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【連載小説〜うお座がみた福祉】 第三話 節分(中編)

第三話 節分(中編)

 久之助が「ちょっと変わってる」と言われたのは、出勤時の服装だけが理由でなかった。

 経済学科卒の久之助に何とか福祉業界のご縁ができたのには経緯がある。福祉の勉強を全くしていなかったため、気合だけで就職先を探そうとするのを見かねた同じ大学の先輩が保健室の教員を紹介してくれた。福祉関係の進路について相談に乗ってくれるだろうということだった。1991年4月に同級生は皆、名だたる企業に勤め始めたが、久之助はようやく就職に向けて福祉の勉強を始めたというのだから話にならない。アルバイトをしながら社会福祉協議会が開講した社会福祉主事資格を取得するための講座を受け始めた。

 「社会福祉主事」は任用資格で、例えば福祉事務所に勤めることになれば、社会福祉主事を名乗って職務を行うことができるというものだ。その資格があるからといって、それだけでどうなるものでもない。また、3科目主事といって大学で特定の教科を3科目履修した者は社会福祉主事任用資格を得た者となるため、大学で経済学、社会学、心理学、社会保障論ほかを学んだ久之助はわざわざ講座を受けずとも該当するのだった。それでも、福祉の「ふ」の字もわかっていない久之助が今更ながら少しでも知識や情報を得ておこうと考えたのも無理はない。春から受講し始め、10月には修了したが、その際に受講生を引率してくれた社会福祉協議会の職員が久之助の恩人となった。

 社会福祉主事の講座の受講生は、すでに施設に勤めている人ばかりだった。好景気に大学を卒業したのに就職浪人をしている久之助が奇異にみられても当然だろう。何をしに来ているのだろう、という雰囲気だった。熱心ではあるが、少しズレた視点から臆面もなく発言する久之助をちょっと面白いかもしれない奴と掬い上げてくれたのは、社会福祉協議会の梅川剛士だった。
 講座が終盤となった頃、梅川は久之助を別室に呼んだ。何か修了するのに問題があったのだろうか、不安が横切ったが、そうではなかった。
「お前、どうするつもりや?」
「は?いや、いい勉強させてもらいました。これからどうしようか考えます。」
「考える?就職はどうする?どこかあてはあるんか?」
 問い詰められると、先行きの不安が露わになる。
「あてはないですけど、まあ、何とか・・」苦し紛れにその場を誤魔化してみたがどうにもならない。
「お前、本当に福祉の仕事できるんか?人の尻に指突っ込んで、ウンコかきだしたり、お前はできるんか?」
 ほんの一瞬、返答に間ができた。介護の仕事は想像はできたし、やる気があれば問題ない、と思っていたが、頭で考える時間がかかったことに久之助は引っかかった。ともかく、もちろんできると答えた(摘便は介護職が行ってはいけないことで、看護師が担うが、梅川は自身の母親の介護のことを引き合いに出して問いかけていた)。
「ふん・・、ほんまか?ま、ええわ。とにかく、考えるんやなくて行動せえ。ちょっとこい。」そう言って、認可がおりたばかりという福祉人材センターに連れて行かれた。建物の一番端の縦長の小さな一室がそれであり、奥のデスクにメガネをかけ白髪混じりの所長が座っていた。梅川はその所長に久之助を紹介し、相談に乗ってやってくれと依頼した。
 おじいちゃん子だった久之助は高齢者福祉の仕事を探そうとしたが、福祉人材センター所長の外山春男によるとあまり求人がないとのことだった。仕方なく障害者施設の求人情報を紹介してもらい採用面接を受けることになった。

 郊外の街道沿いの脇道から山の中に向けて坂を登り、鬱蒼とした森を抜けるとポッカリ開けた敷地があった。年季を感じさせる建物が紹介された障害者施設だった。事務長の江川文雄が計算機を手に、大学を卒業した人なのだからとそれなりの初任給を示しながら是非働きに来ないかと誘ってくれた。他に働くあてのない久之助は内心嬉しかったが、全く馴染みのない障害福祉の分野で自分が働くイメージが持てなかった。江川には正直にその気持ちを伝え、返事は後日ということにした。

 翌日、福祉人材センターに紹介してくた梅川に礼を言うため電話をしたが、「お前、何しとんねん!!」という梅川の剣幕に久之助は驚いた。
「高齢者福祉言うとったん違うんか?!アホかお前は。自分がやりたいこときちんとやらんか!求人がない?はあ?自分で探せ!調べて電話をかけまくれ!履歴書を送りまくったらええ!」とまくし立てた。
 当時、福祉専門大学卒は別として、一般大学からの就職先として特別養護老人ホームなどの高齢者施設は一般的ではなかった。社会福祉法人として毎年新卒を定期採用するところも少なかったように思うし、就職活動の対象として世間的にもメジャーではなかった。今のようにスーツを着て、複数の施設や事業所に面接を受けにいく、といったことは想像もできない時代だった。そんな中、幸いにも福祉人材センターの所長に相談できたのだから、それで高齢者施設の求人がないと言われたのなら仕方がないと久之助は諦めかけていたのだ。
「とにかく履歴書を何通も書いておけ!やれるだけやってみろ。」と電話は切れた。梅川は怖かった。

 翌日、久之助は梅川に言われた通り、午前中いっぱいをかけて履歴書を手書きで3通ほど書き上げた。
「さて、どうするか。」
 大学卒業後も両親は仕送りを続けてくれたため、せめてもと思い、家賃の安いアパートに引っ越していた。そんな両親に対して感謝より情けなさを感じるのがまた自己中心的に思え、定期的に落ち込んだ。履歴書を書き上げたものの送り先がわからない久之助の部屋に、1月の寒さの中、静かに陽の光が差し込んでいた。

 滅多にかかってこない電話が鳴った。
「履歴書、書いたか?」梅川だった。
「わしはあまり好きな奴やないけど、やり手やし、しっかりした施設長がおる。お前が住んでるところの近くに施設がある。光永園や。お前に挑戦する気があるんやったら、履歴書を送って、自分で電話をかけて面接を受けてこい。ええな?」
 部屋に差し込む陽の光が虹色に見えた。
 気力が蘇ってきた久之助は、早速履歴書を郵送しようと思ったが、写真を撮り忘れていた。切手がないことにも気がついた。パンと牛乳だけの昼食を済ませてから、鼻歌を歌いながら出かけた。
 午後3時頃、帰宅して履歴書に証明写真を貼り付け、封筒に入れた。
「よし、OK。ポストはどこだっけ。あとはやってみるだけ。ま、明日にしようかな。」そう呟いた瞬間、また珍しく電話が鳴った。
「もしもし、吉備さんですか?光永園の施設長で上角と言います。ちょっと聞いたんですが、もしよかったら一度会いませんか?」
 驚いて一瞬事態が理解できなかったが、チャンスは逃せなかった。
「お願いします!」即答して日時を約束し、電話を切った。明日は予定があるとのことで、明後日の午後1時半に施設に行くことになった。

 1992年1月24日金曜日、晴れ。
 根拠のない自信や志を大義名分にして議論をし、相手の真意を一方的に確かめようとする態度は、若さゆえで済まされず、後々猛省することになる久之助だったが、その悪い癖が出てしまった。採用面接であるはずが、「本当に良い施設なのか、施設長とはどのような人物か、おかしいと感じるところがあればこちらから願い下げだ。一度会いましょうと言われたのだから、とにかく会って色々話を聞いてみたらいいんだ。」何を血迷ったか、この期に及んでまだ就職浪人ともなりかねないようなことを考えていた。馬鹿である。
 ベージュのチノパンに一応白のシャツだがノーネクタイといったカジュアルな格好で親から借りていたトヨタのスターレットに乗り込み、光永園に向かっていた。



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