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【連載小説〜うお座がみた福祉】 第二話 節分(前編)


第二話 節分(前編)

 大学を卒業した翌年の1992年、ようやく特別養護老人ホームに就職できた久之助の初出勤は2月1日だった。

 土曜日、迎えてくれた生活指導員(現在は生活相談員という)の山口優介は、ロングコートの下はジャージにトレーナーという久之助の姿を見て呆れた後、マンツーマンでオリエンテーションを開始した。廊下の突き当たりにある二つの和室のうち、小さい方の四畳半の和室でちゃぶ台を挟んで向かい合って座った。山口は倫理や行動規範の話から始めたが、途中、質問したり、口を挟む久之助に、とにかくまずは黙って聞け、とため息をついた。自分の好奇心を抑えられず、口を開きたくなる久之助は、福祉業界では大事にされている傾聴や受容といった姿勢に欠けており、後々の苦労が始まることになる。
 午前中のオリエンテーションを終え、事務所で入職書類の説明を受けた後、初めて施設の食事を食べた。メニューは運良く、うな丼だった。ご飯は自分で装い、大きな鍋に入った大量のタレもかけ放題。元板前の職員2名とパートのおばさんたちが作る料理は評判が良かった。ご飯をおかわりし、2杯目はタレだけで嬉しそうにかきこむ久之助を上司や他の職員は呆れながら見守っていた。呆れられることが続いていた。

 昼休憩の後、山口に連れられ現場に案内された。
「藤山さん、新しい職員、吉備さんです。今日からよろしくお願いします。」
「吉備です。よろしくお願いします。」
 寮母室(当時は詰所、ナースステーションのような場所はそう呼ばれていた)で記録中だった寮母長の藤山安子はメガネを外して、優しく笑いながら応じた。寮母とは今でいう介護職員・ケアワーカーのこと、寮母長はその長なので、介護主任やケアリーダーといったところだ。
「ああ、言ってた人ね。藤山です。こちらこそよろしくお願いします。」
「こいつ、ちょっと変わってるから、気をつけて見ておいてください。」そう付け加えて、山口はすぐに退室しようとした。部屋を出る直前、
「ちゃんと藤山さんの言うこと聞けよ。勝手なことしないように。」と久之助に釘を刺した。

 勤務初日の午後は藤山さんの後を追いかけて業務を見てまわるだけで終わった。日勤は9時始まりの18時終わり。着替える必要のない久之助はそのままロングコートを羽織り、事務所にいる山口に挨拶して玄関を出ようとした。ちゃんと自分のロッカーや着替える場所があることを知った久之助は、次は私服で出勤しようと思った。その後ろ姿に向かって、
「明後日はその変質者みたいな格好やめとけよ。」と山口が笑った。やっぱり、そう思われていた。

 日曜日の2月2日は公休日となり、翌日3日節分の日はあいにく雨の中の出勤となった。ジーパンにトレーナー、上着はロングコートで出勤した。青色のジャージに着替えた後、朝礼から2日目の仕事が始まった。
 しかし、上司の山口の指示でとにかく一際手は出せず、先輩職員の後ろを追いかけてそばで見ているだけの一日。介護は全く初めてのため、用心されているのだろうと思っていたが、どうやら新任職員はそのような方針らしかった。1ヶ月目は先輩について見ているだけ、2ヶ月目は先輩を手伝いながら一緒に業務を行う。3ヶ月目にようやく一人で業務を行うが先輩に見ておいてもらう、その後ようやく独り立ち、といった流れだ。福祉や介護の専門教育を必ずしも受けていない人が入職している当時の状況のせいかもしれない。まる一日先輩の後ろを追いかけ、見ているだけというのは結構辛い。山口はその業務を「金魚のふん」と呼んでいたが、まさにその通りだと久之助は感じていた。仕事となれば頑張って自分からしんどいこともやっていこうと考えるタイプではあったため、いかにも今の境遇がやるせなかった。客観的に見れば、知識も乏しく、経験もない久之助は、まずはしっかり人のすることを見て学んでいく必要があるのだが、それを飛ばして考えてしまうのが、久之助の良くないところであった。

 昼食の時間になった。食事介助の時間だが、寮母さん達は真剣な表情だ。まるで何かの試合が始まる前の緊張感が漂う。態度や振る舞いからどう見てもベテランで大奥な感じの寮母、国士百合さんに尋ねてみた。今日は節分で献立は巻き寿司。海苔で巻いた寿司は、喉に詰めやすく、毎年一人は喉に詰まりそうになって大変だから、未然に事故を防ぐために構えているのだという。命懸けの巻き寿司か、久之助は臨場感に少し興奮を覚えた。
 美味しいでしょう?楽しいね!そんな時間に喉に寿司を詰まらせて苦しい目に遭う人がいるのなら、あらかじめそうならないように気合を入れて見守る、という業務にモチベーションが上がった。幸い、みんな美味しそうに寿司を頬張り、今年はよかったねえ、という寮母さんの声を聞きながら昼食介助の時間は終わった。掃除機の出番もなかった。

 午後になり、また見ているだけかと嘆息する久之助の性格をおそらく採用面接時から見抜いていたのだろう。施設長が突然、寮母室に現れた。
 身長180cmを超える大きな男が女性ばかりの寮母室に突然現れる瞬間は節分にふさわしいように見えた。
「おい、吉備。仕事や。豆まきをしろ。」施設長の後ろには女の子が一人。
「豆はこれ。枡はこれ。華(はな)、こいつと一緒に豆まきをしてくれるか。」
 どうやら施設長の娘のようだ。こんにちわと挨拶するが、微妙な表情をしたまま黙っている。
「変なやつやけど、ええやつや。華、頼むで。」と久之助を華に紹介した後、施設長は寮母室を出て行った。
 他の職員は知らぬ顔。久之助は華に声をかけ、早速枡に豆を入れた後、言われた通り居室を回って豆まきをすることにした。

 光永園は100床の施設。4人部屋と2人部屋、個室もあるが多くは4人部屋だ(現在、そのような施設を従来型という。昔からあったということだ。介護保険が始まってからは個室が中心になってきている)。3階建てで、2階に寝たきりなど重度で手厚い介護が必要な人のために50床、3階はおおよそ自分のことは自分でできる人のために50床。ただし、うち11床は認知症の人で、棟の西の端の一角に4人部屋2室、2人部屋1室、個室1室があった。

「じゃ、行こか。」浮かぬ表情の小学3年生の華を連れて、久之助は枡を手に、居室をまわり始めた。
 一室訪ねる度に、
「失礼しま〜す。今日は節分だから、豆まきしますね〜。」と断ってから、
「鬼は〜外〜、福は〜うち〜。」と大きな声を張り上げ、掃除に困らない程度の豆を打ち放った後、床に散らばった邪魔になりそうな豆を部屋の隅に押しやり、次の部屋へ移っていく、ということを繰り返した。
 慣例に基づいてやったのだが、後に久之助が古武術を習うことになった播磨陰陽師は「鬼はうち、福はうち」と唱えるのだという。
 実際に唱えて豆まきをする久之助を「アホみたい」と少しだけ口角を上げて言いながら、華は最後までつきあってくれた。豆をまきながら、一室一室、一人ひとりの顔を見て声をかけた久之助は、その表情、布団をかぶっている全身の姿、反応を見て、いろいろな人生があるのだな・・・と胸の端に小石が積み上げられていくような感覚を覚えていた。
 しかし、いくら自分が担当する業務を与えてくれたとはいえ、「いきなり知らない人がやってきて節分だから豆をまく、とか言って、なんやねんお前、とか思われたやろな。わけわからん。これやれいうて、施設長もどないやねん」と心の中で呟いていた。
 勤務終了後、帰宅してから久之助は、本当に豆まきしなくてもよかったのだろうか、あれは雰囲気を入居者に伝えればよかっただけなのだろうか、などと思い起こしながら、言われた通り豆まきをした自分に赤面しながら床についた。

 これから、寝つきが悪かったり、夢にうなされる日々が始まるのだった。

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