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問題解決の「切り口」は学校の個性である
春学期が始まって1か月ほどたち、授業にも慣れてきました。秋学期に比べてかなり穏やかな日々を送っている気がします。
さて、いつも長い投稿ばかりだと疲れてしまうので、今日は(比較的)短めに。
1月にハーバードの法科大学院で授業を受けていた時に得た大きな気づきは、問題解決の「切り口」は学校によって大きく異なるということでした。
私はケネディスクールという公共政策大学院に通っていますが、同じハーバード大学傘下であるハーバードロースクール(法科大学院)の授業も取ることができます。
※これをcross-registration (他学部履修)といいます。
今日書くのはその制度を使ってロー・スクールで『国際労働移動(International labor migration)』に関するセミナーを履修したときの話です。
その日の授業では、2022年のカタールワールドカップにおける移民労働者の搾取の問題を扱いました。問題の詳細については下記のポストを是非ご覧いただければと思いますが、当該ワールドカップは人権上大きな問題を抱えていました。
昨日も呟きましたが、カタールワールドカップでの外国人労働者の扱いは本当に悲惨なものでした。過去最高となる26兆円以上の巨費を投じて、カタールはスタジアム7棟の新規建設を含む大規模なインフラ開発を行いました。… pic.twitter.com/p4eRAc08BD
— Largo (@Largo37980797) January 12, 2024
その日の授業では、まず前半にそのような人権問題を整理した上で、後半に4~5人のグループに分かれて「解決策」を議論することになりました。
教授の発したこの「解決策(solutions)」という言葉が、今回の私の気づきのきっかけになりました。
私の通うケネディスクールで「解決策」と言えば、それは必ず「システムをどう変えるか」を指します。政治家、官僚、専門家として、問題がこれ以上起きないようにするためにどう仕組みを変えるべきなのか。それが私にとっての「解決策」でした。そこで私は当然のように、解決策として、FIFA役員の評価設計を変えるだとか、建設事業者の抜き打ち検査を義務化するだとか、そういうシステム改良の案を出しました。
グループ内では私が最初に喋ったのですが、その後に喋った学生(全員ロースクール生)の発言は衝撃的なものでした。
皆口を揃えて「ILO条約XX号とカタールの国内法XXに違反するので、過剰労働があった労働者と家族に対してRemedy Fund*から損害賠償すべき」といった「法的な解決策」を挙げたのでした。
*Remedy Fundとは、労災が発生した労働者への補償のために資金をプールしておくシステムのこと
さほど大きな違いに見えないかもしれませんが、私は公共政策大学院と法科大学院の大きな思想の違いを表していると私は感じました。
まず、ロースクールの学生の出す「解決策」は治療先行でした。既に起こった問題に対してどう対処するのか。それに対して私の意見は予防先行でした。今後この問題が起こらないようにするにはどうすればよいか。
ロースクールの学生の多くは弁護士としてクライアントを持つことになります。その人が受けた搾取と対峙したとき、「では今後それが起こらないように頑張ります」では仕事が成り立ちません。今目の前にいる被害者に最大限何ができるかをまず考えるでしょう。その意味で治療先行なのも納得がいきます。
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一方でケネディスクールの学生は、政治家や官僚などのパブリックリーダーとして、過去の事例から学んで、よりよい仕組みを作っていくことが大事になります。目の前の問題への対処も重要ですが、再発防止策が極めて重要です。
![](https://assets.st-note.com/img/1708663708183-BOm1WT7KlW.jpg?width=800)
さらに、ロースクールの学生は「弁護士個人として、被害者個人に何ができるか」という「個人と個人の関係性」を前提にしていますが、私たちケネディスクールの学生は多くの場合、「政府として、よりよい社会のために何ができるか」という「政府と社会の関係性」を前提にしています。その差も発言の違いに表れていると思いました。
また、もしその場にビジネススクールの生徒がいたら、と考えると、彼らは「搾取に関わった企業」を主語に、どのような対処や再発防止ができるかを考えたかもしれません。公衆衛生大学院や、教育大学院の生徒がいたら、また全く違う角度の視点が出てきたでしょう。
このように、同じ問題に対峙したとしても、問題解決の「切り口」は学校によって様々です。これはどれが良い悪いではなく、全て必要な視点です。私たちは基本的には同じ学校の学生としか関わらないため、その独自な「切り口」が暗黙の前提になっていることがあります。しかし、他の「切り口」を持つ学生と触れることで、自分たちの「切り口」が当たり前ではないことを自覚し、より包括的な解決策を探っていけると思いました。
注1: 同じ学校の中にも違う「切り口」を持つ生徒はもちろん存在しますが、あくまで一般的な傾向として論じています。
注2: 厳密にいうと、問題解決の「切り口」が違うというよりかは、そもそもの「問題」の設定の仕方が異なるのですが、込み入るので「切り口」と書きました。
ではまた。
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