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自己紹介します 精神科医と私のはざま

先回、精神科医になってしばらくのことを書きました。
その後、仕事と私生活のはざまで悩んだりしつつも仕事を
続けたきた経緯を話します。
良かったら読んでくださいね。

精神科医と私のはざま

再び金沢に戻ってからは、県立単科精神病院に14年勤めました。

すでにある程度の力量があったので、つぎつぎといろんな試みに果敢に挑戦していきました。

院長からは重宝がられる一方で、あまりに私が行動的なので「この病院は、〇〇(私の姓)病院じゃない!!」と大きな雷が落ちることも度々ありました、若気の至りですね。

だんだん「根回し」ということを覚えていき、たくさんの職種やいろんな人間関係の中でうまく立ち回りながら、自分のやりたいことをやり遂げていくことを学びました。

「根回し」って言葉、悪くとらえられがちですね。

そう思っていた私も、ひとりでは何も出来ないのです、何かを変えていく時には、皆の協力や団結がなかったら何も成し遂げられないことを学びました。

個々に人の中に入っていき、前もって教え相談し、意見を取り入れ、皆がこころよく「変えていきましょう」という風に持っていくことが、やはり人の心を大事にしながら事を成していく時に必要だということを大きな組織に入った私は学んでいきました。

そうやってその中でたくさんの方を社会に送りだすことができました。

14年がたった頃、このままずっと公務員の医師でいることに疑問を感じて、やめることに決めました。

友人のクリニックに勤める予定でしたが、急に「雇えない事情があって」と言われ、途方にくれました。
GWの直前です。

咄嗟に「開業するしかないか」と思いました。精神科クリニックの開業ではまだ食べていけないという時代でしたが、
GWの間中にビルを探し、いろんな雑務をこなして、6月末退職。開業したのは7月6日です。

2年くらい暇な日が続きましたが、徐々に患者さんも増え、だんだん忙しくなり、そのうち、忙しくなり過ぎ、トイレ休憩もないくらいになったんです。

開業は自分に合わない、つくづくそう思った私は、必死でクリニックを継いでくれる医師を探し、見も知らぬ街に移住することにしました。

最初の結婚と4人の子育ては、とてもここに書けないくらい大変でしたが、子供も成人し、別居していた夫と10年越しの裁判(相手が離婚に応じなかったため)も落着したのをきっかけに、大阪に移りました。

大阪ではカウンセリングを中心とした小さく可愛いクリニックを天満橋のビル内につくりました。

インターネットを通じてカウンセリングをしたいという夢を持ち始めたのは、この頃です。
パソコン教室に通ってホームページを手作りしたりしました。

最初の結婚はモラハラやDVのある、本当にひどいものでしたので、とにかく「普通の結婚をしたい」その願望が強くありました。

生活費は自分の分は自分で作ります。
家事も普通にします。
とにかく、普通に起きて、一緒にご飯食べて、仕事に行って、また夕飯食べて、少し話して寝る、みたいな普通の結婚生活をしないと自分で自分が納得できませんでした。

とにかく、一緒にご飯を食べる相手がほしい、ごく普通の平凡であたたかな家庭がほしい、それだけでお相手を探しました。

おかしいですか?

特別な人でなくていい。穏やかで普通の結婚生活がしてみたい、それだけが望みで探しましたが、ある年齢がいくと、独身の男性が少ないです。

素敵だと思うと妻帯者です。

ある日、呆然と眺めていたパソコンで「インターネット結婚相談所」というのを見つけました。その日のうちに登録しました。

私の年齢では登録者はいなかったです。私は飛び過ぎてますね。

やっとひとり。
年は若いけど、誠実で、健康で、働き者で、それ以外は何もわからないなぁという人と結婚することに決めました。

まあ、大雑把と思いますかね、大雑把だから行動できるんですよね。こまかく計算していたら行動できないです。

根底にはどこででも自分で生きていける自信があるので、出来る大胆な決断だと思います。
すごいことを望んでいるわけでないですもの、どうやったって生きていけますよ。


そこは大阪から遠く離れた、関東圏の、ドのつく田舎でした。子供を男手で育てている方でした。

どうしてまた?という状況でしたが、さっさと結婚してしまいました。

しばらく通い婚でしたが、そのうち、再び移住しました。クリニックは整理しました。

誠実で健康で働き者でしたが、親族にお金の問題を抱えていました。
連帯保証人になったために、多額の負債を抱えることになる運命に。

そのため、若い時よりも沢山働かなければいけない人生になってしまいました。

仕事が辛いと感じ、定期的に「やめたくなる病」も発症していた私ですが、借金の返済問題を抱え、突然の超働き者に変身してしまいました。

精神科医としての腕を上げる、という意味では貢献した借金問題でした。

世の中には夫の病気、親族の病気、夫婦の男性・女性問題、家族問題、いろいろかかえて悩む人がいる。でも病気と人間関係はどうしようもないけど「お金」の問題は、一生懸命働けばいい。
だめでも救済はあるはず。きっと一番ラク。
離婚して又独身になっても、きっとそれなりに人生に悩みはつきもの。

とにかくそう考えて離婚はしませんでした。

関東圏の田舎のその病院には20年近くいました。最後は院長になって、本当に勉強しました。

それでよかったんじゃないでしょうか。

良いほうに、良い方に考える性格です。あまり深く悩まない性格です。

「あなた、医者だからよ」って人は言います。

みんな同じですよ。医者のせいにするのは、あなただけですよ。
みな、性格だと思います、他の職業であっても私は同じような生き方をしていたと思います。

変化したくない人は、どんなに恵まれていても変化を嫌いますしね。

そんなこんなで、思えば遠くにきたものです。

読んでいただきありがとうございます。

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