マガジンのカバー画像

うろつきうつろう話

16
垂れ流し
運営しているクリエイター

記事一覧

16) 起きたらまずカメムシと戦う女(26歳)

前回のはなし オーストラリアから帰国し、次なる目的地を(なんとなく)カナダにさだめ、住み込みで資金集めを始めた。まだ26歳。たぶんまぁなんとかなる。心も体もやる気十分である。 しかしながら村で暮らし始めて数ヶ月後、私は避けられない強敵と出会うこととなった。 カメムシである。別名「クサムシ」ともいう。 刺激すると悪臭を放ち、お風呂にでも入らない限りニオイはとれないクサイやつ。 田舎に住んだ経験のある方にはなじみのある虫かと思う。 私が住んでいた温泉街のある山奥では、秋の

15) 閉ざされた村社会に降り立つ女(26歳)

←前の話 オーストラリアでの就職活動に敗れ、落ち込む間もなく「じゃあ今度はカナダに行こう」と思いついた私はまずお金のことを考えた。 オーストラリアでは社会人の頃に貯めた貯金を崩しつつ、アルバイトで日銭を稼ぎながら生活していたのでとにかく今はお金がない。 集中して短期間でお金を稼ぎたいところだが、どんな方法がベストだろうか。ひとまず仮住まいしているこの実家からは出るべきだと思った。 というのもこの辺りは何もないど田舎なので求人が圧倒的に少なく、給与水準も都会よりきわめて

14)帰国して結婚式にゆき私はどうするのか(26歳)

社畜営業ウーマンを辞めて1年。 オーストラリアでの語学留学を終え、日本へ帰国したのは26歳の時だった。 どこまで英語力が伸びたかは不明だが、とにかく勉強漬けの日々だった。 これまで勉強は「大学のため」「就職のため」...私自身がやりたいかどうかよりも、やるべきものとしてそこにあったのでしょうがなくやってきたが、生まれて初めて学ぶことが楽しいと思えた一年だったように思う。 帰国して2週間後、私は東京で友人の結婚式に出席した。彼女は営業時代の同僚で、私からすれば仕事にプライ

13)前のめりなアジアンメイツ(25歳)

そういえばオーストラリアでアルバイトをしていたことがある。 パパジョンに再会する少し前、いつものように語学学校に到着すると、タイ人のクラスメイトが日本食レストランでスタッフを募集していると教えてくれたのがきっかけだった。 「You look for a job? You can work at a Japanese restaurant!! Japanese restaurant is good for you!」 はて私アルバイト探してたかな..?首を傾げているとクラ

12)オーストラリアでパパ活しかけたときの話2(25歳)

ベトナム旅行でオーストラリアのおじさんグループ3人組と出会ってから2年、語学留学で渡豪した私はグループの1人「ジョン」と久々に再会することになった。 たまたま私の滞在している街メルボルンを訪れる予定があったらしく、彼は飛行機に乗ってはるばるアデレード(オーストラリア第三の都市)からやってきた。 私たちは金曜の午後に市内にあるロイヤルボタニックガーデン(王立植物園)付近で待ち合わせた。 彼は黒い皮ジャケットにジーンズという出立ちで現れた。 メルボルンのボタニックガーデンは1

11)オーストラリアでパパ活しかけたときの話(25歳)

一度オーストラリア人のおじさんとドラマチックな?展開を迎えたことがある。 名前はジョン(仮)。 彼と出会ったのは渡豪する2年前。当時私はまだ東京で営業をしており、はじめて長い休暇をとって友人とベトナムはホーチミンに旅行に出掛けたときだった。 市内散策に飽きた友人と私は市街の日帰りツアーに何度か申し込んだのだが、行く先々でまるで何かの力に引き寄せられたかのうように毎回同じおじさん3人組とバッタリ出会った。 彼らはオーストラリアから旅行に来ており、私たちと同じ旅行社を通して日

10)オーストラリア、ホームステイ終了。f*ckと叫ぶ香港人との共同生活(25歳)

レイザーラモン家でのホームステイを終え、私は巨大なスーツケースを抱え次の住処へ移動することとなった。 次の目的地は、 ・立地が良い ・家賃が手ごろ ・寒くない が条件である。 ホームステイの次のステップとして一般的なのは「シェアハウス」だ。 アパートや一軒家のオーナーが使用しない部屋を他人に貸し出し、複数名と共同生活することで借り手は家賃を安く抑えることができる...といったもので、オーストラリアではごく一般的な生活スタイルの一つである。 家具つきの物件がほとんどなの

9) オーストラリアのレイザーラモン家(25歳)

私は東京でのサラリーマン生活をやめた。 25歳の時だった。 自分なりに悩んだ末、私はオーストラリアのメルボルンという街に旅立った。 仕事で関わる海外支店の同僚があまりにのんびり暮らしている様子だったので、他国の生活や仕事の価値観を覗いてみたくなったからだった。 なぜオーストラリアかというと、 ・英語圏だから ・たまたま何度か訪れたことがあり馴染みがある ・シドニーは行ったことがあるが、第2の都市メルボルンはない ・メルボルンってなんかおしゃれそう 以上である。基本的にあ

8)初めての就職先、女の営業とは (23歳)

はじめての就職先は、旅行代理店での法人企画営業だった。 自社の既存商品を売り込むというよりは各企業のニーズに合わせ付加価値を与えたうえでサービスを提案する、といった内容だ。 とはいっても提案する機会をまず与えてもらうことが難しく、日中のおもな業務はアポイントメントの獲得である。 新たな顧客となりうる根拠や可能性を無理矢理ひっぱり出したあと、ひたすら電話をかけるのだが、そのほとんどは代表電話で門前払いを受けることが多く、30件かけて1・2件アポが取れればよいほうだった。

7)東京は下着泥棒と満員電車(23歳)

苦しい就活を終え、私は東京の街におりたった。 山など見えない。マイルドヤンキーもいない。正真正銘の都会だ。 東京にいたときは9割がた仕事に費やしていたので仕事以外の思い出があまりない。 東京勤務を言い渡されのこのこ出てきたので、たいした志も無かったのだろう。 東京での初めての住まいは新宿からほど近い、比較的活気のある町に決めた。 「ひとクセあるゆるい街」という感じで、私にとっては住み良い街だった。 この街の思い出といえばまず下着ドロボウだ。 先にも述べたがプライベートが

6)パチンコと就活(22歳)

男性厳禁(だったはず)の家には結局4年近く住んだ。 今振り返っても実家を出てから最も長く住んだ物件となった。 田舎から出てきて5年(編入浪人したため)、私はどう間違えたのかとてもマイルドなヤンキーになりさがっていた。 私にとって見るもの触れるもの全てが新鮮だった大学生活。 しかしここは都会ではなく、大阪の片田舎だったのだ…。 卒業できる程度に授業には出たが、編入してからはほとんどの時間をバイト先のパチンコ屋で費やした。(時給が高いから) 本当にロクでもない。 何か目標

5) 男性厳禁の家なんだからピーヒャラしないでほしい(19歳)

1人暮らしを始めて1年。 19歳になった私はおかしな住民のいる物件から逃げ出す決意をした。 お経を読み始めたり、「コロスゾ」と夜な夜な叫ぶ隣人とこれ以上壁を共有するのは心臓に良くない。 前回の物件探しの失敗を振り返り、 1. 物件は必ず自分の目で確かめる 2. チャラいスタッフのいる不動産へ行かない 3. 叫んだりしそうな隣人がいないか事前に確かめる この3か条をしっかりと胸に刻みつけ、2回目の引っ越しは大学のすぐそばにある小さな不動産屋さんにお願いすることにした。 こ

4)はじめてのひとり暮らしで「○ロスぞ」と叫ばれたときの話(18歳)

はじめての一人暮らしの家は一言でいえば最悪だったかと思う。 これまでの人生で20回近く住まいを変えたが、そのなかでもワースト3に入る住まいだった。 はるばる田舎から出てきて契約を交わしたが、帰宅後ダブルブッキングであったことが判明。 しかしめんどくさがりの私は不動産屋の代替案を素直に受けいれ、同じ建物の2階下の部屋であっさりOKをだしてしまった。 だからまぁ、ちゃんと見に行かなかった私が悪いんだろう。 直感で良いと思った最上階の部屋は窓が3つあり南向きだった。 しかし

3) 大学生はじめての引っ越しとチャラい不動産(18歳)

私が人生はじめての引っ越しをしたのは18歳。大阪の短期大学進学に伴い、田舎から出てきた時だった。  実家から大学までは片道約2時間、往復約6000円。 一人暮らしをした方が圧倒的にコスパがいい。 兄達もすでに1人暮らしを始めていたし、我が家にとって「18になったら家を出る」が当たり前だったため、実家を離れる寂しさなど特になかった。 むしろ「自分の空間を誰にも邪魔されないなんて最高すぎる」と小躍りしながらその日を待ちわびていたと思う。 ところでうちの母は過干渉だ。もしか