私の寛容ポイント、不寛容ポイント

途中まで書いていたnoteがあったのですが、ふと気が変わって急遽内容変更。ささっと書きます。

twitterのタイムラインに流れてきたこのツイートを見て、思うところがあったんです。


怒ってしまう時「被害にあった事実」しか見えてない。
怒りにくい時=周りのことを考えられる。

なんだそう。
なるほど、この事例で行けば、私怒りにくい人です。だってこの店員さんわざとじゃないでしょ?おそらくうっかりです。2コマ目で謝ってますよね。なら別に仕方ないじゃない。誰でも失敗くらいしますよ。

そりゃもう、取り返しのつかないくらい激しく服が汚れたり、全身びしょ濡れレベルだったら、少しはムッとするかもしれないけど。
だけどやっぱりこの後で誠意を持って謝ってくれたら、別にそれでいいです。

やっぱり私にとって、「された失敗」よりもその後でリカバリーしているか?つまり「ここぞのタイミングで、ここぞの思いやりワードが言えること」の方が大事なわけです。


それから、もう一つ理由があって、それは「私もうっかりしているから」です。そそっかしいのですよ。基本的に。だから怒る資格なんてないんです。


そう、これが私の3大寛容ポイント。順番に軽くご説明します。


そそっかしい人

こないだもPTAのお便りを印刷するにあたって、やらかしました。
24人クラスだから、「よーし24枚ね。24、おっけー。コピースタート!」って勢いに任せてコピーしようとしたら、慎重な別の役員の方が「2コ1印刷だから12枚だよね。」って声をかけてくれて助かりました。危ない。

その後、試し刷りの出来が微妙に薄かったので、濃くしようとしたんです。1段階濃くするボタンを押したはず・・・だけどなんかあんまり濃くなってない、むしろ薄い?と思ったら、濃淡を逆方向に押してました。

挙句の果てに、印刷したお便りを束ねる輪ゴムがない!「さっきまで持ってたのに。おかしい〜」と大騒ぎする始末。
「ポケットの中じゃない?カバンのなかは?」と散々他の役員の方にも巻き込んでおきながら、オチは自分の腕に巻いていたという。

もちろん、いつもじゃないんだけど、なんかぼーっとしてる日はびっくりするくらいうっかりしています。
だからと言ってそれが許されるとは思ってませんよ。ちゃんと謝りますし、責任も取ります。
ってなわけなので、こういう悪意のないうっかりとか、ミスには寛容だと思います。


方向音痴

同じような理由で方向音痴にも優しいです。
だって私も激しく方向音痴ですから。
グーグルナビのおかげで日本どこでも迷子にならない!って思っていたけど、それでもたまに迷子になるんです。
なんかグーグルマップのナビの表示速度が遅い時があるんですよ。すると自分が間違っ多方向に歩いていても、それがわかるまでにタイムラグがある時があるんです。これを何回か繰り返す時があって。するとグーグルナビあるのに、迷子状態の出来上がりです。

もちろん回避策として、需要な場所へ行かないと行けない場合は早めに行くか下見するようにしています。だから方向音痴で迷子で遅れたって人には怒る気にならない。というかむしろ親近感。方向音痴あるあるを語り合いたいくらいです。


酔っ払い

最後酔っ払い。これはほんまはよくないと思います。
だけど何回か激しく酔っ払って道で寝たり、電車乗り過ごしてものすごい遠くまで行ってしまった経験がある身としては、これもあまり怒れないかな。
なんせ夫とも酔っ払っているところを救出されたことがきっかけで、出会っていますからね。だから酔っ払ってもいいんだ〜とは全く思わないし、もういい加減記憶をなくすほど飲むのはやめようと思っています。
だから今後はない予定ですが、未来永劫ないとはいえないしなぁ。
とにかくまぁ酔っ払いにも割と寛容です。


要するに3つとも自分ができていないことです。できてないことで他人にとやかく言うなんて、おかしいでしょ?
他にも細かく言うと、落ち着きがない人、暗算苦手な人、好き嫌いが激しい人。これも自分が該当するから寛容になれるんだと思う。

つまり最初のツイートで言う所の、「周りのことを考えられる」からです。もっと言えば、「相手の気持ちがわかるから」だから怒る気になんてなれない。


不寛容ポイント

逆に寛容になれないポイントは、たぶん探せば色々あります(笑)
こないだ書いた、「ここぞのタイミングで、ここぞのシチュエーションで、ここぞの思いやりワードがない。」とかものすごい嫌ですもん。
「相手の気持ちになって」と言われても、そこが想像しづらい。
「むしろこっちの気持ちを考えてみてよ!」と言いたくなるくらい。


結局自分に置き換えて想像できることであれば、許せるんですよね。
だけどそうじゃない場合、つまり相手の立場を想像しても理解しかねる場合、不寛容になるんでしょうね。

「全てに対して寛容に」こうあることはなかなか難しいのですが、共感や理解はできなくとも排除はしないようにありたいものです。

そしてこの「寛容ポイント」と「不寛容ポイント」が比較的会う人同士が居心地のいい関係なのでしょう。あるいは「不寛容ポイントであっても許せるかどうか」とも言えるかな。
これが発展していったものが、親友や恋人、生涯のパートナーになっていくのでしょうね。そんな考察をしてみた話でした。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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