エンタメの消費と罪悪感の話

【エンタメの消費と罪悪感の話】

食事に関して「罪悪感」という言葉が出現してから久しい今日この頃です。


あえてちゃんと説明するならばカロリー過多、油こってり、調味料たっぷりみたいな「身体に悪そうなもの」を食べる際に生じる心の負荷の事を指し、近年はそれを逆手にとった「罪悪感のないおやつ」や「罪悪感のないカップラーメン」のようなコンセプトの商品もたくさん生まれてきました。


そして、なんとなく思い至ったのがこの「罪悪感」という心理傾向は、エンタメに使う時間の消費に関しても広がってきているのではないか?という仮説です。


現代社会、特にビジネスパーソンは「生産性の呪い」をかけられているように感じます。


「常に何らかの学びを得、有益なつながりをつくり、何かを生み出しなさい。それができなければお前は価値のない凡庸な人間だ」と、多少極端に書いていますがそのような雰囲気がうすぼんやりと漂っているのを感じます。


これが良いか悪いかを論ずることは置いておきましょう。ただ、少なくともそういう空気にあてられてしまった場合、人は「無駄な時間の消費」に対して抵抗感を抱いてしまうのです。


だらだらと午後のロードショーで面白いのがつまらないのかわからない映画を見るとか、昔クリアしたことがあるゲームをなんとなく10時間以上やってみるとか、そういった時間の使い方は特に難しくなってくることでしょう。


つまり、余暇としての時間に関しても生産性を求められている(と思い込んでいる)状態なのです。


僕自身、この「生産性の呪い」にかかった哀れな人間の一人であり、それに基づき消費行動が変わってきたなと感じています。


例えば YouTube の視聴。僕が最近見ている動画に関しては言語学であったり書籍の紹介というような学びがあるようなテーマでありながら結局中身はエンターテイメントというものを非常に好むようになりました。

そのような動画を見て1日数時間時間が経ってしまうこともある一方で、映画を1本まるまる2時間見るというようなことはあまりできなくなってしまいました。


おそらくここには「エンタメによる時間消費の罪悪感」が隠れているものだと感じています 生産性がない拘束された時間を2時間取ってしまうというものに対する焦りが純粋なエンターテイメントを楽しめなくしてしまっているのです。


しかしながら、現在好んで見ているYouTube における「学び系エンタメ動画」に関しても、実態はエンタメであり、実のところ特に何も生産はしていないのです。


食品同様、重要なのは罪悪「感」を感じることであり実際が生産的であるということは必要条件ではないのです。


この心理的な負荷や傾向が今後も拡大していき、悲しき呪いにかかった人間がどんどん増えていく傾向にあるのであれば、時間を消費する罪悪感が少ない学び風エンタメというのは今後より大きなトレンドになっていくこともあるのかもしれない。そんなことを思いました。

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