短読11 鬼になり十秒数えるかくれんぼ いずれ孤独と手を組むために
はじめに
十一首目は、ふじはるさんの歌です。ご投稿ありがとうございました。誰がどこから見ている視点なのかを掘り下げていきました。どうぞよろしくお願いします。
まず読んで思ったこと
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この歌が上の句から下の句にかけて少し飛躍していく(場面がジャンプして移り変わる)感じがあるのは、一字あけの効果もあると思うのですが、歌の視点が今現在かくれんぼをしてる人の視点に固定されていないからだなと思います。少し説明が難しいのですが、〈いずれ孤独と手を組むために〉という未来を予想させるような表現は、むしろこのことを経験した(あるいはなんらかの方法で知っている)人にしか言うことができないことだと思います。だから、かくれんぼをしている真っ最中の人にとってはこれから得ていくであろう経験のはずなので、そこにギャップが生まれやすいのだと思います。
〈いずれ孤独と手を組む〉をもう少し噛み砕いて読んだときに、無茶苦茶な困難というよりもじわっと人生の荒波を超えるべく、孤独を自分の内側に敵ではないものとして引き入れようとする感じがしてきました。そうなるとこの歌は鬼側の孤独というよりも、孤独と共存するための準備の歌というほうがしっくりくるような気がしますね。それでも、かくれんぼにおいて孤独を実感するのが鬼側というのが不思議というか、鬼って隠れている側と違って自分で動ける側だからそのままの行動力で飛び出していけそうな気もしますが、そういう側だからこそ実感する一人、つまり心を同じくするような仲間が周りにいない感じもあるのかもしれません。
個人的にはこのがらっと場面が変わっていく感じ、つくった人の中では多分イメージできている感じを好ましく思う傾向にあるのですが、一首として見たときは、やはり駆け足で言いたいことが語られている感覚があったので、何を見せたかったのか、もう少し言及があるほうがわかりやすいのかなとも考えます(まあわかりやすければ良いとも言い難かったりしますが)。
参考サイト
・かくれんぼ:https://japan-kakurenbo.com/
企画趣旨はこちらから
https://note.com/harecono/n/n744d4c605855
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