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人と比べる生き方

あなたと私は比べようがない。
そもそも、体のつくりや考え方、環境、歴史、感受性や判断基準が同じではないのだから。
でも、他者と比べるだなんて意味がないっていうのは極論すぎると思う。
比べることが、プラスのエネルギーとして作用する場合だってあるし、自分のことを他者との違いから知る人だっている。他者の成果や存在を、自分が何か物事をするときの基準とすることだってある。
比べるからこそ、自分が見えてくる。

比べる上でやらなくていいことは、他者に対して自分は価値がないとか、悪いとか、自信がないとか、みんなと同じができない、当たり前ができない、ダメだと自分を責めて落ち込んで、病んでいくこと。

「あなたと私は、比べてみたところどうやら違うようです。◯◯に関して事実としての違いを認め、私は悔しい思いになりました。悔しい気持ちは◯◯することで補完していきます。」

「世間一般と比べたところ、どうやら私は違うようです。世間一般の言う当たり前ができなくて、悲しかった。悲しい思いがしたのは、みんなと同じという安心感や安全、感動や達成感を同じようには味わえないというのと、漠然とした不安があるとわかったからです。その感情は◯◯することで癒していきます。」

比べることで起こる感情や、事実を文字や言葉にしてみると、自分自身の今の状態が客観的にみられるのと同時に、感情と事実を分けることができる。
自分でなんとかできることなのか、どうしようもないことなのかがわかる。
ここで大切にしたいのは、湧いてきた感情。
悲しかった・腹が立った・不安になった・落ち込んだなどの感情を無かったことにして、誤魔化したり、こんな気持ちになるなんて自分はダメなやつだって自分を責めることはちょっと待ってほしいなと思う。

誤魔化しや自己否定、自己卑下は「自己肯定感」を削いでいく。
自己肯定感っていうのは、誰かに満たしてもらうものではないし、こんな自分は良くてこんな自分は良くないと自分をジャッジするものではない。
自己卑下する自分も、自己肯定感が低い自分も、自信がない自分も「どんな自分もこの私」を受け入れること。
だから、感情を無かったことにしてはいけない。
悲しみも、悔しさも、イライラも、不安もちゃんと感じる。
苦しいことかもしれないけれど。
でも、ありのままの真実として遜色なくわかってくれる人なんて、自分しかいない。

そもそも人は比べる生き物。
だからこそこうして発展してきた歴史がある。
比べることは、他者との事実としての違いを知ることに使うとよくて、その事実を知ったときに起こる感情とは切り離して考える。
沸いた感情をおざなりにしろと言っているのではなくて、感情は感情で、事実は事実というように分けてみる。
ごっちゃ混ぜにするから、ややこしくなるし、「他人と比べるだなんて意味がない教」が発展していく。

いくらでも比べていい。
今まで人と比べることで味わってきた経験や、身につけてきたものは、全てあなたの財産。
比べたその先、あなたはどうしたいか。どうした方がいいのか。

比べて終わりにするのも生き方。
比べてこの先どうするか、それも生き方。




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