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獅子の見守る街 ブラウンシュバイク

アムステルダム国立美術館のフェルメール展の記事を書き、一つの街を思い出した。

Braunschweig
ドイツ北部、ニーダーザクセン州の街、ブラウンシュバイク。
ザクセン王Bruno1世(ブルーノ)が861年に開拓した街と伝えられ、ブルーノの村と呼ばれた事が起源だそうだ。

ここは、ハインリッヒ3世が深く関わる街だ。
神聖ローマ帝国に立ち向かい、またザクセン公とバイエルン公を担っていた彼は、リューベック、ミュンヘンを始めとしたそれぞれの地域での都市開発を進め、このブラウンシュバイクは彼の拠点とされた。
ここは、東西南北の交通が交差する街であり、また街を囲むように流れる川によって、船を使った運搬も可能だったようだ。

紋章に使われていたライオン。
彼は獅子王とも呼ばれており、1166年にアルプス以北で初めて青銅像をこの街に建立した。

Burgplatz ブルク広場

ここはダンクヴァルデローデ城(写真左側の建物)の庭であり、青銅像建立後に大聖堂も建てられた。
ライオン像を中心に、三方が大きな建物に囲まれている。

中央にライオンの像がある

ダンクヴァルデローデ城

ライオン像前方

大聖堂

ライオン像右手

ギルド館

ライオン像左側

この街は、近郊の街ゴスラーで採れた銅を加工する街でもあった。(ゴスラーの街は、世界遺産にも指定されている)
この街には銅を加工する能力があり、また金細工も有名で、かつては金細工師のギルドがあり、特権も与えられていたそうだ。

街にはまだたくさんの銀細工のお店があり、あちこちから金を加工するキーンという音が聞こえてきた。

2階の窓からは金細工加工の音が響く

市庁舎

かつては、ハンザ都市だったブラウンシュバイク。
広場から近い場所には、立派な市庁舎が。

旧マルクト広場とエル

ここは、エル(長さの尺度)法の基準地が定められた場所でもある。
1エルは57.07cm。

特に、布の販売時に使われていたエルという長さ。
かつては、街によってこの長さの基準が異なっていたのだそうだ。
例えば、エアフルトでは40.38cmに対し、ミュンヘンでは79.90cm。
異なる街での取引は、顧客、または販売人どちらかに不利な条件となる事が度々起こったそうだ。
この街では、この長さが16世紀から使われており、長さの基準は旧マルクト広場の建物の一部に埋め込まれた。
19世紀になってようやくドイツ全体でその長さが統一され、このブラウンシュバイクの長さが基準と定められたという。

Schloss Arkaden
シュロスアーケード

Schloss(城)の名前が残る通り、ここはかつて宮殿として公爵家が使用していた建物。
今は内部は豪華なショッピングセンターとなっている。

Happy Rizzi Haus

街の中にはこんな建物も。
ニューヨークの芸術家James Rizziによる設計。
オフィスビルのため、中の見学はできないものの、たくさんの観光客が集まっていた。

Löwenwall Park

市民憩いのレーヴェンヴァル公園とオベリスク。

不思議なマーク

街を歩いていると、たくさんの不思議なマークを見かける。
こちらのお話は、また別の記事にて。

Herzog Anton Urlich Museum
アントン ウルリッヒ公爵博物館

この博物館が、この街に来た理由。
ここにフェルメール作品があるのだ。
こちらも、また別の記事にて。

KZ-Außenlager Schillstraße
強制収容所跡地

この街にもまた、暗い過去がある。
ハンブルクにあった大型強制収容所のサブキャンプとして、1944年ブラウンシュバイクにも強制収容所が建設された。
捕虜の労働力を、戦争に重要な役割を担う企業に売り渡していた。
アウシュビッツから輸送された囚人達は、この場所に500名、別の場所に400名が、それぞれバラックに住み、近隣の自動車工場での過酷な労働を強いられていた。

収容所の歴史や犠牲者については、Dr. Karl LiedkeとElke Zachariasの長年の研究によって、明らかにされたという。

未来には、長い過去がある。

モニュメントに刻まれたこの言葉を、私は忘れないであろう。

美味しかったもの

さて、この街を訪れたのはアスパラガスの美味しい季節だった。

お店のかたに勧めて頂いたKartoffelnschnappsを最後に頂く。
これは、ジャガイモの蒸留酒で、アルコール度数は16〜20%程度。
グラスの上には、ジャガイモのパンケーキとリンゴムース、ジャムが乗っている。
小さなグラスに入ったお酒を、一気に喉に流し込む。
飲み込んだ途端、喉から胃まで流れ落ちるのが分かる。
アルコール特有の熱さを、ジャガイモのパンケーキで中和させる。
とても美味しかった。

こちらは、お土産に購入したMummeのリキュール。
1390年頃からの古い歴史のあるMumme。
13世紀からハンザ同盟に加わっていたブラウンシュバイクからは、スカンジナビア、イギリス、ロシア、バルト沿岸諸国まで輸出されたそうだ。
Mummeのビールは唯一、赤道を超えても品質が落ちないと言われ、船乗り達の貴重な栄養源にもなったそうだ。
ブランドロゴも、帆船。

獅子の見守る街ブラウンシュバイクは、長い長い歴史を持つ街だった。

ホテルのチェックアウト時に、クリスマス時期のブラウンシュバイクも素敵ですよと、受付のかたが教えて下さった。
この街がすっかり気に入ったパートナーは、じゃあ早速今年のクリスマスに来よう、今から予約しようかなと、冗談を言っていた。

あれから私達は、クリスマス時期のブラウンシュバイクを訪れていない。
街は華やかに彩られ、輪をかけて美しいことだろう。

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