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「消えたおばあちゃん」2017年の日記(33歳)

祖母とは物心ついた時から一緒に住んでいた。

両親は共働きだったが、母方の両親が同居していたので寂しかった覚えはない。むしろ優しい祖母がいつもこっそりお菓子をくれたので私としては好都合だった。

祖母はテンプレになりそうなくらい典型的な「田舎のおばあちゃん」という感じで、トトロにでてくるおばあちゃんにそっくりだった。割烹着を身に纏い、てぬぐいを頭にかぶる。もれなく顔にイボもついていて完璧だった。

学校から帰宅すると祖母は「こっちおいで」と私を手招きし、近所のなんとか商店で手に入れたその日の戦利品をいそいそと取り出すのだった。

祖母の買ってくるお菓子は当時の私からすればちょっと「微妙」なものが多く、ポタポタ焼きよりチョコクッキーがいいなぁ、とか、あずきバーよりチューペットがいいなぁ、なんて思ったが、子供なりに祖母の好意を無下にできなかったらしく黙ってもらえるものを頂いた。

祖母が怒ったところは一度も見たことがない。いつも誰にでも優しく、祖父から怒られても言い返すことなど一度もなかった。

私が小学校高学年になっても祖母は相変わらずお菓子をくれた。「いらない」と言っても毎日近所のスーパーまで歩いて買ってきた。
やがて手持ちのお金が尽きたのか、母親の財布からお金を抜き取りお菓子を買うようになった。母や祖父にひどく怒られ、祖母は「ごめんねぇ」と寂しそうな笑顔を見せていたのを今でも覚えている。

おばあちゃんは私が中学1年のときにボケてしまった。

ある日を境に私を「みつこ」と呼ぶようになった。おばあちゃんは「みつこ」とは親しい仲で、昔から知っているらしい。私は「みつこ」ではないし、「みつこ」という名の人のことは何も知らない。

そのうち「みつこ」も出てこなくなり、1階から手をたたいて私を呼ぶようになった。

そのうちトイレの場所も分からなくなった。すぐ転ぶようになった。

それからしばらくして祖母は入院したが、部活や受験などで忙しいから...などと理由をつけてほとんどお見舞いには行っていない。いつかまたお菓子を買ってくる祖母の姿を想像しながら日々を過ごした。


半年ほど経って、朝方母から「おばあちゃんが亡くなった」と告げられた。

棺に入れられたおばあちゃんはとても白くて、私が想像するよりずっと細くなっていた。

火葬場で骨だけ残った祖母に、火葬場の人が「生前よく運動されていたのでしょうね」と言った。骨が丈夫に見えたらしい。「毎日よく歩いて出掛けていたから...」と母は弱々しく笑った。

人の死を目にしたのは初めてだった。

骨だけになった祖母を見ても不思議と涙は出なかった。その時は悲しみよりも困惑の方が大きかったように思う。
人の命はあまりにあっけなく消えてしまうものなのだなぁ、と遺骨を拾いながらぼんやりと考えた。当たり前にいた人がこんなにも簡単にいなくなってしまうという事実に心が追いついていなかったように思う。

後から聞いた話だが、祖母は後妻だったらしい。

良い家柄の娘として生まれたらしいが、早くに戦争で夫を失い、色々あって今の祖父と50歳くらいで再婚したらしい。大正生まれの人だったので、私が想像などできない人生を歩んできたのだろう。

祖母の死から20年経ち、私は家庭を持って、夫と幼い息子と慌ただしくも幸せな日々を過ごしている。
今ごろになって祖母に会いたいなぁ、なんて思う。
今ごろになって祖母の笑顔を思い出すと涙が出る。
私がおばあちゃんになったら、同じように孫にお菓子を買いにいくのかな。


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