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ドイツ統一記念日 旧首都で歴史を学ぶ

明日、10月3日はドイツ統一記念日のため祝日となる。
Tag der Deutschen Einheit

1990年10月3日
ドイツ統一記念日は、正解には、ドイツ再統一(Deutsche Wiedervereinigung)と呼ばれている。
(ドイツ統一は、1871年のヴィルヘルム1世の時期を指す)
 
民族紛争で、国民が多くの血を流してきた国々と比較すると、流血なき統一は平和的であると評価されている。

去年の9月には、ドイツ連邦議会選挙が行われた。
結果は、SPD(ドイツ社会民主党)が25.7%を獲得、第一党になった。
この選挙は、ここ数年において一番注目された選挙であったと言っても過言ではない。

そんな事がきっかけで、去年の選挙前に、ずっと訪れてみたかったボンのHaus der Geschichte、直訳すると 歴史の家 へ足を運んだ。

この博物館は、主に1945年からのドイツの歴史を展示している。
地下入り口部分には、アーデナウアー氏が使用していた公用車が、堂々と展示されていた。

当時のボン駅と列車が再現されており、列車内には会議資料やタイムスケジュールなどの資料が展示されている。

館内入口エントランス部分。

館内最初の展示物は、こちらの新聞。
インパクト大だ。

戦争中に行方不明になった方々の捜索願。
小さな箱にぎっしり詰まった、一人一人の捜索願。
その箱がまた、ぎっしりとガラスケースに収められている。
一枚の紙が、一人の命だと思うと、やるせない気持ちになる。

どの街にもあったというAdolf-Hitler-Straße。
戦後は改名された。
写真では、Bahnhofstr駅前通りに架け替えられている。
ちなみに、こちらは写真の展示だが、Adolf-Hitler-Straßeの道路標識は、本物が展示されている。

選挙ポスター
年代毎に選挙の様子が展示されていた。

戦後ドイツの主力商品の多くは、今もなお身近な存在の物が多い。

1949年5月23日
当時ケルン市長だったアーデナウアー氏Konrad Adenauerは、ケルン市庁舎にて、ドイツ連邦共和国基本法に署名。
その時に使われた万年筆と、立派なインク壺。
この基本法は、ボンで草案が作られた事から、ボン基本法とも呼ばれる。
自由主義・資本主義、連邦制、そして、国民主権・三権分立が原則。
のちに、1990年ドイツ統一後も、一部が改訂されただけで、その効力は残っている。

ドイツ国旗の様々な草案。
こうして見ると違和感があるけれど、当時は一つずつ真剣に検討されていたのだと思うと、少し可笑しい気持ちになる。
やはりドイツ国旗は、シンプルな黒・赤・金が良いと思う。

この原型と言われているのは、1813年にナポレオン軍と戦った学生義勇軍のユニフォームの色だそうだ。
それぞれの色には各説があるけれど、良く言われているのは、以下の象徴。
黒:勤勉
赤:情熱
金:名誉

議会で実際に使われた椅子や演説台の再現。

投票箱
ケルンの彫刻家Josepf Jaeckelの作品。
11の州とベルリンの紋章が刻まれている。
1949年9月の連邦大統領選挙で、こちらの投票箱が初めて使われたそうだ。

戦後のドイツ経済の繁栄について。
Mが重なったロゴは、ライプツィヒのメッセだ。

東西ドイツの国境検査場復元コーナー

エルビス・プレスリーは、1958年から1960年に、陸軍兵士としてフランクフルト近郊の街フリードベルクにある基地に駐留した事があったそうだ。
この街では、2018年に彼をモチーフにした信号が設置され、話題となった。

1950年から、ドイツは労働者不足を補うために、各国と2カ国協定を締結し、外国人労働者を受け入れる。
1964年には100万人を超え、盛大な祝賀会が催された。
100万人目の移民にはオートバイが贈呈された。
(実物のオートバイは、後にデュッセルドルフの博物館で見学する事ができた)

若かりし頃のコール氏。
1976年。
コール氏が初めて連邦議会に首相候補として立候補した年だ。

1978年
ドイツ初の宇宙飛行士が月へ。
Sigmund Werner Paul Jähn
彼が着用していた宇宙服。

東西ドイツの統一への動き。
ライプツィヒのニコライ教会で、1982年よりフューラー牧師が始めた、月曜日の平和の祈り。
この動きが、次第に体制批判運動へと進化していく。
こちらは、牧師の演説の様子。

1989年11月9日
歴史上もっとも素晴らしい勘違いと言われるシャボウスキーの記者会見。
彼が手元に置いていたメモは、博物館内で印刷物として配布されていたので私も一部頂いてきた。

1990年8月23日
DDRドイツ民主共和国の代表は激論の後、ドイツ連邦共和国への加盟を承認。
DDR代表の人民議会議長Sabine Bergmann Pohlがコール氏に向けて、その決定を伝えた文書。
DDRの終焉だ。

ベルリンの壁が飾られていた。
毎回ながら、壁の薄さを感じる程に、この壁のために涙を流した人、命を落とした人の事を思い、胸が苦しくなる。

1990年10月3日
連邦議会前。
統一セレモニーの際に使われた国旗が、大切そうにキッチリと畳まれ、ガラスの中に収まっていた。

2020年は、ドイツ統一30周年だった。
コロナのため、予定より少ない230人規模での祝賀会が開催された。
テレビ放送では、一般のかたの経験談や、合間に音楽を挟んだ華やかな祝賀会の様子が流れた。
最後は全員が起立し、弦楽器でのドイツ国歌演奏があり、厳かな雰囲気で幕を閉じた。
 
祝賀会では、全ての人から、統一時の喜びが語られた。
しかし、統一後の話となると、旧東ドイツのかたにとっては、喜びだけではなかった事がうかがえる。
それは、年代によっても受け取り方が少しずつ違っているようだ。
上の年代になるほど、苦労を多く語っていらっしゃった。
 
更には、東西の平均年収格差が、今でも20%あるとの調べもある。
世論調査では、回答者の3分の2が、ドイツ統一が完全に終わっていないと答えているという。
旧東ドイツ地域の回答だけを見ると、その比率が87%にも上昇するそうだ。

さて、博物館の最後の展示物を見て、私は鳥肌が立ってしまった。
その小さな球体には、小さな説明書きが添えてあった。
2018年9月、ドイツ人宇宙飛行士であるアレクサンダー・ゲルストは、ISS宇宙ステーション内でこのタイムカプセルを封印した。
惑星の形をした球体は、子供達や若い人達の未来への願いや夢、要望が入っているそうで、50年後の2068年に、この球体は開かれるという。

説明文の最後は、こんな風に締めくくられていた。

(2068年に球体が開かれた時)
未来への期待や夢が叶ったかどうか、知る事ができる。

この言葉の裏側には、こんな意味があるのではないだろうか。

2018年にこの小さな球体に詰めた子供達の夢や希望が、2068年には全て叶っていて欲しい、と。

過去は変える事はできない。
しかし、未来は変えられる。
今、この瞬間からも。

そして、今こうして私達が生きている毎日が、いつか歴史として語られる日がやって来る。
難民受け入れやコロナウイルス、CDUの惨敗も、いつかこの博物館の一コマになるのだろうか。
また、新しいリーダーOlaf Scholz氏が率いるドイツの歴史も、この博物館に刻まれていくだろう。

2068年。
子供達の夢が叶っているか、そしてドイツがどのような国になっているか、見届けてみたい。

そう思いながら、そっと指を折り、2068年に自分が何歳になっているのか数えてみる。
そんな歳まで生きていたいなんて、私は図々しい人間だなと思い、博物館の出口に向かいながら、コッソリと笑った。

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ボンについての過去記事

ドイツの歴史についての過去記事
ライプツィヒにも同様の歴史博物館がある

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