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愛されたいのは本心か?
こんばんは、まどかです。
今日は新月ですね~🌚、そのせいか怠惰なのか、今日はすこぶるやる気がありません。でもなんとなく生産性がなさすぎる日になるのが嫌。
どうも、わがまま娘です。
今日は、愛されたいって散々ぼやいてた昔の自分と少し向き合いたいと思います。どうぞ、ご興味のある方はぜひお付き合いください。
愛されたい!!
私は愛されたいと常に思っていました。
高校生の時に初めて彼氏ができたとき、その人は自分にとって初めて本気で好きになった相手でした。まさか付き合えることになるとは夢にも思わず、本当に嬉しかったのを覚えています。
そのお相手はなんというか、少しキザなお方でしたのできゅんとするような愛情表現を沢山してくれました。…懐かしいなあ。
高校生ですし、クラスで毎日顔を合わせるわけですから、さみしいと思う感情を知らないままにその恋は終わりました。
時は流れて大学生となり、またもや彼氏ができました。
穏やかな彼とのお付き合いは喧嘩もなく、5年ほどお付き合いをしたのですが、友人からは常に安定していて熟年夫婦のようだとよく言われたものです。
ですが内情は、寡黙で冷静な性格も手伝ってあまり愛情表現をされない方だったため、寂しさを感じましたし、私は愛されているのだろうかと悶々と悩むことがたくさんありました。
インスタで愛されて幸せそうな誰かをみては、
羨ましいな、私もあんな風に大切にされたい。
愛してるって言われてみたい。
幸せになりたい。
そんなことを思ってしまっていました。
いやいや彼なりに愛してくれているのだから、そんなことを思っては贅沢だ。彼の自由や思いも尊重しないと。
いやでも私の心をギセイにしてもいいのか…
愛されたいよぅ。
そんなことを思っては、ダメなんだろうか?
愛されたい?
では、現在の私はどうなっているかというと、念願の本気で愛してくれる人が現れました。
根拠は、彼からのプロポーズを受けたからです。これは間違いなく本気。
当然幸せハッピー!!浮かれまくってます!
…って感じでもありません。
だからこそ、こんなこと書いてるわけなんですけれどもね。
なんというか、大好きな人から一生一緒に生きていこうね、なんて言われたら嬉しさ満開なのが当たり前だと思うんですよね。
もちろんウキウキもしましたし、はー幸せ。って思うんですけど、
なんか疑ってる自分がいるんですよね。
心の隅っこで物陰から不安そうにこっちをみて、ホントかな。って言ってる子がいる。
浮気するなんて微塵も思えないし、一途なのは伝わってくる。
それなのに、どうしてそんなことを思うんだろう?
どうして幸せ満開じゃないんだろう?
あれだけ愛されたいって願ってたのに、どうして疑ってしまうの?
受け止めるのって怖い。
事実を事実だと認めることは結構大変です。
それが自分にとってつらい現実であればあるほど。
今の彼はなんというか、私の痛いところを確実についてくるんですよね。
私のずるい部分、汚い部分、見せたくないみっともない幼稚な姿。
今回もまさにそうでした。気付いてしまった。
愛を受け止めるのが怖かったから、自分にないものだと決めつけていた。
羨むことで自分は愛されていないんだという状態を作り出し、
妄想に夢をみていたんだ。
トラウマ解放タイム
どうして疑ってしまうのか。
はい、心当たりが大いにありまーーす。
でもこれに気付いたとき、手放せるんだ…!って思えたので、その日は近い。懺悔していきます。
簡単かつ簡潔に言うと、愛されているのかを疑って生きてきたからです。
例えば。
最も自分を大切に愛してくれている人を思い浮かべて下さい。
その人とすれ違ってしまって喧嘩したとしましょう。
貴方は自分の意見や考えを尊重してほしいと訴えました。
そして互いに涙を流してごめんね、これからはもっと気を付けるね。と言い、和解したとします。
ですがしばらくすると、和解したと思った相手が急にいきり立って、
この間は好き勝手言いやがって!お前は私を悪者にした!と言うのです。
挙句の果てには自分の悪いところを棚に上げて、こちらが全て悪いかのようにまた怒りはじめます。
え??あの時のあの和解はなんだったの?
(困惑)
誠意を込めて伝えたのに。勇気を振り絞って伝えたのに。
伝わったと思ったし、それで互いに謝ったのに。
それを思いっきり踏みにじられた。
あの時、通じた!わかってもらえた!と思ったのは私だけだったのか。
今日まで、ずっと腹に私への怒りを溜めて生きてきたのか。
…そんなこというなら、あの時その場で言ってよ。
そっちが本心なんだね。
その場しのぎで受け止められただけだったんだね。
そう思った時、正直かなり応えました。本当につらかった。
それ以来、本気で人を信用したことはありませんし、むりやり本音をいうと涙がでるようになってしまいました。
相手に余裕がなかったんだよ。なんて考える余裕は私にもありませんでした。なんなら私は子どもでしたから、大人を相手にそんな気遣いはできませんし、考えもしませんでした。
時に言葉は刃ですよ、本当にね。
本心なんてわからないから、言葉通りに受け止められない。
今は愛してくれているようでも、後々手のひらを返されるかもしれない。
そんな風に心の奥底で思う人間が、真に愛されたいと望むと思いますか?
愛されていると認めるということは、疑いを捨てるということ。
つまり、自分が傷ついてしまうかもしれないという覚悟をもって相手を信用しないといけないということ。
いやー、未だに怖いよ。正直ね。
キミに決めた!
彼になら裏切られてもいい。とは思えません。
私もまだまだ未熟者ですし、きっと耐えられない。
でも、どこかでそれはありえないと感じてる。
私と別れても本気で幸せになれるというなら、それが貴方にとっての真の幸せだというなら、裏切りだろうと何だろうとどうぞやってください。
って感じ。それくらい、彼にとって私の存在は大きいと日々伝えてくれる。
この人なら、信じてついていってもいいかもしれないと思えた。
まだ少し、疑いたい気持ちが顔を出してくるとは思うけれど、
私を傷つけるようなことはしない。
馬鹿にしたりすることもない。
蔑ろにすることもない。
すれ違うたびに、そう信じさせてくれる。
貴方という拠り所があるから、自分の腕をもっと広げることができる。
今の私は、貴方の愛をうけとめることができる。
そして、私も愛していきたい。
これが、今の私の本心だと言えることが本当に幸せです。
わがまま娘から、少しはレディに昇格したいものですね。
まだまだ、がんばりたいと思います。
それでは。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
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