短読④ この海の水を抜いたらたくさんのかなしいものが出てくるだろう
はじめに
四首目は、丑野つらみさんの歌です。ご投稿ありがとうございました。話し言葉(口調)の文体がもたらすパワーについて考えました。どうぞよろしくお願いします。
まず読んで思ったこと
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〈かなしいもの〉という表現は、抽象度が高いので、人それぞれにイメージを呼び起こすような、かなり余白のある表現で、だからこそ読者が思い思いに想像する余地や面白さがあるのだろうなと思いました。
音声でも話していますが、この歌で「この海の〜だろう」と思っている人は、海にとってはおそらく外部にいる人で、積極的に海に関わりを持とうとしているというよりかは、ふらっと海に来て浜辺の方から見ているような観測者的な立ち位置にいると思うんですね。加えて「だろうか」という疑問形ではなく、「だろう」という表現からは、自分のなかで海への見方が完結しているのだとも思うんです。この海を見たときには確かにそう思って、でも海から離れたらこの思いも、ふとした瞬間に回想されつつ、また生活のなかにしまわれていくような感覚を少し思います。だからある意味、当事者性が薄い感じにつながってくるのかなと感じました。
また話し言葉(口調)的な文体は、程度はあれ、読者にこちらを振り向いてもらうような、呼びかける効果があると思うのです。呼びかけられると、一瞬立ち止まって応答したくなるようなコミュニケーションの時間ができやすい。ただこの歌では当事者として訴えるというよりも、外部から観測したものを手渡したという感じなので、読者としては「あなたはそう思ったのですね」で会話が終わるような印象もあります。ただ、踏み込んでいくよりも、話し言葉的に発されたこの歌の人の思いの質感やムードをともに味わうことに重きをおくことが、作品の一番良い受け取り方のようにも感じました。
個人的な好み、一読者の欲望の話をすれば、話し言葉の文体を選んでいるので、この歌の人は海の水を抜いたらどんなかなしいものが出てくると思ったのか、あるいは海の水を抜いてしまったら何が起きそうか、この歌の人だからこそ見えたもの提示して、もう一度読者に問いかけることによって、語り手の持つ話し言葉のパワーをさらに発揮していくのも面白いんじゃないかなあと思いました。海の水を抜いちゃったら、何が起こるんだろうなあ。…どうなると思います?
参考リンク
池の水ぜんぶ抜く:https://www.tv-tokyo.co.jp/ikenomizu/
企画趣旨はこちらから
https://note.com/harecono/n/n744d4c605855
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