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【メモ】科学哲学まとめ

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反証可能性

マルクス経済学やフロイト精神分析は、理論に合わない現象に出くわしたときに、新しい理論を付け足すことで、その現象を取り込んでしまう。

ポパーはそのような、理論を否定する観察や実験が存在しない理論を否定した。

また、反証された理論は、丸ごと破棄し次の理論を打ち出すべきとした。それは科学とは常に演繹法であるべしとしたためである。

これはヒュームの懐疑主義(帰納的思考自体の正しさは何にも裏打ちされていない)を真に受け過ぎているとか、単純に考えすぎてる(下記の引用の例に感銘を受け過ぎている)とか言われている。

https://sendaiuchukan.jp/event/news/2009eclipse/soutaisei/soutaisei.html


実在論VS非実在

両者は別のことを指して議論してるのではないかと、つまり両立するのではないかと「疑似科学と科学の哲学」にあった。


疑似科学と科学

豊潤性

面白味が残っているかどうか。

たとえば、占星術にはあまり余地がないだろうから、まともな学問だったとしても、この先研究されていくことはない。

前進性

理論が洗練されていって、新しい知見や、実験・観察の前に結果を予測できるかどうか。超能力は、カード当てに有意な統計結果を残すかもしれないが、脳のどの部位が関係しているかとか、能力の成長があるかとか、何かに応用できるかとかが何もない。

無矛盾性

別の分野との矛盾の少なさ。創造科学は「若い地球」(旧約聖書に則って6000年前に洪水があったとする)にしても、「古い地球」(40億年を認めている。ただし、絶滅した生物も現存している生物も共存している時期があったとする)にしても、化石の堆積の仕方が、流体力学や炭素同位体測定などによる地層分析を勘案した観察と、整合性がとれない。

土台

科学的な蓄積があって研究や応用がされるか、何か社会的な通例がもとになっているか。

「超能力の研究」は、透視もサイコキネシスも読心も一緒くたに「超能力」とまとめるが、それは科学→社会ではなく、社会→科学の流れが色濃すぎていて、疑似科学の特徴と言える。

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