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「言語化がうまい」は誉め言葉足りえない


①完全充足

読書感想文とか、読書感想文に対しての品評とか、スピーチへの感想とか
言語だけのやりくりの場合は、言語だけを以て評価を付せる。
つまり「言語化がうまい」が成立する。


②ただの拾い上げor骨組み

暗黙知や、暗黙知までいかなくとも言語にしづらい要素の多い事項について説明する場合、それを言葉で説明しても「言語化がうまい」は誉め言葉たりえない。


科学

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このような「公転速度に合うように自転速度が大きい方の星に調整される」のを、図表無しに「言語化」したとき、たとえどれだけ上手い説明でも「言語化がうまい」という感想はもらえないだろう。
一方、もし「月の引力によって潮の満ち引きが起こるように、月面もまた、地球に面する部分は引力の影響を強く受けている。月の公転速度と自転速度がずれている場合は、この引っ張られている部分が地球の引力の影響を強く受けるとっかかりとなって、月の自転速度が月の公転速度に沿うように変化する」のような説明なら「言語化がうまい」と評されるかもしれない。
しかしこの場合、小難しい部分を排除しているだけなので、実際のところこんな文字だけの説明で分かる人は少ないだろうし、これを言語化がうまいと評する人がいるとすれば、それはある程度地学や力学が分かっている人だけだろう。

このようなケースだと、説明を受ける側にある程度その分野の知識があって初めて「言語化がうまい」が生まれる。


身体

他には身体的な要素を多分に含む場合、例えば水泳とか鉄棒とか縄跳びのコツも「言語化がうまい」と評される可能性はある。
この場合は説明を受ける側が実際にその運動に関しての動きを行って、その上でそのコツを実践して初めて「言語化がうまい」という感想が出てくる。


複雑な論理・関係

また、暗黙知は五感や身体に関わるものだけでなく、単に複雑な場合なものにも存在する。

例えば、創作物の感想に関しての「言語化がうまい」もまともなコトバとは言えないように思う。
何が面白い・面白くない、ここが矛盾している、あの描写は不必要といった説明は、その作品だけでなく、同時代・同ジャンルの作品との照合が必要な作業なわけで、一足飛びに断言できるようなものではない。

つまり、なんとなく理解していた、それとなく思っていたというような状態はありえない。よって、ある詳細な感想を見て「言語化がうまい」という評が出てくるわけがない。その感想は全面的に同意出来るとか、どこどこがおかしいといった指摘でなければ、元から理解していたということにはならない。


まとめ

言語化とはこのような②のパターンの方が大半のように思う。
しかし②の場合、ほとんど知らなかったり、考えをめぐらしたことのない分野の場合は、ある説明を「言語化はうまい」かどうか判断することなど出来ない。
しかし、実際ある説明に対して「言語化がうまい」という褒めはいたるところで目にする。


説明を受けた側としては何となく思っていたことに関して、その詳述を目にしたので「言語化がうまい」と評したということなのだろう。
しかし、現実に行われているのは、自身のもやのような断片のような思考を、他者の説明に仮託して「元からちゃんと考えていた。自分の中でうまく説明できていなかっただけ」という思い込みだ。


何も知らない人が「うまい」説明を聞いたとき、構造上、科学的な説明の例でも、身体的な動きの例でも、そのある説明の中に誤りがあっても、言語的なやりとり(説明を深めていく)だけではその誤りを看破できない。「言語化がうまい」以前の、説明の正誤すら判断できない。


ところで、ある程度の事前知識がある人が「言語化がうまい」とされるような説明を聞いても「言語化がうまい」という感想にはならない。
「総合的には分かりやすい説明」とか「補助として卓越した説明」といった感想になるはずだ。言語以外の部分が大いに絡んでいるのだから。


よって、純粋に言語的なやりとり以外で出てくる「言語化がうまい」は、例外なく、誉め言葉たりえない。

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