「地域再生の条件」、地域再生に必要な要素
きっかけ:引っ越し先で地域再生に携わりたいため
読んだ日:2021年5月
オススメ:豊富な事例を基に、国の施策や方針によらない地域再生のあり方を進める本です。
学べる事:地域再生にかかる豊富な事例・国の施策
■はじめに
少子高齢化が進んで過疎化がいっそう深化しているところ、地域産業が衰退しているところ、雇用が悪化しているところなど地域の現状は深刻。都市においても、疲弊する一方の地域と発展する地域との格差が年々歴然としてきています。この状況には、地域の行政もお手上げとなっています。小泉純一郎内閣の財政赤字削減を優先するいわゆる構造改革により、国全体の公共事業は五年間で20%強減り、もはや公共事業で地域を活性化しようというあても雲散霧消しつつあります。さらに2006年度の地方交付税は2000年度の四分の三に減っています。地方分権を進め、地域の自立をめざすはずであった「三位一体改革」でも、地方に対する補助金や交付金が減り、税源は減り、自治体は手も足も出ない状況です。
「平成の大合併」によって市町村域が広がり、むしろ行政の目の届きにくくなった地域がふえてきています。2005年の通常国会で地域再生法が成立し、これより前の2004年3月には都市再生特別措置法が改正され、まちづくり交付金制度が創設されています。政府は2002年4月に都市再生本部において「全国都市再生のための緊急措置-稚内から石垣まで」なる推進策を決定しています。まちづくり交付金制度は、その一環として自治体のまちづくり施策に交付金を出すというものです。2005年度予算では、1330億円が計348地区に支出(つまり一地区あたり3.5億円)されています。
果たして、これらの法制度や政策により衰退した地域がよみがえることができるのでしょうか。無理かもしれません。なぜなら、法制度や政策の対象が、従来の公共事業と変わらない物的な事業とされているからです。たとえば、地域再生法の特例措置の対象は道路、農道、林道、下水道、漁港施設などとなっています。これらの整備に特例をみとめることが地域再生につながるでしょうか。こうした政策には、まず地域を再生するためのコンセプト(全体を貫く基本的な視点や考え方)が見られません。どうしたら人々が自立した暮らしを営める地域となりうるのかが、そのコンセプトでなければならないのはいうまでもありません。しかし、そのコンセプトは、ある前提があってはじめて成立するものです。それは地域が衰退、荒廃するにいたったのはなぜかという問題について、過去の地域政策、あるいは地域自らが展開してきた政策から教訓を学ぶことです。逆に言えば、なぜ地域を活性化できなかったのか、その理由を確かめることなしに現状を打開することはできないということです。
コンセプトは難しいものではなく、地域が本来備えていなければならない原理・原則であると理解しています。しかし、この原理・原則がときの権力や資本によってないがしろにされてきました。たとえば、地域格差の解消を標榜した全国総合開発法と、それに基づき展開されてきた全国総合開発計画が典型的な例といっていいでしょう。全国総合開発計画が結果的に地域格差を解消するどころか、むしろその格差拡大を進めてきたのを見れば、政府の都合により国土計画や地域政策が原理・原則を無視して場当たり的に展開されてきたことが理解できます。地域に工場を誘致したのもの、工場だけ繁栄して、地域は崩壊したというのでは再生とはいえません。地域における人々の生活が豊かになってはじめて地域が再生したといえるという意味です。すなわち人々が豊かに生活できる場の実現こそが、「真の再生」なのです。
現にその原理・原則を生み出し、それにしたがってさまざまな試みに取り組んで、その結果、地域再生をなしとげたところがあるのです。
■なぜ、地域再生なのか
2003年10月、内閣に「地域再生本部」が設置されたことが記述されています。HP上には、地域の経済の活性化を目的としていますが、経済に重点を置くのみでいいのかどうかは議論の余地があります。もっと違う視点、あるいはもっと幅広い視点がなければならないのではないか。
さらに気になったのは、まちづくりの一方的な情報の氾濫です。国土交通省の『国土交通白書』(2004年度版)は、各地の地域づくり、まちづくりのモデル的事例をパターン別に30ページにわたり特集しています。こういった多くの事例紹介はノウハウなるものをパターン化したものにすぎません。そもそもなぜ地域が疲弊したのか、なぜいま地域再生なのか、何のための地域再生が必要なのか、といったその原理的なところが全く語られていません。
では、地域再生が目指さなければならない原理・原則とは何か。第一に、すべての人権が保障された地域につくり直すことであり、第二に人々はその地域の仕事で生活しうることを再構築することであり、第三に自然と共生しうる地域に再生することでしょう。また、第四として、これが重要なことですが、永田町や霞が関の思惑により地域をつくり直すのではなく、そこに住む人々自身により再生を図ることです。つまり住民自身が地域再生の主役にならなければなりません。このことに地域が直面している状況のきびしさが表れています。
戦後の国土計画や地域政策(リゾート法など)、あるいは第一次産業政策を振り返ってみると、地方・地域に対する計画行政としては、それらは失敗に失敗を重ねてきたといえます。もちろん地方の側の責任も大きい。国が策定した計画・構想に加われば公共事業が割り当てられる、補助金がつく、地方財政にとってのさまざまな優遇措置もある、国の政策についていけば間違いないという思い込みも手伝って、その計画・構想に乗ってきた責任です。上から下へ降ろされてくるそれらの計画や構想では、本来の意味での地域開発にはつながらないことがはっきりしてきました。
■地場産業で生活できる地域をつくる
人々が生きていくうえでの最低限の生活保障とは、その生活の場で「食べていける」ことです。ところが地方の多くの地域で「食べていけなくなっている」のです。とりわけ農山漁村の地域では、その生活を支えるべき第一次産業が衰退の一途をたどるばかりです。人々の生活が成り立ち、さらに豊かさを実現するには、まず第一次産業をはじめとする地域の産業で「食べていける」基盤をつくることが不可欠といっていいでしょう。
過去の農村計画として八郎潟(秋田県)干拓地新農村建設計画が礼賛されていますが、その評価には驚かされました。国や著名なプランナーが携わった政策や計画に誤りがないという迷信が、我が国ではなおまかり通っているのを痛感します。注目したいのは、農業で成功して「食べていける」ことになった地域には、国の農政に反旗をひるがえして独自の政策に踏み切ったところが多いことです。そうした地域は九州に多いと感じます。
九州で脱コメ農業にいち早く切り替えた地域として、いまや古典的になっているのが大分県日田市大山であることは広く知られていることです。大山では、今日、JA大分大山が中心となり設立した「おおやまプロフェッショナル農業団」が核になって、農業と食の事業を展開しています。JA大分大山の組合加入約700戸のうち年収1000万円以上の農家が約200戸あるそうです。1961年、当時の農協組合長で、のちに町長となる故矢幡治美氏が提唱した「新しいウメ、クリ運動」が始まりました。収益性の低いコメ、ムギ農業から収益性の高い所得追求型の農業へ転換を図ろうとしたのです。コメの粗収入が10アールあたり10〜15万円であったのに対し、果樹の場合はそれが100万円になったのでした。「トン」農業から「グラム」農業へ、はこのことを表現する言葉です。
他の地域再生事例(徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」や三重県大台町宮川の林業ビジネス)を調べてみると、共有していることがあります。それは、地域が協働して地域再生に取り組んでいることです。決して、政府の事業にそのまま乗っかるようなことはしていません。
事務的なことを言えば、住民と協働して地域再生に取り組む際には、まずグランドデザインが必要になります。グランドデザインとは、どういう地域社会を作って、どういう生活を営みたいかをまとめたものです。そのためには、まちづくり条例を制定しているところが多いのも事実です。
繰り返しになりますが、結局、地域再生のテーマよりも住民の主体性(市民意識)をどのように醸成するかが重要なのです。