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夢の話を聞いて欲しい 1

夢をみた。

明け方まで仕事をした日の、3時間に満たない仮眠の間のことだった。

私は中学校と思われる建物の中、1人で教室の入り口に立っていた。

外は少し曇っていたように思う。

他の教室から特段声は聞こえない。昼休みや休憩時間ではなく、放課後だったのであろう。

(そして私の思い出す放課後は何故かいつも厚い雲に覆われた空だ)

教室の中には数人の生徒に囲まれた女性教師がいた。セーラー服を着た女子生徒達は私に気がつくと、彼女に向かって、にやけ顔を抑えきれない様子で、「ねえ、あれ先生の彼氏ぃ?」と言ってからかった。他方、学ランをきた男子達は、思春期男子特有の妙な緊張感と警戒を隠すことなく私を一瞥すると、必要以上にその教師に近づき、ベタベタ身体を触ったりしていた。まるでマーキングしているみたいだ、と私は思った。

女性教師はそんなセクハラ行為を露ほども気にしない様子で、「こら、触り方ってもんがあるでしょう?」と、少々的外れに思える言葉で男子生徒を嗜めた。

それらのやりとりを終始、私は眺めていたが、視線はずっと女性教師に注がれていた。視線を感じるのか、彼女はチラチラとこちらを見やったが、照れたような、少し困ったような表情をした。

そのうちに男子生徒のセクハラ行為は、もはや痴漢行為と言える程度にエスカレートしてきた。

最近のガキは限度ってもんを知らねえな、と辟易しながら、私は教室に足を踏み入れた。私が教室に入ると、それまでまとわりつくように群がっていた生徒達は、蟻の子を散らすように教室の隅で小さなコロニーを作った。そのうちの一つ、2,3人の、少し着崩した学ランがいかにもヤンチャな男子生徒達の作るコロニーは教室の後ろ側、小さな黒板の下に形成されていた。私は彼らに無言で近づいていった。先ほどまで、痴漢行為をしていた生徒達だった。男子生徒達は私の足取りをみて緊張と警戒を一気に最大レベルまで引き上げ、吠える小型犬のような眼で私を威圧したが、流石に体格差がありすぎると思ったのか、すぐにバツの悪そうな顔をして、私から目を逸らした。学ランに身を包んだ彼らは、骨格と身長が不釣り合いな、つまるところ、極めて標準的な思春期的肉体で、それは私にとって幼稚園児や小学生と何ら変わりのない代物に見えた。かつての私がそうであったように、彼らはまだ子供と呼んで差し支えない、未熟な存在だった。(そして彼らは、勝ち目のない大人に歯向かわない程度には、利口だったとも言えるし、狡猾だったとも言える。)

「君たちね、ものには限度ってもんがあるだろう。」「はい、すいません。」

彼らと交わしたのはこれだけだった。瞬きをする間に、男子生徒たちは風に攫われていく砂のように姿を消した。代わりに背後から、今度は女子生徒の声が聞こえてきた。(いかにも夢らしい展開だと思う)

「ね、やっぱり大きいよね。」「先生の彼氏なのかな」「大人の男の人って大きいね」

ひそひそと話す声は、他人に聞かれたくないのか、むしろ聞かせたいのかわからない絶妙なボリュームで私の耳に届いた。(女子生徒達が話しているのが、他ならない私のことを指しているのは、ほぼ間違いなかった。夢に私の現実の体格が反映されているなら、身長190cm、体重100kg弱の巨漢が急に教室へ侵入してきたことになるからだ。)

見方によっては、私が通報されてもおかしくない状況で、私は微塵も悪びれていなかった。それどころか、一回り以上年下の生徒達に対して、歪んだ優越感すら持っていたように思う。

約束がある。

今日ここにきたのは、約束があったからだと、私は無条件に確信していた。その約束を君たちの大好きな先生は何より優先してくれるのだと、彼らに、大人気なく誇示していたのかもしれない。

(それでも中学校の教室へ、何も告げずにいきなり入り込むのはやっぱりまずかったと反省している。それが仮に私の夢の中であってもだ。)

ひそひそ話を続ける女子生徒達を確認しようと振り向くと、女子生徒達も、ほかの何人かの生徒達も消え失せて、女性教師だけが、ガランとした教室に立っていた。教室にあるはずの机や椅子はどこかに行ってしまって、彼女の背後に懐かしい色の黒板だけがぼんやり見えていた。

私は彼女に会う約束をしていた。ややもすると、それは私から一方的に押し付けた約束なのかもしれない。彼女の表情は、ぼんやりとしか見えなかったが、再会を手放しに喜んでいる様子ではなかった。

「あなた達だって、あんな風だったよ。信じられないかも知れないけど。」と彼女は言った。生徒達をやんわりと庇っているようにも聞こえる、穏やかな口調だった。声も顔も、15年前と殆ど変わらないように思えた。彼女は私の歳下にすら見えた。(そしてそれは、至極当然のことなのだ。私の夢を形作った源泉たる私の記憶には、今の私よりも若い彼女の記憶しかないのだから。)

15年前、あのヤンチャな男子生徒達と同じ学ランに身を包んでいた頃、彼らと同じように彼女を先生と呼んでいた私は、大人になっていた。そこでは私の身体と心だけが歳を重ねていた。

私は、流石にあそこまで酷くはないだろう、と反論したい気もしたが、口には出さなかった。(今になって思えばあのセクハラ少年たちは私のクラスメイトだったのかも知れないし、私自身であった可能性すら否定できない。彼らもまた、私の記憶の一部なのだから。)

彼女の前では、15年分歳を取った私もまだ生徒だった。生徒であり続けたいと思った。

「ご無沙汰してます。先生。」私は彼女に向かって深く頭を下げた。

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