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夢の話を聞いて欲しい 3

結局のところ、彼女とどのような会話をしたのか、残念ながら私は覚えていない。一つだけ覚えているのは、私達は用意された料理にほとんど手つけないまま、ログハウスを後にしたことくらいだ。それは、思わず会話が盛りがってしまったからだ、とか、料理がひどいものだったからだ、とかではなかったと思う。何故なら私は、不意に立ち上がりどこかへ歩いていく彼女を追いかけるようにその場を立ち去ったのだから。

ログハウスを出ると、そこにあったはずの校舎は忽然と消えてしまって、あたりには田園と雑木林が広がっていた。空はいつの間にか晴れていて、沈みかけたはずの太陽は頭上から私達二人を照らした。

彼女は何故か田園の脇を流れる用水路に沿った堤の斜面を選んで歩いていた。私は彼女の少し後ろを歩いた。彼女との間には2メートルほどの距離が空いた。(見慣れたはずもない光景がなぜか懐かしく思えたのは、彼女の少し汚れたランニングシューズのせいだろうか。)斜面には背の低い雑草が生え、お世辞にも歩きやすいとは思えなかった。私と彼女は何度も用水路に滑り落ちそうになりながら、それでもその斜面を歩くことをやめなかった。私達はしばらく無言でその斜面を歩き続けた。用水路はどこまでも直線的に続いていた。

不意に私は、彼女に伝えなければいけないことを思い出した。それどころか、私はそれを伝える為に彼女に会いに来たのかも知れないとさえ思えた。それほどに彼女に伝えなければいけないことがあった。

現実世界の話をしておこうと思う。
(個人情報漏洩を防ぐ為、一部の内容は改変している)

この夢の中の女性教師は、実際に私の中学校2年生から3年生の中盤にかけて、クラス担任教師だった。彼女がクラス担任として担当したのは、副担任を除けばそれが初めての経験だったはずだ。理科の教科を担当していた彼女は、当時私の所属していた運動部の副顧問でもあり、私は入学してまもなく彼女と知り合った。明るくポジティブな性格で、部活動や学業、将来についても色々なアドバイスをしてくれた。そんな彼女を慕うようになった私にとって、彼女がクラス担任になったことは大きな喜びだった。(当然、担任決定の際には思春期真っ只中の男子にありがちな、斜に構えた態度と素直になれない仏頂面で教卓に立つ彼女を眺めていたのだが。)

私の通った中学校では、2年生から3年生にかけてのクラス替えのない学校であり、担任もそのまま持ち上がりだったため、私は彼女と高校受験や卒業式を迎えられることを本当に心待ちにしていた。だからこそ、突如として彼女が学校を去ることになった時、およそ正常ではいられなかった。不安定な思春期の、受験を控えた殊更神経質な時期の私に、それを受け入れる余裕はなかった。そしてそれは、他のクラスメイトも同じだったのだ。

「先生、言いたいことがあったんです。」私は彼女の背中に話しかけた。彼女は振り向かないまま立ち止まった。彼女との距離が縮まって、手を伸ばせば肩に触れられるほどになってから、私は続けた。「先生に謝らないといけないことがあって、それで今日は会いに来たんです。あの時のこと、ちゃんと謝りたくて」

「もう言わないで。」振り返った彼女は泣いていた。頭上にあったはずの太陽が、いつの間にか彼女の後方に落ちようとしていた。夕日に照らされて、彼女の頬が随分と濡れていることに気がついた。彼女は随分と昔から、ひょっとしたらあのログハウスを出てから、あるいは15年前からずっと、泣いていたのかも知れなかった。

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