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たとえ体がなくなっても、これからも一緒に生きていく

どうやらぼくはもうすぐ死ぬらしい。体がだるくて、毛布の上、もうあんまり動けないんだ。

12年、いい犬人生だったなぁと思う。1度は飼い主に捨てられて、もう人間なんてきらいだとやさぐれたこともあったけど、また温かい手でなでてくれる人に出会えた。それが、今の飼い主のおじいちゃんだ。

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おじいちゃんは、本当に働き者なんだ。朝起きると、1番に庭の草木に水をやる。ぼくはその様子をリビングの窓から見るのが好きだ。水やりホースがしぶきをあげ、虹をかける。葉っぱは雫をまとい、得意げにキラキラと揺れる。とてもきれいで、つい興奮してワン! とひと鳴きしてしまうのだけど、そんなぼくを見て、おじいちゃんは目を細めて笑っているね。

昼は町の小さな不動産屋の社長をしてるおじいちゃん。むずかしい家の図面を見て、人とたくさん話すことが仕事。ぼくもたまに事務所に連れてってもらうんだけど、みんなすこぶるかわいがってくれる。えへん、社長の犬の特権だ。

でも、たまに雑にワシャワシャ触ってくる人もいるから、そういうときは遠慮なく吠えるよ。昔、あんまりにも頭にくるさわり方をしてくる人がいたから、思わず噛んじゃったんだ。そしたら、「お客様になんてことするんだ!」って、派手に怒られたよね。でも、みんなのいないところで、さっきはごめんよってなでてくれた。ぼくはお腹をコロンと見せて「いいよ、おじいちゃん。わかってるよ」。そうやって、許してるよ、のサインを送ったんだよね。

最近はだるくてあんまり外に行けないけど、夕方、一緒にいく散歩が大好きだったな。だいだい色の夕焼けが、おじいちゃんの顔を照らすとき。深く刻まれたシワがくっきりと浮かび、それをぼくは美しいと思う。人生のいろんな景色を見てきた人の強さを感じるから。

夕暮れのおじいちゃんの目は、いつも少しうるんでみえて、まるで、大切なだれかと話しているみたいだ。

80年ものあいだ、その目はたくさんの人を見送ってきたでしょう。ぼくが知っている限りでも、おばあちゃんを見送り、息子さんまでを看取ったおじいちゃん。そんなおじいちゃんだから、本当はぼくが最後までそばにいられたらよかったなぁ。でも、それはもう、叶わないかもしれない。

去年の夏、ぼくは夏バテになったとき。弱ったぼくを見た孫が「ワンコが死んだら、どうするの?」っておじいちゃんに聞くと、「生き物はみんな死ぬんだ。順番だから仕方ないんだよ」と言ってたね。

おじいちゃんは、強い人。きっとぼくがいなくなっても、淡々と生活をこなしていくんだろう。

朝起きたら庭に水をまき、だんだん悪くなっている目をごまかして自転車に乗って買い物へ行き、事務所でたくさんお話をする。家に帰ったらお風呂に入ったあしで、パンツ一丁でキッチンに立ってごはんをつくり、テレビを見ながら眠りにつく。

そうやって、何事もなかったように、日々を紡いでいくんだろう。

でも、いくら別れの経験を積んでいるからといって、孤独は忘れたころにやってくる。さみしくなった日には、ぼくがおばあちゃんと一緒に、空からその痩せた背中を見守っていることを思い出してほしいな。

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そんなことを考えてうとうとしていたら、またひたいに温かな手のぬくもりを感じる。おじいちゃんだ。

「元気ないな、これなら食べれるか?」
重いまぶたをあけると、そこにある優しい顔。スーパーまで自転車をこぎ、ぼくの大好きなササミを買ってきて煮たやつをつくってくれるところも、食べやすいようにわざわざ小さくして手のひらにのせてくれるところも、大好きなんだよ。

再会はきっとそう遠くないから、そのときには、おばあちゃんと息子さんとぼくと、みんなで一緒に生きた美しい日々のことを祝おうね。おばあちゃんのつくるごちそうを久しぶりに食べながら、思い出話をするんだよ。

この先もし、記憶がうすれていくことがあっても、ぼくの鳴き声だけは体に刻んでおいてね。おじいちゃんが天に召されるその日がきたら、ぼくたちのところがわかるように、いつもの声で鳴くからね。

でも、1番覚えていてほしいのは、先に死ぬからと言って、絆が消えるわけじゃないということ、一緒に過ごした日々がなくなるわけでもないということなんだ。

おばあちゃんが亡くなったさみしい夜にからだを寄せ合って眠ったこと。夏の暑い日、散歩中に疲れて木陰で一緒に休んだときに吹いていた気持ちいい風のこと、夏バテしたぼくがやっとごはんを食べたときにうれしい気持ちになったことや、雷が怖くておじいちゃんの腕の中で丸まったこと......。

思い出は全部、ぜんぶここにおいていく。おじいちゃんの心に残していくよ。

この体が消えてしまったら、ぼくは今までのように、朝の水やりに付き合ったり、仕事へ行く姿を見守ったりすることができない。でも、ぼくがいなくても、おじいちゃんには散歩にいってたくさん歩いてほしいし、事務所でお客さんにぼくの自慢話をいっぱいしてほしいんだ。

そうやってぼくの姿をどこかで感じることができれば、ぼくらはきっと、一緒に生きていける。

夕暮れどき、おじいちゃんがいつも、先に旅立った人たちと静かにつながっているみたいに。たとえ離れてしまっても、ぼくたち、きっと。これからも一緒に生きていくんだよ。

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#キナリ杯

🐶 最近すこぶる元気のない、おじいちゃんの愛犬に捧ぐ

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