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「昔話とは何か」読書会終了。

小澤俊夫先生が書かれた「昔話とは何か」の読書会が終了した。
始まったのはコロナ禍の21年9月9日重陽の節句。
まえがきから改訂後のあとがきまで270ページを2年5ヶ月で読みきった。

毎回、チェックインをして、声に出して読み、その感想を言いあう。
ただそれだけの時間だったけれど、その時の皆さんの今を分かちあってから
読むと、それに伴うヒントのようなものがそこかしこにちりばめられていた。

昔話を生涯かけて研究された小澤先生の言葉は、理解していると言えないほど
多岐に渡り深いものだった。
一人で黙読するだけでは通り過ぎてしまう言葉の数々を、みんなで読んで感想を言いあう中でようやく見出せることも何度もあった。

昔話が持っている日本の生活感覚やそのスピリットを小澤先生に解説してもらいながら
今、先生が何を我々に残したいのかということが随所に伝わってきた。
さまざまなことが起こっているこの世の中で、ぼんやりと大切にしていきたいと感じていることが、小澤先生の言葉によって具現化され、それによってようよう我々の言葉を紡げることも多々あった。

わたしは時々、わざわざ街灯のない山の中で「まっくらキャンプ」を企画してみたり、曽祖父の遺した古民家や竹林を一人で整備している時、そのあまりの静けさや闇に、畏怖を感じることが度々ある。
そういう経験を選んでしているのを他の人から見れば、「なんでそんな酔狂なことをしているのか」と笑われることもある。
その経験は自分なりにとても大切なことなのだと思っているのだけれど、人に説明しても伝わらない気がする。
私が自然を忘れないためにそうしている、としか言いようがない。

熊野の月あかり




小澤先生はこんなことを書かれている。
「山梨県の旧西八代郡市川大門町で古老から口伝えをいろいろきかせてもらっていたとき、あるおじいさんがふといった。
『こんな話も、電灯がきてからなくなったなあ』
私は、はっとした。この言葉は、日本の昔話の世界をよく説明しているように思われた。つまり、まっ暗い自然への恐れがあり、そこからさまざまなファンタジーが生まれてお話になってきたこともあるだろう。ある出来事を、まっ暗な自然におきかえることによって、すさまじさが生まれ、人をひきつける話となってきたのも、かなりあるだろうと思うのである。
そういう自然の中で伝えられたきた昔話であれば、現代の子どもやおとな、特に都会に住んでいる日本人にとって、たいしておもしろくないのは当然といわなくてはなるまい」

別に昔話を語るためにそういった経験をしているわけではないけれど、では、そういった生活をしていない現代人や都会の子どもたちにはもはや昔話の語り聞かせは無駄なことなのだろうか、と読みながら不安に思いはじめた頃またこんな言葉に行き着く。

「だが、そういた現代日本に住んでいても、なお日本の昔話を好んで聞く子どもがいるし、やはり日本の昔話の方がしっくり心におさまるという若い語り手もいる。そういう人は、自分にピンとくる昔話を語ればいい。日本の昔話は日本人の心の中の原風景を描いているし、昔話は母国語なのだから。それに、大切なことは、口で直接語って聞かせることによって、そこにひとつの人間たちの場ができ、人の心が通じあうことなのである。
ある人はヨーロッパの昔話がピンとくるからとて、それを語り、ある人は日本の昔話がピンとくるからとて、それを語る。それでいっこうにかまわない、と私は思う。(中略)語り手の年齢や経験によって、変わっていくこともあるだろう。そのとき、そのとき、自分がほんとうにおもしろいと感じるものを語って聞かせればいいと思う。」

今日の最後の読書会で読んだあとがきの中で
「私たちは昔話の伝承の途中にいるのであって、終点にいるのではない」
という言葉が何度も書かれていた。

伝承の途中にいる

参加者のお一人は、
この言葉に励まされて、人の声で子どもたちや人に直接語っていく行為を続けていこうと思う。
そんなことを話された。

平日の午前中、毎月私の空いている日を数日だしてその中で多くの人が参加できる日を選ぶ。
こちらの日程を出すのが遅くなったり、みなさんの事情で参加が続けられなくなった方もいる。
それでも最後まで続けてこられたのは参加者の方が参加してくれたからだ。

話す。読む、語る。
好きなことをのびのびとさせてもらった。

続けられたことに感謝しかない。

ありがとうございました。