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短読20 あたら夜にライター強く押し込めば儀式のように輝く炎

はじめに

20首目は、一色凛夏さんの歌です。ご投稿ありがとうございました。思いの強さが作り出す歌の世界について考えました。どうぞよろしくお願いします。

あたら夜にライター強く押し込めば儀式のように輝く炎

一色凛夏

まず読んで思ったこと

 まずこの歌の初句の〈あたら夜〉なんですけど、〈あたら夜〉っていうのは「明けてしまうのが惜しい夜」と書いてありました。(と辞書に書いてあるのを)一応確認しました。私、最初この歌を読んだときは、あの面白いなぁと言うか不思議な歌だなと思っていて。それはなんでかと言うと、この夜明けが来てしまうと惜しいような夜にライターで炎をつけて明るくしたら、夜が明けちゃうんじゃないのかなと思って、そこが少し気になった感じがしています。
 でもこの炎っていうものが、ボワァとこう揺らめいてる感じってなんか魔法みたいというか、魔力みたいなものが何か感じられるんだろうなって思うんですよね。そこのちょっとミステリアスと言うか、神秘的な感じみたいなのが歌の中にはあって。この歌を読んでいたときに、この儀式のようにっていうのが、儀式のようにしている、儀式めかせているのは(歌の)私なんじゃないかなっていうことも一つ思っています。この明けてしまうのが惜しい夜にライターを強く押し込むっていう条件を重ねることによって、それが儀式のように輝く炎ってなんか炎が発動しているような感じがするんですけど、むしろこの明けないでくれっていう気持ちのもとに行為をすることで、それが儀式のようになっていく願いの強さみたいなものがこの歌の中にはすごく込められてるのかなーって思いました。だからこうやって直接的に「こうあって欲しい」とか「こうなれ」みたいな願いは直接書かれてないんだけど、そういう気持ちのエモさみたいなものが、結構歌の中にはあるんじゃないかなって思いました。

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 「儀式」って一般的には形式的なものの認識があると思うのですが、本来は人間の願いや祈りを神(超自然的な存在)に捧げるところから始まっているわけで、そういう「儀式」の原始的なところに立ち返るようなシーンを見せてくれたのがこの歌の良いところだなあと思います。雨乞いの儀式も、「雨よ降ってくれ!」という願いのもとに行われていたと思うので。
 でもやっぱり明けてほしくない夜に明かりを灯すのは明るさが増えるような気がするから、願いに対する行為の適切さとしては少し疑問の余地がなくはありません。そこに引っかかるとこの歌の世界が広げにくいかもなあとは思いました。基本的には炎の持つ魔力性に自分の願いが通じていくような感覚を読んでいくことがこの世界観に浸らせてくれる気がします。
 あとライターって必要がない人には生活の中であまり存在感のないアイテムなので、この人は日常的に持っている人なのかなあとか思ったり、逆に普段づかいしないからこそライターが魔法アイテムのように見える可能性も考えていたのですが、結局、この歌の人の心に強くある思いの強さが状況やアイテムを儀式めいたものに作り出す、そのことが一番魔力的で創造的な行為なんじゃないかなあと思った次第です。

企画趣旨はこちらから

https://note.com/harecono/n/n744d4c605855


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