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抽象表現主義と深い精神世界 マークロスコ

絵画という一つの芸術表現において人間の内在する苦悩や恐怖、残酷さ凄惨さなど深い精神世界を様々な手法を用いて表現を試みた20世紀を代表する芸術家とそれに準ずる世界的アートムーブメントについて


抽象表現主義 Abstract expressionism

抽象表現主義は1940年代後半〜50年代にかけて
第二次世界大戦後アメリカ、特にニューヨークを中心とした世界的アートムーブメント。
その前に起こったシュールレアリスムで画家や芸術家は夢や精神世界などといった目にみえないものを初めて絵画で表現しようとした。
サルバトールダリは自身の夢をミロは空腹時に見えた幻覚をマグリットやデキリコのような見たことのない摩訶不思議な景色を画家それぞれの感性や眼差しによって
絵が描かれた。
その後それらの絵画運動はより深い精神世界や個人の把握できない無意識下の潜在意識、スピリチュアルな体験、死後の世界や人智を超越したものを表現するため
より色や形が抽象化されていき、意味を持たない図形や説明が一切ない題名
が巨大なキャンバス一面に描かれるようになっていった。
より多くの謎を秘め次第に崇高さや神秘性までもが絵画に含まれていった。

そしてジャクソンポロックがアクションペインティングを発明し
モーリスルイスのドリッピングやマークロスコに代表されるカラーフィールドペインティングといった新しい絵画様式が生まれた。

その後アンディ・ウォーホルやキースヘリングに代表されるポップアートがアメリカ美術を牽引していく事となる。


この運動を境に世界の美術市場はヨーロッパからアメリカを中心としたものへと変わっていった。

そして今の現代アートへと続く

マークロスコ

巨大なキャンバスに浮かび上がるいくつかの横に伸びた長方形
彼の絵は深い精神性と崇高さを鑑賞者に感じさせる。
初期の頃は明るい色面で構成されていた作品が多かったが晩年になるにつれ
画面は次第に黒や赤を中心とした暗い色を多く使った陰惨とした作品へと変化していく。



ホワイト・センター
1950年に描かれたこの作品は2007年にロックフェラーによってカタール王室に
7490万ドル(約76億5000万円)で売られた


自身の絵の前に立つマークロスコ

Paintings Like Nightfall
Rothko once said to a friend, “Often, towards nightfall, there’s a feeling in the air of mystery, threat, frustration—all of these at once. I would like my paintings to have the quality of such moment. 

夕暮れのような絵画

ロスコはかつて友人に言った、「多くの場合、夕暮れに対して、謎、脅威、挫折感をその空気の中に感じることがあります。私は自分の絵にそのような瞬間を持たせたいと望んでいます」

https://www.moma.org/learn/moma_learning/mark-rothko-no-16-red-brown-and-black-1958/より参照



ロスコ・チャペル

アメリカにあるこの施設はロスコチャペルといいロスコの壁画作品が14点飾られた礼拝堂である
人々はこの空間で思い思いの瞑想に耽る

1903年にラトビアで生まれたアメリカの画家、ロスコ(本名:マーカス・ロスコヴィッツ)は、家族とともに1913年にアメリカに移住し、1921年イェール大学に進学し英語、フランス語、ヨーロッパ史、初等数学、物理学、生物学、経済学、哲学史、一般心理学を学びました。彼の最初の目標はエンジニアか弁護士になることでした。2年後に中退し、ニューヨークへと移りました。

1925年、彼はアーシル・ゴーキーという画家の指導のもと、パーソンズ美術学校で学び始めました。ゴーキーはロスコや他の抽象表現主義の画家たちに大きな影響を与えました。この時期、彼とゴーキーはヨーロッパのシュルレアリスムに興味を持ち、絵画に生物的な形態を取り入れ始めました。

しかし、後にロスコは自身の作風を変え、カラフルな地面に浮かぶ色の領域を描くスタイルへと移行していきます。このスタイルは、大きな開放的な空間と鮮やかな色彩の使用が特徴で、1955年に批評家クレメント・グリーンバーグによって「カラーフィールドペインティング」と名付けられました。

ロスコは、色彩豊かな長方形を組み合わせて作品を制作し、その組み合わせによって生じる相互作用や視覚的な効果に興味を持ちました。彼はこのスタイルを用いて、無限の可能性を探求しました。

しかし、健康面では長年の不安、飲酒、喫煙の習慣が影響し、1968年までには体調が悪化しました。

1970年、慢性的なうつ病に苦しんでいたロスコは、66歳で自殺しました。それまでのキャリアで多くの作品を残し、彼のカラーフィールドペインティングは批評的に高く評価され、商業的な成功を収めました。

ニューヨーク近代美術館より参照
https://www.moma.org/artists/5047



マーク・ロスコ、無題、1953年、キャンバスに顔料糊と油彩
西53番街のスタジオで、 『無題』のバージョンと思われる絵を描くロスコ、1952年から1953年

シーグラム壁画

バウハウスの著名な建築家ミース・ファン・デ・ローエによって建てられた、光り輝く広大なマンハッタンのタワー、シーグラム・ビルディング内にある超高級レストラン、フォーシーズンズ・レストランに飾る絵画を制作を3万5000ドルで依頼されたが彼はそこで食事をする上流階級の人間に大きな嫌悪感を抱いていた、彼は
画家仲間のジョン・フィッシャーに対して「I hope to ruin the appetite of every son of a bitch who ever eats in that room(あの部屋で食事をするすべてのクソ野郎の食欲を台無しにするようなものを描きたいと思っている)」と語った。
その後彼はすでに壁画を完成させていたが、実際に壁画を届ける前に、壁画が飾られる部屋で食事をしたいと考えていた。そしてほぼ完成したフォーシーズンズレストランで妻メルと食事をした際レストランの雰囲気に嫌悪感を感じ、彼はすぐに手数料の支払いを全額返し、契約を破棄。「そのような値段でそのような食べ物を食べる人は、私の絵など決して見ないだろう」と彼は当時スタジオアシスタントに怒鳴りつけたと言われている。

その後シーグラムのために完成させた30枚の壁画のうち9枚をロンドンにあるテート・モダンに寄付し現在はロンドンのテートモダンとアメリカワシントンdcのナショナルギャラリーと日本の千葉県にあるDIC河村記念美術館に展示されている。



この一連の物語はアメリカで RED という名で舞台化され
米国で最も権威のあるトニー賞を受賞されている
この画像はその舞台のシーン


こちらはハーバード大学の依頼で制作された壁画
現在はハーバード大学美術館に展示されている


ロンドン テートモダン

ロンドンのテートモダン内にあるシーグラム壁画

アメリカ ワシントンDC National gallery of art

シーグラム壁画
シーグラム壁画以外にも多くのロスコ作品が展示されている

日本 千葉県 DIC河村記念美術館


実際のレストランの計画に基づいて配置されている



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#現代絵画 #抽象画#絵画#芸術

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