていた時期もあります。楽しくもあり、つらさもあった学生時代でした。

―――就職してからは症状は変わりましたか

高校を卒業して空港の免税店へ物品搬送などをする会社に就職し、現在まで10年ほど働いています。

今から5−6年ほど前になりますが、一時期嫌がらせを経験しました。
勤め始めた頃は周囲の理解も得られた上で働いていたのですが、嫌がらせを受けた当時の上司からは終業後に毎日1時間ほど説教をされ、帰らせてもらえませんでした。

説教は、ADHDによる仕事の出来なさ、みたいなものが人格否定に繋がっている感じで「仕事ができない」ということをひたすらバーっと言われるという状況でした。

家族には心配かけたくなくて相談できませんでした。
職場の同僚に相談しようと思っても、同僚の前でも声を荒げるような状況だったので、結局誰にも相談できませんでしたね。
振り返っても、当時が一番つらかった。
帰りの電車では自然に涙が出てきて泣きながら帰っていましたし、毎日出勤するのが本当に苦痛でした。

現在は同じ会社内で部署異動ができて、落ち着いて仕事をさせてもらっています。周りの方にもご協力いただいているのを感じますし、皆のお陰で仕事ができているという感じで、ありがたいですね。

―――入院されたのは何がきっかけでしたか

2022年の6月から8月にかけて入院していたのですが、原因はストレスだったと思います。

コロナのために渡航が制限された時期に空港の仕事が無くなり、出勤したと思ったら1−2周間休みになってしまうこともしょっちゅうでした。それまでにも仕事上のストレスが積み重なっていたと思いますが、家にいても何もすることが無く、だんだん気分が落ち込んでいき体調を崩してしまったんです。そこで医師から勧められて精神科に入院することになりました。

入院中は、母の言葉に助けられましたね。
「また元気に帰っておいで」とか「いつでも味方だから」とか、一つひとつの言葉がとてもありがたかったです。普段の母は厳しい人なのですが、当時は本当に心の支えになってくれた。感謝しかありません。今でも家族は仲が良いですね。

症状のコントロールに欠かせない「薬」

―――現在飲んでいるお薬について教えてください

現在は、精神科の薬と、ADHD、高血圧、咳止め、コレステロールを抑える薬など、合計で1日9錠ほどを内服しています。自分でも少し多いかなと思いますが、前の精神科に通っていた頃と比べたら、これでも半分くらいに減ったんですよ。症状も今は落ち着いている感じです。

―――薬の管理で大変に感じることはありますか

時々薬を飲み忘れてしまうことがあります。
錠数は多いですが、食事の時に予め食卓に出しておいたり、母にも協力してもらったりしながら忘れないように気をつけています。

お薬手帳はあまり活用していないですね。
薬局で手帳を出して、薬と一緒に受け取ったら基本的にしまい込んでしまいシールを貼るなどの管理はできていないです。harmoのようにアプリで常に携帯できたら便利ですね。

薬については少し多めにもらっておき途切れないようにしていますが、「不測の事態に備えて」ということはあまり考えたことがありませんでしたね。

「何事もポジティブに」前向きに考えて生きる

―――野田さんにとって「疾患とともに生きる」とは

以前は、疾患に対してとてもマイナスに考えていましたが、今では前向きに捉えようという思考に変わりました。きっかけは好きなアーティストの一言です。

高校生の頃から湘南乃風のファンなんですが、そのメンバーの一人が「何事もポジティブに捉えることですごく嫌なことでも薄れるよ」と言っていたんです。たまたまそれを聴いて、そこからは「どんな出来事もポジティブに」考えながら生きていこうと思えるようになりました。

小さな出来事かもしれませんが、自分にとってはマイナス思考だったものがプラスに変わった瞬間です。

ADHDや精神疾患など状況を大きく変えることは難しいですが、たとえ嫌なことがあったとしても「こんなふうに考えたらうまくできるかも知れない」と少しだけ前向きに捉えるように心がけています。

―――今の生きがいはどんなことですか

生きがいは、ライブや野球観戦に行くことです。
好きなアーティストが20周年の節目の年だったこともあって、少し遠くの会場まで足を伸ばしてライブを楽しみましたし、野球観戦のために遠出もしました。2023年は特にアクティブに動けた1年でしたね。

僕にとって「生きること」は、皆が元気に過ごせるように「今自分ができることをする」ことですね。皆の手助けのおかげで今の僕があるし、元気で頑張れています。だから、家族をはじめとした自分の周りの人達が、明るく元気に過ごしてもらえたらそれで十分です。


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