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無意識の時代観

世間(テレビやSNS)で扱う表現を見ていると、時代への配慮が増えているなあと思いますが、それでもやはり化石のような人は残っていて、時代錯誤なことが当たり前のようにまかり通ることがまだあります。
最近の出来事では某アーティストのMVとか林檎のタブレット端末とか? 差別とかジェンダーとか多方面に配慮して、誰も不快にならないものを作るのは大変です。むしろ物議をかもしたほうが見てもらえるから、わざとやっているのでは? とも思ったりします。
身近なところでは、ローカルテレビで密着されていた70台の男性が、その人の時代の感覚で「女のくせに」と言ったところがあり、若いスタッフは「これを使うとこの人が嫌な人に見える」とカットしたのに、ちょっと年上のスタッフが「おもしろいから使おう」と入れ直したらしい。放送後の反響は聞いていませんが、若いスタッフはずっとモヤモヤしていたようで、誰かれ構わず掴まえては愚痴っていました。
でも、「時代に合わない」ことに気づかない人ってまだまだたくさんいるんだなあと感じる出来事でもありました。
私も無意識に古い考えに固執しているかもしれないし、多様性といいながらもどこかで「こうあって欲しい」とコントロールしているところもあるかもしれません。例えば女の子に「黒じゃなくてピンクにしたら?」と聞くとか、そういう意味で。
ちょっと前に話題になった「不適切」をキーワードにしたドラマも、それを逆手にとっての問題提起だったのかもしれませんが、あえてやっているにしても、見ているほうは「これ、放送して大丈夫なの?」とヒヤヒヤしてしまったので、自分のなんだかんだで時代に合わせた価値観になってきているのだなあと思いました。

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