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デザインが好きだからデザイナーになったわけではない。という話

ぼくがデザイナーを目指そうと思ったのは大学3年のときでした。でも、その時点でデザインやったことなかったので「デザインが好きだからデザイナーになりたい」という動機はゼロでした。なぜデザイナーになりたいと思ったのか。それは「何をしたいか」と、デザインという手段が合致したからです。

作ることに熱中していた小中高時代

小学5~6年生のころ、勝手に学級新聞を作って配っていました。クラスのできごとを記事にしたり、担任の先生をキャラクターにしたり、四コマ漫画を描いたり。きっとそのときは「ただ作りたい」という衝動で作っていただけかもしれませんが、新聞をきっかけに会話・コミュニケーションが生まれたことはよく覚えています。

中学に入ってもそれは続き、それがきっかけで新聞委員長になったということも、私→公へのステップアップという点で大きな成功体験でした。ここでは新聞そのものに「面白い」要素はなかったものの、「ものごとを正確に伝える」という意識が芽生えました。

高校では、弓道部や文化祭に熱中するのと並行して、マンガ家を目指し週刊少年サンデーの新人賞へ応募するようになります。「あと一歩で賞」という、入賞に一歩届かずという結果を4回ほど。入賞ではないので講評をもらうこともなく、それでも名前が載ったことに対して、家族や友達は褒めてくれました。ただ、多くの人に「伝える」ことができなかったことに対しては残念な気持ちを持っていました。

きっと、ぼくは小さいころから「つくる」や「伝える」ことが好きだったのでしょう。

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デザインとの出会い

進学し、広報学を学んでいた大学3年の学園祭のとき。所属していたサークルで広告看板を作ることになり、「ヒロシ、看板デザインしてよ」と頼まれました。「え、デザイン!?やったことないんだけど…。まぁ、でもなんかかっこいいの作ればいいんでしょ、任せて!」と意気込んで作りました。ところが、完成した看板を見た仲間から「何を伝えたいのか、わからない」と言われたのです。衝撃でした。

自分が作ったものに客観的な評価(しかもマイナス評価)が下る。新聞記者、TVディレクター、コピーライターなどメディア系を目指す仲間が多い環境での全うな意見。自分のエゴであったこと、客観的な視点を欠いていたという事実はショックでした。穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかったです。時間ギリギリだったので作り直すこともできず、散々でした。

仲間からの批評を受けた「伝えることができなかったデザイン(ぽいもの)」によって、「伝えたい」という感情が沸々とわいてきました。これは、新聞づくりやマンガを描いていたときの感情そのもの。なんでそれができなかったのだろうと悔しくなりました。そして、デザインというもので「伝える」ことができるのならやってみたい。そう気づくことができたのです。そこから、持ち前の「せっかちさ」をフル稼働させて行動に移し、信じられないような強運も重なり、デザイン業界への潜り込みを果たします。

・ゼミの先生に相談にいく。「デザインするならコンピュータでしょ」
・その翌日にMacを買う
・その翌日に夜間スクールに申し込む
・ある日、接触事故を起こしてしまう(実家から両親が来ていて同乗していた…)。その相手がDTP会社の社長で、それが縁でバイトさせてもらう。
・大学4年の春、一般的な就職活動はせずに中途採用誌を片手に都内のデザイン会社数社受ける。技術も知識もないから熱意と量で勝負(ポートフォリオ200枚ぐらい束ねて持参)。学生社員として採用してもらい、4月から働く。
・結局すぐ辞めるが、エルに就職が決まり長野にUターン。

それから、ゼミでは「コミュニケーション」について学びを深めました。


「何をしたいか」が原動力となり、職業を選んだ

結果的に「伝える」を実現する手段として、デザイナーという職業を選択したことになります。ぼく自身「好きを仕事に」タイプだと思っていますが、それは「デザインが好き」ではなく、「伝えるのが好き」。もちろん、デザインの仕事を通してデザインが楽しい・面白いと思う気持ちや、追求したくなる向上心などは当然ありますが、動機ではないということです。

それは、しごとを「なりたい職業」ではなく「何をしたいか」で選んだからだと思います。自分は何をしたいのだろう、何を成し遂げたいのだろう、なぜやっているのだろう、と考えれば考えるほど、デザイナーに固執する必要はないと思えるのです。だからぼくはブログ書いたりSNSで情報発信したり、プロモーションでマンガを描いてみたり、「らしさを伝える」ための手段をあれこれ考えることにやりがいを感じているのだろうな、と思うのです。

少年時代の原体験が土台となって数十年経過し、会社のミッションやビジョンまで通じる言葉に言語化できたということは、ぼく自身を支えてくれています。23年間デザイナーとして仕事をし、天職ともいえるのですが、この先起こりうる変化に対しては、いまの職業にこだわらなくてもいいなとも思っています。

おわりに

「何をしたいか」の「なぜ」を探れば、もしかしたら職業の選択肢は広がるのかもしれません。これから仕事に就く人、なりたい職業がある人、すでに職をもって長くやっている人。あらためて「自分は何をしたいのか」を考えてみてはどうでしょうか。

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ハラヒロシ @harahiroshi

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