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harapecolab代表野尻の話

時々お店に立っていると、お客様とお話しをすることが多いのですが、「なぜハラペコラボを作ったのですか?」や、「どうやってクリエーター集団になっていったのですか?」を聞かれることが多く、そうなるとそもそもどんな風に育ったのか、紐解いていくことがあり、生い立ちのインタビューも3、4時間になったり。(笑)とにかく自己紹介をすると今に至るまでに色々あっての結果なのだなと思うことがあるので、個人的に、という意味でも記録しておこうと思う意味で幼少期の自分をビジネス目線で書いてみます。

それには、父の話をするのが一番わかりやすい気がするので、父の話を書きます。

小さな頃から父の現場によくついて行った。

父親は、何代か続く大工の血筋を継いで、静岡の金谷(現在の島田市)というところで、いわゆる「街の大工」をしていました。

大工道具も美しい

父と一緒に出かけると、いつも色々な人に「時っちゃん!家の雨樋が壊れたから後で修理に来ておくれ」「時っちゃん!リフォームしたいので相談に乗っておくれ」などと歩いているだけで営業になっている!不思議な人でした。寺を直したり、神社の鳥居を直したり、小学校の体育館の階段を作ったり、とにかくなんでも困ったと言われたら引き受けていつもニコニコしていました。家族には厳しく怖かったけれど。

野尻と父

私の兄弟は兄と弟二人で、うち兄と弟一人が今は大工になり、それぞれ経営者として、頑張っています。もう一人の弟も、経営者、兄弟全員が事業をしている感じですね。笑

野尻と弟

父からも公務員だった母からも、「社長になりなさい」「家を継ぎなさい」とアドバイスを受けたことはなかったのですが、何かと、現場に連れて行ってくれる父を子供なりに見てきた時に、自然と将来は何かはじめるのかな?と漠然と思っていたように思います。というよりは、会社勤めを辛抱強く出来るような協調性がある人間ではなかったので、勤め人か、雇用主かの二択だとしたら、雇用主しかなかったのだと思います。

経営者の父親の背中

父はいつも、職人さんの采配について話してくれました。職人さんにはいろいろな個性があって、早くて雑な仕事をする人、ゆっくりで丁寧な仕事をする人、どちらだけでも質が落ちてしまったり、納期が間に合わなかったりするので、このいろいろな人をうまく組み合わせていくのが大事なんだと言っていました。

そして自分(父)は、それらのことがうまく回るようにするにはどうしたらいいの考える誰にも見られない地味なことをするのが一番の仕事で、誰よりも給料をもらっていないのは俺だ!と言っていました。笑

社長は誰よりも給料をもらえず、かつ、一番地味なんだなと思いながら、育ちました。私たちはその地味なポジションの子供ということで、職人さんやお客様をとにかくサポートしたら良いのだなと思い、掃除をしたり、現場の金屑拾い、資材運びを暇さえあれば行って、手伝っていました。家の一部が工房だったので、職人さんとも触れ合って暮らしていました。

父親が作るチームの集大成を見た時の感動

そんなある日、一番地味な地位だ!と言っていた父が、自身が手がける新築工事の上棟式(建前と呼んでいる)の現場について行った時のこと、数日前から緊張感が走り始め、いよいよ当日、無数に積み上げられた柱や梁などの材料にはただ数字がふってあるだけ。

いつもは数人でこなす現場も、この時ばかりは応援を呼んで職人さんも20人以上はいたのではないかと思います。

基礎の土台だけがあるところに、職人さんたちがお父さんの指揮のもと、どんどん組み上げていく。現場は活気はあるけれど、至ってスムーズで、全ての職人さんが、阿吽の呼吸でつつがなく進んでいく。何がどこに配置されるのか柱に刻まれた数字と父の指示だけであっという間に2階建の骨組みが組み上がった。誰一人、指示待ちや、滞っているものは見えなかった。

至極鮮やかな仕事の流れだったと思う。

父は、お施主様を屋根に上げ、家の四方から御神酒をまくと、そのあとは餅まきをして地域の方たちが大喜び。

地域にとっても祭りのような、華やかな行事になりました。

最後に暗くなってきた頃、職人さんたちも一緒にいつも一服(休憩)の時に使うお茶を飲む茶碗に、気のまま日本酒を注いで、父が立派な挨拶を述べて乾杯し、口伝で伝わる「木遣唄」という職人衆が歌う唄を歌ったのが、とても思い出に残っています。とても神秘的な空気が流れていました。

作り上げていく行為が全て芸術のようでした。

そういうものが当たり前に経験できる家に生まれ育ち、今のハラペコラボ 活動に活かされているのは間違いないと思います。

働く誰もが主役で、個性を持っている。その才能をたくさん引き出したり、動きやすくなるにはどうしたら?を考えるのが私の役割で、ラボメンバー一人一人の一番のファンが自分であると思っています。

切り立ての、こうぶつヲカシ、どこか職人的な要素がある

共に長い時間を過ごし、本音で美しいもの、美味しいものを追い求めていけるメンバーに巡り合うことができて、一緒にモノ作りやサービスができている事そのものが、今感じる幸せなのです。小さな頃から私の中のハラペコイズムは形成されて行ってるのだと、自分で事業を立ち上げより一層感謝や尊敬を感じるようになりました。

さて、これからは次世代に繋ぐタイミングでもあります。今度は自分が背中で見せていこうと思います。

サラダロード 撮影現場にて


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