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「こころ:著.夏目漱石」を読んでみた


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▪️本書の要点

  1. 暑中休暇を利用して滞在していた鎌倉で、私は先生と出会った。先生は学問があるのに仕事には就かず、毎月雑司ヶ谷の墓地を訪れる以外はあまり出かけることもない、静かな男であった。

  2. 謎めいた言動の多い先生に私は惹かれ、先生の思想に大いに影響を受ける。先生は時機が来たら自分の過去をすべて話すと私に約束する。

  3. 父が病に倒れたため、私は東京を離れ、田舎に帰る。明治天皇が崩御し、新しい時代に向かうなか、父は危篤状態に陥る。そこへ先生からの遺書が届き、私は東京行きの列車に飛び乗った。

▪️本書の要約

先生と私ー先生との出会い

Moarave/gettyimages

私はその人を常に先生と呼んでいた。先生と出会った時、私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して滞在していた鎌倉の掛茶屋で、先生を見つけ出した。先生に目を引かれたのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。私は興味本位で先生たちが泳ぎにいくのを見つめ、翌日から先生に会った時間を見計らって掛茶屋に行くようになった。

あるとき先生が落とした眼鏡を私が拾い上げたことをきっかけに話しかけ、一緒に泳ぐようになった。話の流れで思わず「先生は?」と呼びかけたのが、先生という言葉の始まりである。
先生と懇意になったつもりの私は、避暑地を引き上げる時、先生のお宅に折々伺ってもよいかと尋ねた。先生の返事はごく単簡であった。こうしたことで私はよく先生から失望させられた。先生が亡くなった今日に思い返してみると、先生の冷淡な態度は、私を嫌ってのことではなく、自分は近づくほどの価値のない人間であるから止せという警告だったのだろう。

私は淋しい人間です

授業が始まって一カ月ばかりして先生の宅を訪ねると、先生は留守であった。二度目に行った時も先生は不在で、奥さんが毎月その日になると雑司ヶ谷にある墓に参る習慣なのだと教えてくれた。私は散歩がてら、雑司ヶ谷に行ってみる気になった。
墓地で声をかけると、先生は「どうして」と言葉をつまらせ表情を曇らせた。先生はその日、あすこにあるのは友達の墓だとだけ語った。
先生は学問があるが仕事には就かず、不可解な言動が多かった。私が月に二、三度、先生の宅へ行くようになったころ、先生は「私は淋しい人間です」と言い、なぜそうたびたび来るのかと問うた。先生は私の来るのを喜んでいるが、今に失望されて来訪がなくなるだろうともいった。
私の知る限り先生と奥さんとは仲の好い夫婦であったが、子供はいなかった。先生はそれを「天罰」のためだという。そして自分たち夫婦を「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはず」という先生の言葉が私の耳には異様に響いた。
奥さんによると、先生の性質が段々こんなふうになってきたのは、先生とたいへん仲の好い友達が、大学卒業前に変死してからだという。

恋は罪悪ですよ

y-studio/gettyimages

花時分に行った上野で、先生に「君は恋をした事がありますか」と聞かれた。私がないと答えると、先生は私が男女を語る声には恋を求めながらも相手を得られないという声が交っているといった。恋の満足を知っている人は、もっと暖かい声を出すものだ、と。「しかし君、恋は罪悪ですよ」という先生に、私は何の返事もできなかった。
冬休み前、父の調子が悪いという手紙を受け取り、私は国に帰ることになった。先生に旅費を立て替えてもらって父を見舞うと、病気は思ったほど悪くなかった。私は先生に手紙で恩借の礼を述べ、正月に上京する時に持参する旨を断った。
先生から返事が来た時、私は驚かされた。特別の用件もない手紙を、先生はただの親切ずくで書いてくれたのだと思った。先生から受け取った手紙はこの簡単な返書と、もう一通、死ぬ前にとくに私宛で書いた大変長い手紙の二通きりである。

たった一人になれますか

卒業論文を終えた私は、先生を郊外へつれ出した。躑躅を見ながら、先生は私の家に財産があるなら今のうちに始末をつけておいたほうがいいと口にした。父君の死後、親戚に欺かれ、人間を憎むようになったと語る先生に、私は慰めの言葉を持たなかった。
先生の談話は時として不得要領に終わった。無遠慮な私は、ある時それを先生に打ち明けた。先生の思想から影響を受けている私は、先生の隠していることを知り、先生の人生から教訓を受けたいと訴える私に、先生は「あなたは本当に真面目なんですか」と念を押した。そして「私は死ぬ前にたった一人でいいから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか」と迫った。私は声をふるわせながら、自分はまじめであるとうったえた。先生は適当な時機が来たら、先生の過去を残らず教えてくれると約束した。

両親と私ー先生からの手紙

大学を卒業した私は、東京で職を求める前に、病気の父の待つ国へ帰ることになった。「卒業ができてまあ結構だ」とくり返す父の喜びようと、卒業式のあった晩の食卓で「おめでとう」と言った時の先生の顔つきとを心の中で比較した。私には口で祝ってくれながら腹の底でけなしている先生のほうが、大げさに喜ぶ父よりも高尚に見えた。しまいには父の無知から出る田舎臭さを不快に思うようになった。
両親から先生に仕事を斡旋してもらえとうながされ、私は先生は取り合うまいと思いながらも手紙を書いた。返事だけはくれるだろうと思っていたが、先生からはなんの音信もなかった。
父の元気は次第に衰えていった。明治天皇のご病気の報知があって以後はとくに考えこむようになり、ついに崩御の報知が伝えられた時には自分の死をも意識しているようだった。
9月のはじめ、上京予定直前に父が突然ひっくり返った。いよいよを覚悟して親族が集まってきたところに、突然先生から会いたいから来られるかと電報が届いた。私は父が危ないから行かれないと返電し、細かい事情を手紙にしたためた。すると、来ないでもよろしいという短い電報が届いた。
父がとうとう危篤状態になった時、ずいぶん目方の重い手紙が先生から届いた。付き添いの合間を縫って手紙の封を切ると、結末に近い一句が私の目にはいった。
「この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世にはいないでしょう」
私は袂に手紙を投げ込んで、思い切ったいきおいのまま東京行の汽車に飛び乗ってしまった。

▪️必読ポイントー先生と遺書

あなたにだけ過去を語りたい

私はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。まずは返事をしなかったことを謝したいと思います。
その後私はあなたに電報を打ちました。ありていに言えば、あなたに会いたかったのです。それから、私の過去を物語りたかったのです。あなたの返電と、事情を説明する長い手紙を読んで、返事を返そうと筆を執りかけました。しかし、どうせ書くならこの手紙を書いてあげようと短い返電だけ打つことにしました。私はただあなただけに、過去を物語りたいのです。あなたはまじめで、人生そのものから生きた教訓を得たいと言ったのですから。

父母の墳墓の地との決別

Wako Megumi/gettyimages

私が両親を亡くしたのは二十歳にならない時分でした。私は一人っ子で、家には相当の財産があり、鷹揚に育てられました。両親の死後は叔父を頼り、私の希望する東京へ出してもらいました。月々の学資の他に書籍費や臨時の費用も叔父に請求し、経済的に不自由はありませんでした。
私は最初、叔父に感謝し、にぎやかな家の様子をうれしく思っていました。唯一わずらわしかったのは、叔父夫婦がしきりに結婚を勧めてきたことです。一度は従妹との結婚を促されましたが、兄妹のように育った従妹を妻にする気になれませんでした。それを断ってから、叔父家族の態度を妙に感ずるようになりました。自分の行先を不安に感じた私は、叔父任せにしていた家の財産を詳しく知ろうと談判を開きました。
一口でいうと、叔父は私の財産をごまかしたのです。他の親戚のものに私の所有のいっさいをまとめてもらうと、それは私の予期よりはるかに少ないものでした。私は思案の結果、私の受け取ったものをすべて金に変え、故郷を離れる決心をしたのです。親の遺産からは非常に減っていたに違いありませんが、学生として生活するには十分以上でした。

精神的に向上心のないものはばかだ

金を得た私は、騒々しい下宿を出て、ある軍人の未亡人と一人娘と下女だけの住む静かな下宿に移ることにしました。その家で奥さんとお嬢さんと世間話をしながら遊ぶうち、私は快活さを取り戻し、お嬢さんに対して信仰に近い愛を持つようになりました。お嬢さんの顔を見るたび自分が美しくなるような心持ちがしたのです。
私には子供の時からの仲好しのKという男がいます。Kは養家とも実家とも関係をこじらせ、困窮し、心身ともに弱っていました。見かねた私は、自分の座敷に付属する4畳にKを入れたのです。
私は、家の人たちとの交流が、Kを元気づけることを期待していました。しかし実際にKが家のものと親しくなってゆくと複雑な思いがしました。Kは私のお嬢さんへの愛情にまったく気づかず、私はKに自分の心を打ち明ける勇気も出ませんでした。そうしているうちに、彼の口からお嬢さんへのせつない恋を打ち明けられたのです。先を越され私は、何も言うことができませんでした。
後日、Kは私を散歩に誘い、その件について私にどう思うと聞くのです。私は無防備な彼を一打で打ち倒すことを考えました。私は厳粛な態度を示し「精神的に向上心のないものはばかだ」と言い放ちました。これは二人で房州を旅行している際にK自身が私に使った言葉です。寺生まれで精進という言葉を好むKにとって、この言葉は痛いに違いありませんでした。この言葉は、私の利己心の発現です。
「ばかだ」とKが答えました。「ぼくはばかだ」

もっと早く死ぬべきだった

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私はKの知らぬまに事を運ぶことにしました。仮病をつかって奥さんと二人になると「お嬢さんを私にください」と言って約束を取り付けてしまったのです。
それから五、六日して、奥さんからもうKに話したのかと聞かれたので、まだだと答えました。「どうりでわたしが話したら変な顔をしていましたよ」と言った奥さんの言葉を今でも忘れられません。奥さんによると、Kはこの打撃をおちついた様子で受け止め、祝いの言葉を述べたそうです。超然とした態度のKと私とを比べて、「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という思いが渦巻きました。
私はKの前に出るかを思案し、あくる日まで待とうと決心したその晩、Kは自殺して死んでしまったのです。遺書には意志弱行で先の望みがないから自殺するとだけ説明されていました。私が痛切に感じられたのは、最後に添えられた、もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きていたのだろうという文句でした。

すべてを腹の中にしまっておいてください

それからまもなく今の家へ引っ越し、私は大学を卒業して半年もせずにお嬢さんと結婚しました。外から見れば、いかにも幸福です。けれども私の幸福には黒い影がついていました。
妻も何か感じ取り、妻に不満があるのかとたびたび詰問を受けました。妻に懺悔すれば彼女は私の罪を許してくれたに違いありません。けれども妻の記憶に暗黒な一点を印するのはためらわれたのです。
自分が最も愛する人間すら、自分を理解していない。Kも私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、死んだのかもしれません。私もKと同じ路を辿っているのだという予覚にぞっとしました。しかし母親を亡くして、私より他に頼りにするものがないと言う妻の述懐が、私をこの世に留めたのです。
国に帰るあなたに再会を約束したのは嘘ではありません。しかし明治天皇が崩御になり、明治の精神の終わりが感ぜられました。そして、35年もの間死ぬ機会を待っていたという乃木大将の殉死です。
私はとうとう自殺する決心をしました。この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。
私は私の過去をひとの参考に供するつもりですが、妻が己の過去に対してもつ記憶はなるべく純白に保存しておきたいのです。妻が生きている以上は、あなたかぎりに打ち明けられた秘密として、すべてを腹の中にしまっておいてください。

▪️すゝめ

自分を欺いた叔父を憎み、自分は叔父とは違うと思っていたはずの先生は、自身も親友を欺いて死に追いやってしまった。他人にも自分にも愛想を尽かし、人間というものの悲しみを吐露する。人間の心の奥底にある孤独や罪悪感、理想と現実の間での彷徨とは、誰もが無縁ではいられない。要約を読み終わったら、日本文学を代表する本作の心理描写を原文で味わいながら、本作の描こうとしたテーマに思いを馳せてみてもらいたい。今読んでもなお新しい本作の魅力が存分に感じられるはずだ。

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