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始まりは一年前の今日

おいでませ。玻璃です。

昨年の今日、noteでこの「はぎいろモンタージュ」を始めた。
そう、今日で丸1年。1周年記念日。
今日はそんな記念日投稿なので、この1年で感じたことなどを綴る回にしようと思う。

最初のご挨拶投稿から始めて、この記事は57記事目。
最初の頃は曜日を決めずに投稿していた。
でも途中から私の星的にパワーをもらえるという金曜日の16時に投稿を決めた。

そこから毎週金曜日は、忙しいときでも体調を崩していた時でも休まず投稿。
一度決めたことはやり続けたい。

連続してやることは大変なパワーを使うが、私はそれよりも一度休んでしまうとそこから軌道修正するパワーの方が何倍も使うような気がしてとにかく続けている。

記事はまだ私が生まれていないところからスタートし、現在は小学5年生までたどり着いた。
私の記憶がだんだん鮮明になるにつれ、舞台は学校が多くなった。
この頃、家族としては祖母が亡くなったり、姉たちは都会へ旅立ち、父も母も忙しくしていたのでどうしても学校での出来事が私の記憶を占めている。
成長するにつれ、私の世界が家族から外の世界の学校に移っていったのだろう。

記憶・・・。
過去の記憶を思い出すことは「脳にいい」とされる。
脳科学の研究によると過去を積極的に振り返ることでポジティブな気持ちになれるということが分かったそうだ。

先行きの不透明な今、未来の事を考えようとしても不安なことが多い。
でも、過去を振り返り自分の中の忘れていた幸福感や頑張っていた自分の姿を思い出すことで、前に向かって進んで行こうと思えるようになる。

私の記憶の中では、祖父母はすでにおじいちゃんとおばあちゃんだったし、父と母も夫婦であった。でもこうして物語として書いてみると、家族にも皆、青春があり、恋心もあり、愛情ゆえに苦しんだ若いときがあったこと。
それを乗り越えて家族を作り上げてくれたこと。

それに気づくと、私の前の世代を生きてくれた家族たち、まわりの大切な人たちへの感謝の気持ちが溢れ出す。そして過去の出来事から、出会いと別れの意味も教えてもらったようにも感じる。

亡くなったトメおばあちゃんやフチばあちゃん、そして母、昭子にも「祖母」として「母」としてどう生きていくのがいいのか、人生に迷った時にもう直接相談することはできない。
だがこうして振り返りながら、言葉にして書くことで少しずつ答えが見つかるような気がする。

小さかった私も50を超えて、親になり孫ができて、あの時の祖母たちや母の言葉と行動の意味が理解できる。
これからは子供たちや孫たちに、このバトンを渡せるように私の持てる精一杯の深い愛情を届けていきたいと思う。

noteで自分の人生の棚卸しを始めたことによって、私の中でたくさんのプラスの感情が育ってきた。
この毎週投稿を続けられたのは、なによりも今、この記事を読んでくれているあなたから頂いたスキやコメントのチカラのおかげ。
心からの感謝を込めて。

ではまたお会いしましょう。


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