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ぼざろを見たバンドマンの友人に言いたかったこと

 俺は自分がバンドでギターをやってるということを学校で人に話していないのだが、今日アニメの話を学校でしていると、自称バンドマンの友達が「てか喜多ちゃんギター上手くなるの早すぎるだろ、あんなのちょっと嘘すぎるね」とか何故か得意げな顔で俺に語ってきた。

 俺は、本当に、心底、こいつが、可哀想だと思った。

 アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は、非常にバンドマンに配慮されて作られたアニメだった。

 バンドマン、特にギタリストという生き物は、アニメや漫画やイラストなどの娯楽作品で、楽器が適当に描かれている事を極端に嫌う。題材として取り上げてくれただけで、ありがたい事なのに。

 まずエレキギターの非対称な形は絵を描いてみると分かるが、すごく遠近感が取りにくい。そのせいで、女の子は整っているのに、ギターが歪んでいるイラストというのはかなり多い。でもそれは女の子のかわいさにマイナスに働くことは無い。ギターの弦が何本であろうと、イラストの通りに抑えたら鳴るコードが不協和音だったとしても、ギターを知らない大多数の人間からすれば知ったこっちゃないのだから。
 同じように、楽器の弾き方、練習の仕方、機材の使い方など、楽器をしているからこそ気になってしまう間違いや歪み(ゆがみと読むんだぞギタリスト諸君)というのは、たくさんある。

 しかし、ぼざろにはそれがほぼ無かった。楽器が、バンドが、適当に描かれているから見るの止めたって人はいないんじゃないかな。本当にこだわって描かれている。

 これを可能にしていたのは、製作者のバンドに対する愛であり、熱意であり、厚意であり、配慮だ。
 バンドをやったことがある人でも、純粋に、新鮮に、バンドっていいな〜俺もやってみたいな〜と思える程の「気にならなさ」があった。(バンドマンやライブキッズを喜ばせる小ネタもたくさん散りばめられていた)実際に俺は彼女らに憧れの気持ちを強く抱いた。

 そのこだわりの凄さとありがたさが分かる事だけが、バンドをしてる者共の唯一の特権であり、それ以外の部分で「俺バンドマンだから分かっちゃうんだよね〜」みたいな顔をしてるのは本当に最悪のクズだ。そういう目線でしか見れない人に絶対になりたくない。どうしてもそういう所が気になって興醒めしてしまうという人は、純粋にアニメを楽しみたいなら今すぐ楽器を止めた方がいい。呪われている。止めてから、アニメ見て、バンドやってみたくなって、ギターを買って、アニメの影響で始めましたって言え。それかずっとバンドマンだけで集まってつまんねー機材の話ばっかりしてろ。

 第一、喜多ちゃんのギターの上達が早いのは、ぼっちちゃんが教えるのが上手いからでしょうが!もっと言うと、喜多ちゃんが真剣に、ぼっちちゃんが一生懸命教えてくれてる気持ちに応えたいだとか、ぼっちちゃんを支えるバッキングギターを弾きたいだとか思って猛練習したからだし。ぼっちちゃんがギターを教えるのが上手いのは、ずっと誰かに「めっちゃギター上手いですね!教えてください!」って言われるのを妄想して1人練習してきたからだ。ギタリストってモテそうだからとか不純な気持ちで始める俺らとは違う。何故そこまで想像が行き届かないのか。俺とアニメの話がしたければそれぐらいは妄想してヨダレ垂らしてから来い。

 とかその場で言いたかったけれど、実際は「あ、へへ、そうだね、喜多ちゃんすごいよね、練習頑張ったのかな、へへ」ぐらいしか言えなかったので、noteに書きなぐって発散しているというわけで。卒業間近になってようやく出来た学校の友達失いたくないからね、へへ。

 ぼざろについて書いたの2回目だ。好きだな〜。



※楽しみ方は人それぞれ。

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