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出会う人は縁があります(縁と運その28)

袖すり合うも他生の縁と言われます。何にせよ出会う人とは縁がありそうです。SNSで知り合うのも縁、仕事で知り合うのも縁、恋愛するのも縁、家族になるのも縁。なぜ、出会う人がいるのかと考えています。まだ答えがありません。

出会う場所にも縁はありそうです。行ってみたいところがあれば、それは縁があるということです。でもまだ行ってなくて、生きている間に行けなかったとしても、縁がなかったわけではなく、縁が薄かったのだと思います。

同じように、人とのご縁も、濃い、薄いはあると思います。袖がすりあった程度の薄い縁もあれば、親子になっている濃い縁もあるということです。

ぼくがよく話すことがあって、ご縁はいろいろな形があって、密な縁(蜜な縁)、濃い縁(恋縁)、繋ぎの縁、血縁、霊性の縁(魂の縁)、などがあることを言っています。それとは別に、縁自体が良縁であったり、悪縁であったりするのです。腐れ縁というのもありますしね。

でも、いずれにしても出会う人は縁があります。逃してしまう縁があっても、そのこと自体に意味はあると思います。だから、別れても、見逃しても、憧れても、縁は縁です。

縁は、執着せずに流れに任せて行けばいいのです。つかむ努力はしっかりとして、それからは天に任せる感じでいいのです。いつもいうように「なんとなく」の感覚で良いと思います。

特に恋愛などの縁は、自然にうまくいくものが、良い結果を生みます。無理したり、我慢したりするのは、そのこと自体に意味はありますが、良い結果が生まれることはないでしょう。反対された恋愛や結婚もうまくいくとは限りません。

男女の縁は深い何かがあると思います。


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#コラム #エッセイ #人生 #縁と運 #男女 #恋愛



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