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帰郷モンタージュ②

おいでませ。玻璃です。

瀬戸内海側の由宇町のおばちゃんの自宅から私たち一行は、日本海側の萩市へと向かった。

翌朝はこの旅のメインイベント、菩提寺への訪問だ。
母の十七回忌はコロナ禍だったため大々的な法要はできず、関東から電話でご住職さんに十七回忌のお経をあげていただくようお願いした。
今回の訪問では、私たち一行と従姉妹二人も集まったので、簡単なお経をあげていただき、今後のお墓についての相談もする。

菩提寺に入ると、いつも母とお墓参りに来ていた小さな私が、そこにいるような気がした。
静かな本堂には微かな線香の香りと光り輝く阿弥陀如来像が静かに佇んでおられ、無意識に深呼吸をし背筋を伸ばす。

従姉妹のところのお墓(祖母トメの両親や長男が入っている)は3年くらい前に九州に住む別の従姉妹がお墓を守るという事で、そちらへ引っ越した。
お墓のあった場所を見てみると更地になっていて、複雑な気持ちになる。

我が家のお墓はトメおばあちゃんが建てたもので、今はトメおばあちゃんと母、昭子の二人が入っている。いつも親子喧嘩をしていた二人。今もお墓の中で賑やかに言い合っているのだろうか?

私たち姉妹のお墓についての考え方は少しずつ違う。
そして、いろいろな方法がある。
ただ、やりたくないのは放置する事。

私としては姉妹がみんな元気なうちに墓じまいをしたい。でも、姉たちはそれぞれの思いがあって、すぐに墓じまいという考えにはなりにくい様子。
海外に住んでいたりするのもまた故郷への気持ちが強くなるのかもしれない。

ご住職さんのお話しも聞きながら、いろんな可能性や方法を探ってみる。
その日に結論は出なかったが、案は出た。
何年か分の管理費をお寺さんにお支払いし、当分お墓は置いておく。
トメさんはそのままで母を分骨し、関東の納骨堂か樹木葬に納める。後に父が亡くなった時は母と共にする。

後々はやはり墓じまいはしなければならない。でも、気持ちがスッキリしない親族がいる以上、もう少し「時」が何らかの答えを出してくれるまで、この話は熟成させることにした。

相談が終わった後、皆でお墓を参った。
数日前に到着していた月子姉さんが、綺麗にお掃除してくれていたので、すぐにお参りできた。
普段は、従姉妹が掃除などやってくれている。
その従姉妹にも、トメおばあちゃんや母にもいつもお世話できない事を詫びながら手を合わせる。

そして、隣のお墓は肩車をしてくれたトシくんが眠るお墓。
こちらにも線香をあげ、手を合わせた。

我が家のお墓から少し奥に入ったところに共同の永代供養の場所がある。

最近、どこのお寺さんもぶつかる壁だと思うが、たくさんの寄付を集める事ができず、この永代供養の場所も簡単なものになっている。

墓じまいをして、この場所にトメおばあちゃんを移すのなら、石碑を建てたり樹木を植えたりして素敵な空間になればまた気持ちが違う気がする。
お金を寄付するのが難しかったら檀家(門徒)さん皆で集まって工事でもできたらいいなぁとぼんやりと考えてみる。

人の気持ちとは…。
実際にお墓を前にして手を合わせてみると、墓じまいに二の足を踏む自分も出てくる。
結局、この旅でのハッキリとした答えは出なかった。でも無駄な時間ではないと思う。

複雑な気持ちを胸に
「また来ます」
挨拶をし墓地を出て、深々と一礼をしてお寺の門を出た。

ではまたお会いしましょう。

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