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旅立ちの日に

先日、私が昔すごくお世話になった人が亡くなったというのを友人から聞きいた。
「友人から聞いた」ということは、お世話になった方とはすごく疎遠どころから、何年も全く関わっていなかったし、これからも関わることはない方だったから。

お世話になった事実はあるし、ある部分では感謝もしている。
それ以上でもそれ以下でもなく。そんな感情の流れの自分自身に、薄情ささえ感じたのだけどこればっかりはしょうがない。
さすがに事態を聞いた時は驚きはしたけれど。

お世話になった方というのは、ある技術の先生で当時は師匠だった方。
訃報を聞いたその日、FBを久々開いたのだけれど、そこには追悼のコメントや写真が溢れていた。

私は残念ながら、その先生の言う「いい弟子」ではなく、生意気な若造だった。生意気さは今でも変わっていないと思う。それがいいか悪いかは別として。

先生からの言葉で今でも心に残っているのは、
「あんたとは正義が違う」
「人生は選択の連続」
「この業界から干す」
以上3つ

「あんたとは正義が違う」
若かりし当時はよくわかっていなかったけれど、上に立ちプロジェクトチームをディレクションするようになってからわかってきた。
そして、体癖を学び実践する事や心理関係の仕事・レメディなども通じて痛感している。いい痛み。
自分の向き不向き、特性、これだけは譲れないというところ、人を育てると言うことは私にとって何をどうするのかと言う部分も含め。
正義同士のぶつかり合いから、自分と違う正義の人を即座に切り捨てるのは簡単。もう少し・もう一歩踏み込んでみたい。できることがあるのではないかと思うのが私の正義のうちの一つなんだと思う。
それは、現在私が進めていることに直結する事で、実現していきたい事。
「いやー、いい言葉をいただいた」と思っている。

「人生は選択の連続」当たり前のようで、改めて言葉にするとなかなかのパワーワードだといまだに思う。一方を選べばもう一方は叶わない。どちらを選んでも、やっぱあっちにすればよかったという一抹の後悔はつきもので。それでも一方を自分で選んだのだから、その道を自分なりの正解にしていく覚悟。
紆余曲折あって現在・・・
私自身のことで恐縮なのだけど、正直言って楽な時期ではない(ある意味楽しいのだけど)何もしなくてもまあ、餓死はしないという環境から飛び出て1年ちょっと。ここが正念場。
あの時・・・が頭をよぎる。
いやいやそれでも選んだのは自分なのだ。
そしてまた、選び直せるのも自分。
「やりたくてやった」という覚悟はどんな選択をしようと持ち続ける。

「この業界から干す」
まだ干されていません。
先生!いつ私をこの業界から干して下さるんですか?
私まだ干されてないんです。先生自身で私を干しにきてください。
あ、それともこんな小者に対して、先生の出る幕はないということでしょうか。そうか!w

という、悪い元弟子・悪い見本のままでいることが、私なりの勝手な恩返しという事で。
生意気な私は、永遠の下っ端ではいられないのでそれなりにやってみますね、先生。

格別の感謝を込めて。


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