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東京を歩く#1 皇居周辺・内堀通り

東京在住の私だけれども、都内には行ってみたいと思っている場所がまだまだたくさんある。ぶらぶら歩きながら少しずつ巡ってみたいと思う。

2024年4月。花盛りの季節を迎え、外出に適した気温の日が続いている。
今日は、東京メトロで大手町駅に行き、そこから皇居周辺を歩くことにした。

まず向かった先は、旧江戸城の大手門
複数の門を持つ江戸城において、メインゲートの役割を果たしていたのがこの大手門。今では、この大手門から、皇居に隣接した庭園である皇居東御苑に入ることができる。入園は無料なので手軽な観光地になっていて、外国人観光客でにぎわっていることも多い。

入園のための列が見える。手荷物検査を受けて入る
旧江戸城のメインゲート大手門

皇居東御苑の中は庭園として整備されていて、江戸城の頃の建物はポツポツと残るくらいだが、本丸があった広場の先に江戸城天守台があり、江戸時代の遺構としては一番の見どころといえる。
お殿様の住む1番高い建物のことを天守といい、天守台はその土台部分を指す。江戸城の天守は何度か建て替えられていて、現存する天守台は3代将軍家光が建てたときのもの。しかし、家光の天守は江戸史に残る大火事である1657年の明暦の大火で消失してしまい、それ以来、江戸城の天守が再建されることはなかった。
したがって、家光の時代から江戸時代が終わるまでの残り200年くらいは、江戸城の天守はずっと存在していなかったことになる。江戸時代の人は天守台しかない城を見てどう思っていたのだろう。

江戸城天守台。上まで行けるが行っても何もない

天守台から少し離れたところには、忠臣蔵で有名な松の大廊下の跡がある。しかし、大廊下があった本丸は、周辺一帯が綺麗に整備された広場になってしまっているので、それらを感じさせる名残は何もない。残念。

松の大廊下の跡。ここ殿中?と思うくらい跡形もない

皇居東御苑はとにかくで広大で自然豊かなスペース。お堀と石垣に囲まれていることから外の喧騒も抑えられていて、ここが東京都心だということが信じられないくらい。

二の丸雑木林。都心とは思えない風景

帰りは平川門から出ることにした。東京メトロの竹橋駅のあたりにつながっている。

平川門

皇居の回りをぐるっと一周している通りが内堀通りであり、今日は基本的にこれを反時計回りに一周する予定。ただし、少し大手町側に戻ったところに見ておきたい銅像があるので、そこに立ち寄ってからにする。
銅像のモデルは和気清麻呂。奈良~平安時代の人なので、東京に所縁のある人ではない。それなのにこんな立派な像が作られるのには理由がある。

和気清麻呂の像

769年、今の大分県にある宇佐神宮で「道鏡が天皇になるべし」という神託があった。道鏡というのは、当時の称徳天皇と仲が良かった僧侶のことで、法王の称号を持つほど権力を持っていた。一説では、この神託自体が道鏡の仕組んだものとも言われている。
神託が本当かどうかを確認するために和気清麻呂が宇佐神宮まで行くこととなったが、清麻呂は道鏡の権力に屈することなく、宇佐神宮で改めて「天皇となる人は決まっている。わけのわからないこと言う道鏡は追い払うべき」という神託を得て、これを持って帰って伝えたことから、今に続く天皇の血筋を守ったヒーローとされている。
そんな天皇家に対する功績から、皇居の近くに、和気清麻呂の立派な銅像が建てられることとなった。ちなみに、清麻呂は日本銀行券の図案にも選ばれている。
一方、道鏡はというと、称徳天皇の崩御の後に失脚しており、今では日本史における三大悪人の1人とされることもある。法王という称号すら日本ではこれ以降使われていない。

さて、内堀通りを予定通り反時計回りで歩いていくことにする。しばらく歩くと見えてくるのは千代田区役所。区民1人あたりの税収が23区ランキング1位な区だけあって、区庁舎もとても立派だ。

都会的なたたずまいの千代田区役所

千代田区役所の反対側にあるのが清水門。旧江戸城の門のうち、国の重要文化財に指定されているのは3つあり、その1つがこの清水門。
少し奥には日本武道館も見えている。爆風スランプの歌の通り、屋根の上に玉ねぎが光る建物がそれだ。

重要文化財 清水門(左)と日本武道館(右奥)

清水門をくぐって中に入ると、舗装されていない状態の土で道が続いていて、門の先には雁木坂と呼ばれる明らかに古そうな石段の坂もある。実際、清水門の周辺は江戸時代のままの状態の場所がかなり残っているようだ。
いくつかある江戸城の門の中でも清水門は地味で目立たない印象があるが、その分、江戸時代はこんな様子だったのかな、と思える雰囲気がある。

雁木坂。階段高がまちまちでなんだか上りにくい

雁木坂を上り切り、北の丸公園の中に入る。
しばらく歩いていくと吉田茂の銅像が登場する。終戦後に内閣総理大臣を務めた人物だ。銅像は堂々とした姿をしているが、立地はそんなに人通りがある場所ではなく、どうしてここを設置場所にしたのだろうか。

吉田茂の像。ちょっと遠い

さらに北の丸公園を歩いて行くと先ほど遠くに見えていた日本武道館に着く。ここがあこがれの地である人も多いだろう。

日本武道館。今日は小学生の剣道大会が行われていた

日本武道館を通り過ぎて歩いていくと、2つめの重要文化財である田安門があり、北の丸公園の出口となる。九段下駅のすぐそばに出る形になり、目の前の通りは内堀通りと靖国通りの重複区間になっている。

重要文化財 田安門

北の丸公園のすぐ近くには、2体の銅像が並んで立っていて、かなりの存在感を放っている。向かって右は、明治時代に陸軍大将だった大山巌の像。日本艦隊司令長官だった東郷平八郎と並び「陸の大山、海の東郷」と呼ばれたそうだ。西郷隆盛の従兄弟でもある。
左は同じ明治時代に政治家をしていた品川弥二郎の像。こちらはやや歴史に詳しい人向けの人選か。
並んで立っているので深い関係があるのかと思いきや、もともと2体とも別の場所にあったものらしいので、どうもたまたまっぽい。薩摩藩出身の大山と長州藩出身の品川の組み合わせで、明治らしいバランスではある。

品川弥二郎の像(左)と大山勲の像(右奥)

千鳥ヶ淵緑道が近くにあるのでここを歩いて行く。千鳥ヶ淵は桜の名所として知られているが、満開の時期は数日前に過ぎていて、花は半分程度散ってしまっていた。
それでも結構な人が訪れていて、ボート乗り場はかなり賑わっていた。

千鳥ヶ淵。満開のベストショットはまたいつか

再び内堀通りに出てしばらく歩き、おしゃれな外観のイギリス大使館の前を通り過ぎる。

映えるイギリス大使館

さらに行くと、もう何ヶ所目の門だろうか、旧江戸城の半蔵門が見えてくる。
この半蔵門は一般人が中まで入れないようになっていて、警察がしっかりと警備をしている。半蔵門は、天皇陛下が皇居の外に出られる場合に使われる門だそうなので、1番きっちり管理されているのかもしれない。

半蔵門はいつも厳重警備

内堀通りをさらに進み、国会議事堂付近まできたところで、時計のついた背の高いモニュメントが見えるため、少し寄り道をしてみる。道路からも見えるこのモニュメントは、国会前庭(北地区)にある三権分立の時計塔。1960年に作られたものらしい。

国会前庭(北地区)にある三権分立の塔

もうひとつ、国会前庭で見ておきたいのは日本水準原点。日本水準原点標庫と呼ばれる小屋のようなものの中に、日本の標高を決める基準の機器が入っている。国の重要文化財。

日本水準原点標庫

この原点は標高24.500mを定めるものとして1891年に設置されたが、1923年の関東大震災で地面の高さがずれたことで24.414mに修正され、2011年の東日本大震災でも24.390mへ修正された経緯があるそうだ。

ちゃんと電子的な水準器もあるよ

江戸時代、国会前庭がある場所は、彦根藩の大名である井伊家の武家屋敷だった。井伊家といえば、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼が有名だが、現場の桜田門は内堀通りをもう少し進んだところにある。3つめの重要文化財の門だ。井伊家の屋敷からはすぐそこの距離。

少し向こうに桜田門

1860年3月、この時期にしては珍しく雪が降る日の朝、大老という幕府の重職についていた井伊直弼は、職場である江戸城まで出勤していた。しかし、桜田門付近まで来たところで、水戸藩の脱藩者たちに襲われ暗殺されたと言われる。

桜田門外の変のまさに現場

暗殺された理由としては、安政の大獄といった厳しい取り締まりをしていたことや、ペリー来航を受けて朝廷の許可なく米国と不平等条約を結んだことが反感を買ったためと言われている。江戸幕府の重職が暗殺されたこの事件をきっかけに、幕府の求心力は低下し、日本は新しい時代に入っていった。

桜田門の隠語を持つ警視庁の本庁舎も向かいにある

桜田門をくぐると皇居がある。江戸時代が終わり、ここは天皇陛下のお住まいとなった。
特別なツアーで来ていれば皇居の敷地内に入れるが、そうでない場合、見学できるのは入り口まで。地下鉄の駅名にもなっている二重橋を遠くに見ることができる。

二重橋は左の橋ではなく遠く右奥に見える橋のこと

これで皇居周辺をほぼ一周してきたことになる。距離にして6~7kmだが、その中に、奈良・平安時代から江戸・明治を経て昭和まで、長い日本の歴史を感じられる見どころがたくさんあった。そしていずれの場所も、東京の真ん中にいるとは思えないほど広々としていて自然豊かであることに感心してしまった。

あらためて、皇居はすごい立地だなぁ

旅のスタンプ
[訪問:自治体]東京都千代田区

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