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「ショパン-200年の肖像」展

練馬区立美術館にて開催中の「ショパン-200年の肖像」展に行ってきました。
なにしろ東京に出るのは2ヶ月ぶり。練馬は果てしなく遠く感じられましたが、東京アラートやらで早々に中止になってしまったら後悔するので、早めに足を運んだ次第です。

会期が短い(6月28日まで)ので混むかなと思いきや、平日ということもあり、同じ展示室に1〜2人いるかいないかといった具合で、感染の不安はまったく感じませんでした。

つらつらと感想を連ねる前に大切なことを書いておくと、ショパンを弾く人、学ぶ人、知りたい人にはぜひともご覧いただきたい展覧会です。有名画家の個展とは違い、ひとつひとつの作品に派手さはないかもしれませんが、それらをテーマに沿って纏め、ショパン像を丁寧に描き出していくキュレーションはさすがの一言。解説書を何冊も読むほどの価値があると思います。

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ショパンについては、これまで多くのピアニストに取材でお話を伺う機会がありましたが、人によって「ショパン像」が大きく異なるのが興味深いとかねがね思っていました。
この展覧会の主眼のひとつはまさしくそこで、「病弱、繊細、薄幸」といった虚弱イメージで語られがちなショパンには、それだけではないさまざまな顔があったということを伝えるところにあります。

前半には、文字どおりショパンの「さまざまな顔=肖像画」が展示されています。ワルシャワに留学しているピアニストの反田恭平さんが、「ポーランドは本当になんでもショパン。ショパン・カフェにショパン・ホテル……街のいたるところにショパンの存在を感じます」と話していましたが、ポーランドにとってショパンは今も昔も国民的アイコン。ショパンの時代から現代まで、歴代の画家たちが描いたショパンの肖像は、そのままポーランドの美術史を物語るものでもあるのです。

ショパン展に行ったら、ぜひ皆さんのお気に入りの肖像画をお教えください。私はやっぱり、親友だったドラクロワの描いたショパンがいちばん好きだなあと思いました。あとは「AC/DCの曲を聴きながら描いたフレデリク・ショパンの肖像」がツボでした。

中盤は、ショパンが20歳まで過ごしたワルシャワ、そして才能を開花させたパリにまつわる絵画が展示されています。子ども時代のショパンにとっておなじみの場所だったワルシャワの聖十字架教会(パリで没したショパンの心臓がここに眠っています)、マズルカを踊る人々を見た農村、パリで親しくしていた友だちの顔など、どれもショパンの脳裏に焼きついていた風景や像に違いありません。

ショパンは作品に標題をつけませんでしたが、作曲家の頭のなかに広がっていた風景を見ることは、作品を理解するうえで大きな糧になることでしょう。

さらに後半では、残された手紙と楽譜から「真実のショパン」に迫っていきます。ショパンは日記や解説を残さなかったので、手紙と楽譜だけが、この作曲家の実像を知るための資料となります。作品が書かれた頃の手紙を読み、当時の社会状況と照らし合わせ、小さな紙に書かれた自筆譜から修正の跡を読み取り、現行の版と比べる……研究とはそういった途方もなく細かく地道な作業の積み重ねであることを、この展示は伝えてくれます。

これらの展示を通して強く感じたことは、ショパンに限らず、作曲家を紋切り型のイメージで理解したつもりになってしまうことの危うさでした。人間は多面的な生き物であり、作品はその多面性を反映したものである。こう書くと当たり前のことなのですが、つねに意識しておこうとあらためて。

最後に『ピアノの森』の展示コーナーもあり、嬉しかったです! アニメ版のCDのライナーノーツを書かせていただいたのでした。

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展示室を出て、物販コーナーで図録を買ってほくほく。本当はその隣に鎮座していた『ショパン全書簡』2冊が欲しかったのですが、1冊2万円近くするので今回は諦め……まだしばらくは図書館でお世話になります。

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帰りに美術館から駅に向かう道すがら、ショパン展に向かうと思しき花柄ワンピースを着た女性数人とすれ違いました。「いかにもショパン弾いてそうだわあ」と思った直後に、「おっといけない、ステレオタイプに縛られてる!」と心の中で独り言をつぶやいたのでした。

この展覧会に行けばきっと、今まで知らなかったショパンにひとり会えると思います。

日本・ポーランド国交樹立100周年記念 「ショパン-200年の肖像」
会期:2020年6月2日(火)~6月28日(日)
会場:練馬区立美術館
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202001221579692159

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