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ハイデルベルク 古城と大学の街

いつだって、友達からかかってくる電話は嬉しい。
お互いの近況を話し、今度はいつ会えるだろうかとワクワクする。
 
先日私に電話をくれたのは、古くからのドイツ人の友達だ。
その友達と知り合っていなければ、私は今ドイツにいないだろう。
私にとっては、言葉通り、運命の人なのだ。
 
今日は、ハイデルベルクの思い出。
 
Heidelberg
 
日本語で『ハイデルベルグ』と書かれる事もあるようだが『ハイデルベルク』の発音がより近いと思うので、こちらにて記述。
 
友達の家は、このハイデルベルク近隣にある。
友達や、そのまた友達と一緒に、ハイデルベルクには何度も足を運んだ。
 
ハイデルベルクは、とても美しい街だ。
なんといっても一番のシンボルは、街を見下ろす高台にあるハイデルベルク城。

お城へは、ケーブルカーで行くも良し、歩いて散歩するも良し。
私達は、行きは楽々ケーブルカー、帰りは街を見下ろしながら散歩をして帰ってくるパターン。
 
ハイデルベルク城は、プファルツ選帝侯ヴィッテルスバッハ家が住んでいた城。
1225年にはすでにその城を記す書籍が残っており、その後増築を重ね、今の様子になったそうだ。
しかし、30年戦争、そして1689年のプファルツ継承戦争の際に、フランス軍に爆撃された事で廃墟になった城だ。

ヴィッテルスバッハ家といえば、新白鳥城ノイシュバンシュタイン城や、アウグストゥスブルク城などが思い出される。

城の一部は、爆破の跡が残されている。

城門を入る途中、門に取り付けられた一つのリングを指しながら、友達がこう言う。
 
これは、悪魔が噛んだ跡なのよ
 
そのリングには、確かに一部凹みのようなものがある。
友達の話によると、いつの時代かの城主が、このリングを噛みちぎることができたら、この城を渡すというような内容の掲示をしたのだそうだ。
市民はみな挑戦したが、言葉の通り、全く歯が立たない。
 
そこへ、その噂を聞きつけた悪魔までもがやってきた。
悪魔も挑戦したが、悪魔でさえも、歯型を残すだけしかできなかったのだそうだ。

以前ブログに書いたアーヘンの悪魔も、ハイデルベルクの悪魔も、上手く行かなかったというところが共通しているのが面白い。
 
私はこんな逸話や昔話が大好きだ。
観光だけでなく、友達からそのような話を聞くと、その土地を訪れた思い出がより活き活きする。
いつまで経っても、一緒に過ごした日を思い出す。

城内の見学をして印象に残っているのは、20万リットルもあるワイン樽。
ワイン樽の横には階段が作られていて、樽の上に登るのが観光のコースになっているほどだ。
樽の大きさは9メートルほどもあり、樽の前には、樽の監視人ペルケオの木製の人形が飾られている。

城見学の途中には、中庭に出ることができる。
眼下にはネッカー川が流れ、Alte Brücke(古い橋)と呼ばれる立派な橋も見える。

ハイデルベルクといえば、やはり大学なしでは語れないだろう。
1386年に創立したドイツ最古の大学、ハイデルベルク大学は、世界各国から学生が集まる大学だ。
医学部は、特に名高い。
ハイデルベルク大学からは、たくさんのノーベル賞関係者が出ていると聞いている。
調べてみたところ、受賞者を含めなんと33人もの関係者を輩出しているとのことだ。
 
そして、このハイデルベルク大学の学生牢が大変興味深かった。
その昔、ハイデルベルク大学には個別の自治権が与えられていたので、このような牢獄が必要だったのだという。
大学に自治権という事に驚いてしまったのだけれど、中世の時代は、大学に自治権が認められていたそうだ。
 
そして、ここに入ることは罰であるにも関わらず、むしろ学生にとっては勲章のようなものだったらしい。
学生牢に入った者達は、あらゆる所に自分の名を書き残し、また落書きをしていたらしい。
 
友達が言う。
 
秀才というのは、ちょっと変わっている人が多いのは、今も昔も変わらないね
 
妙に納得して、みんなで大きく頷いてしまった。

もう一つ追記しておきたいのが、ハイデルベルグ社。
Heidelberger Druckmaschinen AG 
日本語のHPでは、ハイデルベル『グ』社となっているので、そのままを掲載したい。
こちらは、1850年創業の世界トップレベルの印刷機械製造メーカー。
 
印刷技術については、ヨハネス・グーテンベルクが1450年頃に活版印刷術を発明したことが大きな転換期として挙げられる。
ルネサンスの三大革命だ。
 
そして、デジタルカラー印刷機は、ここハイデルベルクに本社を構えるハイデルベルグ社が先駆けと言われている。
ドイツは、このように印刷と深い関わりがある。
 
知り合いが、このハイデルベルグ社に勤務していたこともあり、面白い話を聞いた。
ドイツ鉄道が中央駅を作る際、このハイデルベルグ社の本社を避けるようにして作ったというのだ。
嘘かまことか?
でも、こんな話があるというだけでも、如何にハイデルベルグ社が重要かという事が分かるというものだ。
 
 
私達は市内をアイスを食べながら歩いて、城から見えたAlte Brücke(古い橋)へ向かう。

この橋は別名、カール・テオドル橋とも言うそうだ。
1784年に洪水で流された橋を再築する際、カール・テオドルの命により、初めて石の橋が架けられた事が由来だとか。
彼の銅像は、橋を飾るいくつもの銅像の一つとして、今も橋の上に残っている。

さて、この橋の袂には、鏡を持った猿の銅像がある。
この猿は、滑稽の象徴として作られているのだそうだ。
猿の頭の部分は空洞になっており、まるで仮面を被るように猿の銅像と一体になれるというオブジェ。
すると、自分が今まで滑稽だと笑っていた猿が自分になり、それを手元の鏡で見るという訳だ。
 猿を笑うより、自分を笑え、という意味なのだろう。
 
友達が私に、猿の仮面を被ってよ、としつこく言ってくる。
嫌々ながら頭を入れると、みんなが待ってましたとばかりに笑いだす。
大して面白くもないのに、みんなが笑っているから、なんだか可笑しくなってしまう。
それから、来ていた友達みんなが順番に猿の仮面を被った。
 
猿が持っている鏡は、触れると金運が良くなると言われている。
みんなが触れるので、そこだけピカピカだ。

この街を何度訪れても、私は初めて友達と訪れた日の事を思い出す。
そして、太陽の下でみんなで食べたアイスのこと。
猿の銅像で、みんなで笑いあったこと。
 
あれから何十年もの時が流れてしまった。
会えない時に送られてくる娘さんの写真は、益々友達に似てくる。
そして、娘さんの誕生日が来る度に、私も歳を取ったなあと思う。

どれだけ電話でたくさん話しても、どれだけ写真を送ってもらっても、会える喜びには勝てない。
コロナ規制も緩和された事もあり、次はみんなで一緒にハイデルベルクに行こうかと計画している。
 
『私達』の思い出の街は、今度は『家族みんな』の思い出の街になるに違いない。
 
友達が私に猿の仮面を被らせたように、今度は私が娘さんに、猿の仮面を被らせよう。

アーヘンの悪魔伝説はこちら

ヴィッテルスバッハ家に関連するものはこちら

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