見出し画像

目に見えない親孝行

こんにちは、まどかです。
年末にかけて仕事が落ち着いて、比較的のんびり午後を過ごせています。
暖かいお茶とちょっとしたお菓子が欲しいですね。
それと、乾燥するので目薬も‥

こんなこと言っていたらご隠居さんみたい?
縁側で茶しばきたいとか言ってないだけマシかな。笑

さて冗談はこのくらいにして、親孝行ってなんだろうって話ですね。
これは、私がいろんな人と接してきて思ったことです。

以前noteに書いたように、私は親のことをずっと好きな状態でいられたわけではありません。
紆余曲折を経て、母も私も変わったからこそ今の関係があると思っています。
こんなに強調して書くと今も確執があるような感じですが、誤解なきよう…(笑)
互いにイラつくことはありますが、それはもう家族の小競り合いレベルです。

子どもから見た親孝行

  • 美味しいものを食べに連れて行く

  • 一緒に旅行に行く

  • 金銭的な援助をして親を楽にさせてあげる

  • しっかりと老後の面倒を見てあげる

勝手にこんな感じかなと思います。
(現状は親の脛を齧らせてもらっているので、まだほとんど達成できていません‥)

物とかお金とか物質的な豊かさを親に贈るというような感覚でしたが

目線を変えたら全く違うものになるのだと感じたことがありました。

親から見た親孝行

昔から知り合いのパワフルな先生がいます。
私の母よりも少し年上ですが、あちこちへ車で出かけて人と交流するのが好きな、大変アクティブで、会うとエネルギーすご。って感じる方です。

母と私と、3人でお茶していた時に
その方が何気なく仰られたことだったのですが、

私も昔はもっと勢いがあって、子どもたちにとっては本当にキツい母親だったと思うの。厳しく育てすぎたなと思ったことは何度もある。
歳をとるにつれて本当に悪かったな、嫌な思いをさせたなって思う。

息子に、「あんた、迷惑いっぱいかけて本当にごめんね」って言ったの。
そうしたら息子は「親に迷惑をかけてない子どもはいない」って言ってくれたのね、

ああ、この子はもう立派な大人になったんだ。
そう思って、本当になんだか許されたような、肩の荷がおりた気がしたのよ。
だから〇〇(私の母)さんも、まどかさんは優しいから、許してもらいましょう。ね。

なんだか、なるほどな。って思ったお話でした。

親孝行とはなんなのか

親も人間だから、必ずしも完璧じゃない。

母とぶつかっていた頃にずっと疑問に思っていました。

なんでいつも母ばかりが正しくて、自分は否定されるんだ?
親は間違えもせず常に完璧で、子は親の言うことを全て聞くのが当たり前なのか?

親が完璧じゃないと気づけたのは、親元を離れて一人になってからでした。
親子という、特別な距離だからこそ気付けない。

物理的に離れるということは、私に完全に一人で考える時間と、親というフィルターを通さずに親を一人の人間として見る機会を与えてくれました。

そしてそれは親も同じなのでしょうね。


自分が産んで、ずっと見ておかないと死んでしまうのではないかと思うような小さな存在から、
段々と大きくなって成長して…
家を出るまでになって、気づいたら家に自分一人になって。

自分の手から離れた私を見たとき、
きっと誇らしくもありながらも、
私が何か問題に直面したり、昔の話をするたびに
うちの母の場合は後悔ややるせなさを感じることが多かったのだと思います。

先生もきっとそれをどこかでわかっておられた。

親孝行は親のことを考えて行動すること

自分の成長で精いっぱいだった子どもが
家を出て、社会に出て、いろんな人と出会って、価値観を交換しあって

そのうえで改めて親をみること、考えること。
家を出ると親のありがたさがわかるとは、まさにこのことなのではないでしょうか。

(私の場合は、家出てもひとりでやっていけてるし!ほらみて見ろ!みたいな気持ちでいっぱいでしたが…。(笑))

親孝行とは、単にモノを上げたり旅行にいくといったそんな単純なものじゃなくて

親が子を思ってやってくれたこと、してもらったことを振り返ること。それに対して、自分の思いに素直になること。

私はそれが本当の親孝行だと思いました。
親を親という枠から外してあげるというか、表現が難しいですが…。

あなたの立場を分かる人間に、私は成長したのだということ。
かつて自分のことで精いっぱいだった自分ではなく、広い視野をもつことができたんだよと親に示すこと。
そして、親がどんな気持ちなのか、どういう風に考えているのかを汲んで、それが行動に移せたら100点満点ではないでしょうか。

単純に、自分の自己満で親を旅行に連れて行ったり、プレゼントをすることじゃないんだろうなという感じがします。
エゴになってしまうから。
これまた、気づくのも難しいことだと思いますが。
だって、善意だからね。

一方で、親のせいでマイナスで最悪な状況に陥っている人もたくさんいるでしょう。
世の中綺麗な物語ばかりではありません。
それでもいつか、落ち着いて自分なりの幸せをつかんだときに、親の存在をなかったことにしないで振り返る事ができれば…。


それはもう立派な親孝行だと思いませんか。


いつか私も親になりたいと夢見ています。
自分がいてほしかった親になりたい。
親という存在が、子どもにとってなんの負担にもならないような、明るい親になりたいと思っています。


この親孝行が本当に私にとって後悔のない親孝行なのか、大事な人たちと年を重ねながら確かめていきたいです。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?