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設立6周年の日【hareruya】

2022年2月24日の本日、合同会社hareruyaは設立から満6年となりました。
いえい。パチパチパチパチ~👏
(すみません。昨夜から嬉しくて興奮気味です…)
と、いうのも…。6年も続けてこれたこと自体が私には本当に素晴らしいことなのです( ;∀;)早速振り返ってみましょう。


設立6か月前

勤めていた居宅介護支援事業所へ退職願を提出した頃です。
当時、管理者、ケアマネジャー2人の3人体制でした。
私が退職するにあたり新たに後任を採用するか、もしくはそのまま新事業所で私が担当するのか?「どちらでも責任持って対応します」と上司に相談をしました。

しかし、退職の理由が「独立型居宅介護支援事業所の開設」ということに対し「厳しいと思う」と心配されてしまい、なかなか話が進まなかった頃でもあります。上司への相談と同時に、承認を待っていてはスケジュール的に遅れがでると感じた私は早速開業に向けて準備を始めました。
この頃のことを別サイトにて詳しく公開しております。
こちらをクリック(pring)
(けれど、大丈夫かな…pringではさらけ出しすぎている感があります。
が、どこかの小説だと思って読んでいただけたら幸いです)
もし私のイメージが悪くなりそうな方はそっと閉じてくださいね☺


1期目

2016年2月24日、「関わる人の明日と笑顔を晴れやかにする」を理念に合同会社hareruya設立。転居後の新自宅兼事務所でこの日を迎えました。
会社の代表になった自覚はなく、ただただ始まった事が嬉しく感じた日でした。
それから3か月後、憧れの単独型居宅介護支援事業所
「ケアプランステーション晴れ空」開所。
前職場上司に配慮いただき、担当利用者さま20名をそのまま引き継ぐことができました。

すごく良い物件に巡りあいました。
こんな感じで事務所と自宅を区別しました。
貴重な写真。
無事に指定を受けました(;_:)感動…。

そんな感じで始まった1期目。何もかもが初めてで新鮮でした。
そして何よりも希望に満ち溢れていました。
(プライベートでは5人目が誕生。本当になにもかもが再スタートでした)


2期目

2期目のスタートは一言でいうと「混乱」
初めての決算が意味不明でとても大変でした。
一人でやることの楽しさを感じながらも、本業であるケアマネジャー以外にも会社経営の経理をすることの大変さ、もし自分に何かあった時にどうするのか?という不安を感じるようになった頃でもありました。
ずっと一人でも良いと思っていたのに「やっぱり仲間が欲しい」「私に何かあったときのためにも」と考えるようになりました。
仲間を増やす…。本業であるケアマネジャー仲間を増やしたいと思うと同時に「新しく事業をしたい」という想いがこみ上げてきました。

そんな私は考えた。これまでのケアマネ業務の中で困った事、こんなサービスあったら良いなと思う事で展開したい。そうしたらこうなりました。
どどん。

え?古物商?
名称はケア・シェアリング・ポノ?どこかで聞いたような。

今、申請書をみて気づいたこと。
そうでした、後に知られる「ケア・シェアリング・ポノ」は最初ここで考えていた名称でした(;・∀・)思い出し自分でもびっくりです。

ケア・シェアリング・ポノの由来

そうなんです。今でこそ病院付添サービスの名称となっていますが、当時のケアの意味には「お手入れ」「メンテナンス」の意味がありました。

古物商で何をしたかったかというと、

  • 不要になった介護ベットや車椅子、歩行器、手すり等の買取

  • 軽度者への車椅子や歩行器等の中古販売、メンテナンス
    (要介護1以下の方は車椅子をレンタルするにも様々な手順が必要となるため時間がかかってしまう。し、状況によってはすぐに卒業もあるので、介護保険外でできたらという考えがありました)

  • 簡単な手すりの設置(住宅改修)等請負
    (こちらも介護保険を使うとなると、1本の手すり設置にもあらゆる手続きを要し、見積から設置までに2か月くらいかかるので、介護保険外でできたら良いなという発想から)

ただ、はい(´-`).。oOこちらは諸事情にて実現叶わず…。
どなたかやりたい方がいたら当時の私の想いをぶつけたいくらいです☺
しかし、実は別展開がありました。それが3期に続きます。


3期目

3期目はhareruyaの第二のスタートと言っても過言ではない展開に。
(といっても開業3年目。早すぎやしませんか?)
仲間が欲しい。新たな事業を展開したいと考える私は移転を決定。
現住所となる沖縄市胡屋に転居いたしました。
(それに伴い、hareruyaとして初めての借金をしました。お金を借りる大変さ、「借金=信用してもらえるありがたさ、返済の覚悟」を身を以て経験した年でした)
事務所を借りるに至るまでも小さなストーリーがございますが、こちらはいつかまた☺(簡単にいうと、お導きや信じる者は救われる的な話です)


事務所は築50年くらいの外人住宅(戦後の沖縄で大流行)で、完全バリアフリーで使い勝手が良い。当初、値上げを検討していた大家さんに様々な交渉をさせていただきかなりお安く借りる事ができました。

こんな感じ。道に面しているし、駐車場も広いしで申し分ない転居先。
居宅介護支援のお部屋before
壁紙を貼る前に隙間を埋めます。
長男(当時14歳)もお手伝い。


じゃじゃん。遠目でわかりづらいですが、不思議の国のアリス柄。
天井も塗っていきます。の図の私。
お次は床にカーペットを敷きます。
カーペットを敷き詰め、照明を変えて良い感じ。
デスクを置いて、事務所らしくなってきました。
椅子がまだないのでゴミ箱が椅子代わり(笑)
居宅介護支援のお部屋完成。次男と次女が会社ごっこ中の図。
外壁を次男(当時9歳)が塗り塗り(はみ出てる…😂)
そんなこんなでhareruyaリフォーム完了。
後々、外の看板となった文字。3Dプリンターで制作いただきました。
玄関入って正面。
少し広めのトイレ。

転居後にお披露目会をし、沢山の方にお祝いいただきました。ありがとうございました😊

ありがとうございます。
ありがとうございます。
お披露目会当日、受付を手伝ってくれた弟(当時29歳。この年齢情報必要だろうか)

無事に転居を経て、すぐに面接にきたケアマネジャーを一人採用し、
居宅介護支援事業は2人体制となりました。
ほっとしたのも束の間。ここから新事業展開となります。

移転した年の10月。すでに温めていた事業案「病院付添サービス」を展開する事を決定。
経緯は

  • 一人で受診できずに病状悪化、入院となる高齢者をみてきたこと。

  • 入院となった高齢者は退院時には介護度が重度化している恐れがあること
    (仕事上、医療・介護の予防をとうたっているのに…。という違和感)

  • それは在宅、ホーム入居関係なく起こりうること。

  • 家族もそれぞれの事情があり、受診に付添たくても付き添えない状況があること。

  • 誰も付き添えない場合に、ボランティアとして動く人達がいること。しかし、それは持続可能ではないこと。

    しかし当時、病院に付き添うという事は介護保険ではなかなか認められず、自費でも対応できる事業所はほぼない状況。だったら、つくれば良いのではないだろうか。たまたま?自分の会社もあるし、やってみて必要とされなければ、やめれば良いだけの話。ただし、やってみて必要とされるなら続けたいきたい。そう決心した2018年の秋のことでした。

初めての手作りチラシがこちら。好きな花プルメリアをhareruyaのイメージフラワーとしました。
通院同行開始するにあたり作成した文書(介護保険外サービスがまだまだ浸透していなかったこの頃、何でこのサービスが必要なの?と聞かれる事が多く作成しました)

とまあ、ここまでが第3期目の事です。
お金も人脈もプライベートも?大きく動いた時期でした。


4期目

4期目のスタートは😭悲しい事に2回目の離婚から始まりました。
色々省略いたしますが…。ここまでご覧になった皆様はお気づきのことと思います。

  • 新事業を展開したばかり(実は前夫がこの部門を持つ予定でした。しかも介護タクシーも申請途中でした)

  • 2016年に誕生した乳児を含め5人の子を持つシングルマザーに。

  • 本業はケアマネジャーで担当件数30数件で、それだけでも多忙。

  • まわりには言ってなかったけれど、会社の口座残金がみるみるうちに減り、あと数か月で倒産という状況でもあった(通帳みるたび吐きそうになりました)

    どうしよう(´;ω;`)もうダメかもしれない。そう思った時期の事です。
    後になり、動画で振返っております。後ほどご紹介いたします。

    けれど、私は思っていたよりも強かった。何より周りに恵まれていました。
    振り返ると私を応援してくれる家族、hareruyaのスタッフ達、hareruyaのお客様、友人、その他SNSで繋がった方々…。
    沢山のエールをいただき、4期目を乗り越える事ができました。
    4期目は本当にがむしゃらに頑張ったので、新たに報告できる事はないものの、一ついえば病院付添サービスを必要とする方が多くいる事を知り、継続していこうと決めた頃でもありました。


5期目

5期目は一言でいうと「チャンス到来」
病院付添サービスをおこなう中で沢山の課題とぶつかりました。

  • 収益化どころか赤字問題
    (お客様になるべく負担かけないためという思いと、少しでも利用者が増える事でニーズ調査やデータ集計をしたいと考えた結果、料金設定をギリギリにしたため)

  • 介護保険と比べられ、1事業所のサービスは信用されづらいこと。

  • サービスの良さを伝えるための、また必要な人に届けるための宣伝広告をするにも予算がとれないこと。

そんな悩みを抱えどうしたら良いかと思っていたら、ふと目に飛び込んできたチラシ「中小企業基盤強化プロジェクト推進事業説明会」
よくわからないけれど、地域課題に取り組んでいる中小企業の抱える経営課題に対してサービス開発、販路拡大等の取組をおこなった企業へ経費の補助が下りるらしい。これは行かなければと説明会に行き、希望を見出し、エントリーしました。

そこから色々省略しますが
・書類審査
・プレゼン審査

を通過し、無事に採択決定となり新たに動き始めたhareruya。

発表するプレゼン資料つくりをしながら誕生日を迎えた時のFacebook投稿。

採択決定となったその名も
「介護保険外新サービスの提供と販路拡大プロジェクト」

  • 今ある既存サービス(病院付添)に加え、介護タクシーとセットでサービス提供する(介護タクシーを自社展開したと想定し、地域の介護タクシーさんと共同でおこなう)サービスをおこなう。

  • 介護の専門家を交えて、病院付添サービスの体制や収益構造について指導、助言を受ける専門家会議の開催。

  • これまで手が出せなかったホームページやパンフレットでの宣伝広告。

    を実施し、顧客ニーズを満たした上に、既存サービスの顧客増、収益化をはかるというプロジェクトとなりました(2020年突如現れた新型コロナ感染症の影響をうけつつも、その中でもベストを尽くせたと自負しております)

結果はこちら。

中小基盤強化プロジェクト推進事業「R2年事例集」より

プロジェクトを行う上で経費の補助を受ける事が出来たことも大変ありがたい事でしたが、それ以上に得られた利益。それは県が認めた新事業という「信用」でした。こういったプロジェクトをしているという事を発信した時に得られた反響は、その後のhareruyaの原動力となりました。


病院付添サービスが注目され、新聞にもご掲載いただきました。


当時、事業継続するための収益化についてご助言をいただき、よろず支援拠点に大変お世話になりました。コーディネーターの堀家さんには今も大変助けられています。ありがとうございます。


琉球新報R2年6月15日


沖縄タイムス経済面R2年7月30日

友人の協力のもと動画も作成いたしました☺


こちらは課題解決プロジェクト内で作成したパンフレットと、サービス紹介動画。

様々な経験をさせていただいた5期目となりました😊

5期目プライベート編

ぶっ飛ばしてきた5期目も終盤にさしかかった頃、私の中でなにか変化が起きました。2020年冬、個人的に活動したい目標ができ、2021年1月7日に公開した動画がこちらです。
(お分かりの方もいるでしょう。前半に後ほどご紹介しますとお伝えしたものになります)

沖縄の貧困といわれることについて考える「Rich Heartプロジェクト沖縄」を発起いたしました。
色々お伝えしたい事はございますが、長くなるため、また別の記事にてご紹介させていただきたいと思います😊

6期目

さてここまでやってまいりました。つい先日の事までになります😊
2021年2月1日~2022年1月31日までのことです。
記憶に新しい方もいらっしゃると思うのと、活動の範囲が広がりすぎたため箇条書きでお伝えさせてください(決して文章を打つのに疲れてしまった等はございません。多分)

活動1.中小企業基盤強化プロジェクト推進事業R3年度エントリー、採択決定
「企業向け新サービスの販路拡大プロジェクト」

沖縄県初産業ケアマネとして「仕事と介護の両立サポート晴れるや」をサービス開発いたしました。
沖縄タイムス経済面(R4年1月11日)
琉球新報(R4年2月16日)

活動2.プライベートケア(介護保険外サービス)団体発足@Twitter

2021年1月30日発足、clubhouse、Twitterスペースで全国の仲間と、毎週日曜の朝6時~介護保険外サービスの可能性について語り合う。
(自称、変態変人の集まりです)
Twitterでの活動は終了し、現在はYouTubeライブに進化しております。


活動3.「カイゴしながら働くを考える」発足

こちらは活動1.をおこなう際に、「仕事と介護」をおこなってきた当事者や、それらを目の当たりにした方の意見を聞きたくて発足。
「あなたの隣のカイゴ屋さんココカラハピネス」の中松氏の力添えいただき全5回開催できました(今後、時期をみて特別編開催予定😊)


活動4.実践的地域包括ケアシステムを考える「ソーシャルリース沖縄」の理事

これまでケアマネジャーとして従事するなか、国の掲げる「地域包括ケアシステム」は理想でありながらも、ボランティアや地域を資源とする難しさを感じておりました。
しかし、民間企業の協力のもと、今ある制度やサービスから零れ落ちる部分を拾い上げサポートする「ソーシャルリース沖縄」があれば、皆が目指す、「馴染みの地域でいつまでも暮らす事ができる」と考えています。

ソーシャルリース沖縄(イメージ図)


ソーシャルリース沖縄の産みの親はなんと中野裕弓さん
(以下、ソーシャルリース沖縄ホームページより引用)

ソーシャルリースとは、元世界銀行本部人事マネージャーで「世界が100人の村だったら」の原文訳者の中野裕弓さんがつくられた造語です。
ソーシャルリース(社会の環)というシステムを構築することにより、自分のところの余剰が、その環の中でグルグル回り、必要な人のところに届く。また自分に必要なものもその環の中から調達できることにより、人々の心が分かち合いで豊かになり、無駄がなく楽しい世界をつくることを目指しています。

中野裕弓さんことロミさんをお見送りに行ったときの写真(那覇空港にて)

と、ここまで6年間を振り返り、大体のことをお伝えできたのでないかなと思います😊
他にもVALUで得た各業界の皆様とのご縁や、Twitter仲間がいたから乗り越えられた日々のこと(Twitter歴12年)、よろず支援拠点のこと、産業ケアマネで繋がったケアマネジャーを紡ぐ会のこと、RichHeartプロジェクトソーシャルリース沖縄を通じてできた仲間たちのこと、我が子ども達が母を支えてくれた日々のこと等、色々とお伝えした事は多々ありますが、また今後一つずつ掘り下げて記事にできたらと思います。

6周年を聞き、スイーツの差し入れをしてくださいましたカシータの宮里代表、いつもありがとうございます😊
それを選ぶスタッフ😊


7期目の目標、やりたいこと

⑴この数年間の活動を言葉や文章で表現し残す(本日、早速実施)
⑵既存サービスの体制強化(居宅介護支援事業、病院付添)
⑶新サービスの周知活動、顧問先企業の拡大
⑷活動している事の継続

 ・hareruya
 ・RichHeartプロジェクト
 ・プライベートケア
 ・ソーシャルリース沖縄
 ・5人の子の母業

ここまでhareruyaを支えてくださった皆様、心より感謝申し上げます。
いつも近くで支えてくれる家族、子ども達、スタッフ、大切な方々、ありがとうございます。

引き続き、hareruyaをどうぞ宜しくお願いいたします😊

2022年2月24日
合同会社hareruya
代表 大城五月

私を支えてくれてありがとう。大好きなhareruyaスタッフ達。
今後とも宜しくお願いいたします。

私とさんかくしおハッカのコラボnoteはこちら