こだわり発見。

ある出来事があって、自分の中の感情を延々と書いていました。
普通に仕事もあるし、何をやってんだかって感じなのですが、やっぱり書いて答えが出ないと落ち着かないんです。
書くことは、考えること」ですから。
(尊敬するライター古賀史健さんの本の中の好きな言葉です。)

書いているうちにどうしたいのか、何が嫌なのか、何を望んでいるのか答えが出るんです。もちろん時間がかかることもあるけど、答えが出るまでずーっと書くんです。


そうして気づいた収穫は、私のこだわりでした。
私は、どんだけ親しい人であってもここぞと言う時に、礼儀というか、挨拶というか、そういう”思いやりワード”が欠けることが、ものすごい嫌なんです。

あかんもんはあかん

noteでエッセイ書くまでは、FBページで書いていました。
そこでも似たようなことを書いていました。読み返すといいこと書いてる。
(これはFBページのエッセイを転載しました。)

まさにこれです。
あかんもんは、あかんのです。
この話でいけば、たぶん社長が掃除のおっちゃんにきつい言い方をしたのは照れ隠しなんです。わかります。でもだめなんです。
普段はそれで全然かまわないけど、やめるときまでみんなの前でそれはあかん。然るべきタイミングで、然るべき場所で、きちんとしたお礼と謝罪ができない人は私の中でだめなんですよ。

裏を返せば、割とひどいことされたとしても、本気で謝られたらたぶん大抵許します。
だって随分偉そうに書いてますが、私自身忘れ物は多い、そそっかしい、酔っ払い・・・とあかんところだらけだもの。人にどうこう言えた立場じゃないってことくらい自覚がありますからね。
だけど悪いことしてしまったって時はあやまりますし、嬉しかったら絶対適切なタイミングでお礼を言います。


「ここぞのタイミングで」
「ここぞのシチュエーションで」
「ここぞの思いやりワード」を言うことを大事にしたいんです。

あと、その本気度ですかね。
照れ隠しで、冗談混じりとかだめです。
ちゃんと誠意の伝わる言葉で言って欲しいし、私もそうしています。
これが欠けることが耐えられないんだなーと。


という結論に至るまで実は数時間かかってるという、我ながら狂気だなと感じました。でも今は、答えがでたからすっきりです。
おかげで今日は仕事以外に何文字書いたんだろう・・・って手が痛くなってもやっぱり私には必要な作業。
書くことってやっぱりいいなって思ったのと、自分が大事にしているこだわりがはっきりわかった日の話でした。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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