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一人だけ囚人

マンモス小学校の校長に氏名と顔をバッチリ覚えられるほど当時の自分は目立つ生徒だった。着ている服が変わっていたからだ。

小学校低学年時の服や下着はほぼ母の手作りだったのだが、かなり攻めたデザインの服を母は次々に縫い上げていた。なかでも「タケちゃんマン」のようなバルーン型キュロットパンツは履いて歩いているだけで「空飛べそう」と人々が話しかけてくる。煩わしかった。ちなみにその下に履いている下着には全て刺繍が施されており、身体測定の時に「ブタ」の刺繍に当たった時は羞恥心で気が狂いそうになった。小二生にとって「ブタ」は大好物。その後ずっと「ブタパン」と呼ばれ続けた恨みは今も忘れていないし、何かしら自分の性格形成に暗い影を落としている気がしてならない。

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今思えば、舐めんばかりに可愛がられていたとは思うが、当時は母の手作りではない既製服が着たくてたまらなかった。ちょうどその頃おニャン子クラブが大ブームで、彼女たちの着るマリンルックが大流行していた。だがあの母が容易に買ってくれるとは思えない。そこで母に雑誌を見せ「こういうのを縫って欲しい」とせがんだ。一通り眺めたのち「わかった」と母は頷いたが、全然わかっていなかった事が数日後発覚した。出来上がった洋服は確かに、ストライプやイカリのマークなどマリンエッセンスを備えた服ではあった。だがいざ着てみると捕まりたての囚人にしか見えなかった。余りの惨事にフリーズした脳内で、どこかで目にしたエルビス・プレスリーのポスターの像が浮かび上がった。「監獄ロック」のポスターだ。

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昨日、なんとなく「監獄ロック」を見ていて母の服のことを思い出したのだった。この映画、時間経過の端折り方などかなり大胆だがエルヴィスを愛でるぶんには問題ない。そして話は進み、いよいよ「監獄ロック」の有名なシーンのお目見えだ。まるでドリフのような牢屋のセットで「Jailhouse Rock」を歌い、踊るエルヴィス。

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しかし彼の身を包む囚人服は自分の記憶のものとは異なっていた。母手製の囚人服・・・じゃなかったマリンルックはこんなに格好良くなかった。アレはもっと本気のヤツだった。

そこで手に取ったのは手持ちの本、「縞模様の歴史」ミシェル・バストゥロー(白水uブックス)。この本によると我々の持つ「囚人のシマシマ服」のイメージはどうもアメリカ由来のようで、本には1920年のアルカトラズ刑務所の写真があった。この写真の向かって右の者が着ている囚人服。これの胸に大きなイカリのワッペンをつければ、母手製の囚人服と完全に一致する。

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さて、その母手製の囚人服だが迂闊に着ようものなら「ブタパン」以上に厳しい仇名をつけられる恐れがあった。母には悪いがお義理に一度着て距離を置く事にした。以降、母からの「せっかく縫ったのに何で着ないの」攻撃にも模範囚のごとくじっと耐えた。

それから幾度かファッションの流行があったが、もうなびく事は一切無かった。


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