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日日是好日

おいでませ。玻璃です。

武家屋敷の玄関から出て左手の木々の間の細い小径を抜けたところの裏の家。
そちらも古い日本家屋だった。

家は古いがこざっぱりとした清潔感と重厚感のある家。
そこは瀬尾先生の家だった。

瀬尾先生は、茶道と華道の先生。
姉たちもみんな瀬尾先生に習ってきた。
5年生の私も瀬尾先生に茶道と華道を習う事になった。

華道は嫌いではなかったが、あまり心がときめかなかった。
お花を活けた後にデッサンを描くのが得意ではなかったというのもある。
ただ、少しでも習っていたおかげか、今でもお花を頂いて飾る時にはバランスを考える事ができるような気がする。

私がときめいたのは茶道の方だ。
瀬尾先生のところは表千家。
最初は、いろんな作法を習っても何のことやらサッパリわからなかった。
ただただ順番を覚えるものなのだろうくらいに思っていた。

抹茶は小さい頃から好きだし、いつも出てくる茶菓子は季節感があり、色使いも綺麗で何より美味しい。
子供心にそれが楽しみでもあったが、実はときめいたのはそこではなかった。

いつも綺麗に拭き清められている茶室がとても心地よい。
静かな中にお湯の沸く音や、外から聞こえる鳥のさえずりや風の音。
普段の生活では気にもしなかった雨音までが沁みてくる。

家では常にテレビがついているのが当たり前。でも、小さい頃から無音の中にいるのが好きな子だったから、先生のお宅の静かな空間に身を置くのが何よりホッとする時間だった。

勉強は覚えられないのに、お点前は割と早く覚えた。
先生のように流れるような動きはできないが、あまり考えなくても次の動作ができるようになった時は嬉しかった。
そこはさすが小学生。頭が柔らかく覚えが早い。

そして、何より瀬尾先生が大好きだった。
緩く楽に着付けられているようで、シャンと一本筋の通った着物姿。

「玻璃さん」

と呼ばれるとスッと背筋が伸びる。
掛け軸の説明をしていただく時やお点前への注意、お稽古の後の雑談、その全てが心地よかった。

初釜の日、私は皆の前でお点前をさせて頂いた。
緊張で指が震える。

ただ、初釜でお点前となると着物を着る。そうすると足袋を履かなければならない。
私は右足の親指から3本がくっついていたので、足袋が履けない。

母と瀬尾先生が相談して、私でも履ける足袋を母が作り直してくれた。

結局、中学生になって部活を始めたのでお稽古には行けなくなった。
今なら何を置いても習いに行っただろう。

でももしかしたら、大人になってからではなく、少女の年齢で習った事に実は深い意味があったのではないかと考える時がある。
感受性の鋭いあの時期だったからこそ、今も身体の一番深い部分に沁み込んでいるのかもしれない。

30年前くらいからずっと習いたいと思っている茶道。
この先、どこかで必ず習うぞとチャンスを伺っている。

もう亡くなられたであろう瀬尾先生には会えないけど、また茶道を始めると心の奥底で先生に会える気がする。
その日が来るのを楽しみにしたい。

ではまたお会いしましょう。

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