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ひとつじゃなくても

こんにちは、結木です。

みなさんは、ひとつのことをずーっと継続する方が自分に合っていると感じますか?
それとも、いろんなことをやっていくことの方が自分に合っていると思いますか?

一貫性・職人肌・継続というものが、割と正しいとされている世の中で、なんだかもやっとしたり、そう生きられない自分を責めたりしたことはありませんか?
または、1つのことだけでなく、いろんなことを幅広くこなすバイタリティーにちょっと羨ましさを感じたことはありませんか?


先日、知り合いの心理士さんと雑談の中で、今までどんな仕事をしてきたの〜?とか、どんな人生を歩んできたの〜?とかそんな他愛もないことを話していました。
その心理士さんは、大学院を卒業してから、環境は変われど病院やクリニックでずーっと心理士の仕事をされてきたそうです。
私よりもお姉さんなので、キャリアで言うと20年くらいです。
「すごいですね!めっちゃかっこいいです!どうしてずっと続けてこられたんですか?」と心理士さんにお聞きしたところ、心理士さんは、ありがとうと言った後にこう続けました。
「愛さんは、いろんな仕事をしているけれど、私からしたらすごいことなんよね。飛び込む力っていうか。この仕事をずっと続けられたのは、別にこれが良いとか、やりがいを求めてとかではなくて、これしか知らないから。慣れたことをするのが楽だし、私の生活スタイルにも合ってたの。」

この言葉が、本心なのか謙遜なのかは私にはわかりません。

実は、、、最近私は、会社員歴や専門職歴の長い人たちと自分の違いに圧倒されていたのです。
さらに、ひとつのことを継続できない自分をちょっぴり情けないやつだと思っていました。
スッカスカだと思っていました。
一貫性のなさに落ち込んだりね。
まあ、情けないやつだと思ったとて、決めてきたのはこの私です。
時は戻せないし、なるようにしかならないし、なるようになるし、なるようにするだろうとも思ってはいたのですが、尊敬の気持ちが大半で、ちょっと羨ましい気持ちがあったのは事実です。
さらに別の日、出張先で社労士の方と料理人の方と、はじめましてのお食事会の際のご挨拶中に思ったことがあります。
「着付士(着付師)・心理セラピスト(フラワーレメディ)・役者、、、ワイ・・・何やってる人かワケワカメやん・・・めっちゃ場違いやん・・・ほんますんません・・・謎の人ですんません・・・やっぱ、何かひとつのことを継続できることって強いな。気合いが違うもんな・・・」
完全に落ち込みモードで、美味しいはずのお酒が、なんだかしょっぱいぜ!
なんて感じておりました。

でも、感じたとて、じゃあその人たちと同じように生きられたのかと言うと・・・多分私にはできないのです。
やってみたけどできなかったのです。

きっとこの世の中には、仕事に限らず、いろんなことを同時進行したり、誤解を恐れずに言うなら、ある意味では刹那的に生きている人はたくさんいて、私と同じような葛藤を抱えているのかしらとふと思ったので、脳みその垂れ流しでこの記事を書いています。
そんな方がいらっしゃったら、結木みたいにやらかし倒しながらでもなんしか生きてる人いるよって、一人じゃないよって思っていただけたら良いなーなんて思っています。

一貫性というのであれば、一貫していないというのが一貫してるやん!ドヤァ_(┐「ε:)_

いいよ、ひとつじゃなくても。
いいよ、ひとつでも。

それよりも大切にしていただけたらと感じるのは、
「自分で決めてきた」ということ。
(まだ小さくて、自分では判断できないような子どもの時は一旦置いといて)
親に反対されたから親に従った、周りが・世間が・・・なんと言おうが、最終的には自分がそうすると決めた。
人のせいにすると自分が決めた。しょうがないからそうした。
全部「自分で決めた」こと。
そこはもう、諦めた方が多分この先ご機嫌に過ごせると思うのです。
なんかちゃうなって思ったら、また決め直せばいい。
そして、現状にもやもやするなら、何がどうなった時にそのもやもやは解消できるのか明らかにするのもいい。

諦めることは「明らかに見る」こと。

なんだかとっ散らかってしまいましたが、今回のnoteはここまで。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。






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