7)東京は下着泥棒と満員電車(23歳)
苦しい就活を終え、私は東京の街におりたった。
山など見えない。マイルドヤンキーもいない。正真正銘の都会だ。
東京にいたときは9割がた仕事に費やしていたので仕事以外の思い出があまりない。
東京勤務を言い渡されのこのこ出てきたので、たいした志も無かったのだろう。
東京での初めての住まいは新宿からほど近い、比較的活気のある町に決めた。
「ひとクセあるゆるい街」という感じで、私にとっては住み良い街だった。
この街の思い出といえばまず下着ドロボウだ。
先にも述べたがプライベートが退屈すぎて他のことを覚えてないだけなので、決してこの町の治安が悪かったという印象はない。
当時部屋干しに限界を感じ、近所のコインランドリーを利用していたことがあった。
小さな個人経営のランドリーで、地図にも乗っていないような所だ。
乾燥機に洗濯物をつめこみ、徒歩20歩の自宅で待機したあと時間を見計らって回収しにいった。
が、私が使用していた乾燥機のフタが開いており、ストッキングがはみ出ている...。
ご丁寧につい先日買ったばかりの新人たちのみ抜きとられていた。
大学時代からの古株には興味がなかったらしい。選別しやがった…
今思えばすぐに警察に被害届けなり出すべきたったのに、当時は「まぁそういうもんなんだろう」と大人しく家に帰ってしまった。
一人暮らし1年目の「コロスゾ事件」が衝撃過ぎて何かマヒしていたのかもしれない。
ということで、東京のひとクセあるこの街での思い出は以上である。
*
東京という異質な空間を最も感じたのは言わずもがな、朝の満員電車だった。
上京した誰もが思うことだろうが東京は本当に人が多い。異常に多い。
ホームに滑り込んでくる電車の扉が開き私を迎えてくれるが、乗りこむスペースがあまりに小さく尻込みしてしまう。
私はその場から動けず、戦場に乗り込む兵士のごとく突撃する人々を駅員と一緒に何度も見送った。
満員電車ではとにかく「いかに自分が小さなスペースを心がけ、他人に迷惑をかけないか、また自分が不快にならないか」が重要である。
大きな荷物を持ってはいけない。
捕まるところがなければ両足でしっかり踏ん張る。
扉付近は特に混雑して危険なので、少し車内の中側に陣取る。
しかし降車駅で降りられない恐れがあるのであまり奥まで移動してはいけない。
じっと息を殺して、目を閉じて、まわりに見えないバリアを張る。そして目的地まで無になるのだ。
いつだったか、扉に押しやられたおじさんが「死ぬ…!」と絞り出すような声で呟いたのを今でも覚えている。人身事故の影響で遅延し、やっと動き出した電車に人が殺到した時だった。
私も死ぬと思った。なんで上京したんだっけと思った。
続き
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