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OLD MAN SAID (仕事・こころのヒント@ランダム)

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人生・仕事・コミュニケーション・こころのヒント書きます。
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#ライフスタイル

ぼくが唯一悩んでいること。

このnoteの位置付けを考えている。ビジネスにはあまり向いていない。 この余白に書きたいのは、生きることについてだ。 ぼくの興味はズバリ「人」。 私は誰?ここはどこ?を追求してきてが、まだまだ深い。 ただ、「私は誰でもない」という行き着く先は出ている。 途中に見えない球体がいくつもあって、悩ましてくれる。 球体に当たると、痛かったり、暖かかったりする。 感じるけれど姿を現さない球体を今は懸命に知りたい。 多分、人の魂だろう、良心だろう。 と、思うのだ。 #

一歩前へ。

この先の未来を怖がって、何も手につけられないでいるのは、死んでいることとほぼ同じだ。以前ぼくは恐怖を覚えていた。「もしコレをしたらどうなるかわからない」「未来についたとき、自分は悲惨な目にあっているかもしれない」などと先に進めない自分がいた。 先のことをシミュレーションすることは大事なことだ。想定を作っておくことで最悪を回避できるからだ。 怖がっているだけで何もしないのは、最悪の事態を招くかもしれない。 恐怖で立ち止まり、固まった瞬間の隙を突いてくるのが、悪魔たちだという

家に持ち帰ってまでやることではない。

学校が課す、毎日の宿題、夏休みの宿題。このことが休暇が取れない、働きすぎる日本の根っこになっている。 宿題は、本来自分が課す勉強である。予習や復習をし授業に臨んだり、調べ物をして、学校での課題を深く探求するものだ。自分の意思でやるのだから、居残りはせず、家に持ち帰る。新しい発見や発想力が、授業以外のところで養われる。 仕事も同じで、就業時間にすべきことができないと、多くの人は持ち帰って仕事をする。カフェで夕方から夜にかけラップトップを開いて仕事をこなしている。 それをと

直感が働きそれがなぜ当たるのか。

直感が働きそれがなぜ当たるのか、という問いです。 しかも当たらない時の方が多いのは? 心身ともに元気なときでしょうか。 ヨガや瞑想をしていて、何か気分の良いとき。 切羽詰まっているとき。 頭が空っぽなとき。 人によって意見は分かれるでしょう。また、個人によって違うのはよくわかります。それぞれです。 これらは状況を表している「とき」です。 ある状況の時に直感はよく働きます。 もしかしたら、いけるかもしれない。 探し物がここにあるかもしれない。 あっそうだ、これに違いない

夏休みの宿題ができないからといってもどうにかなるさ。

学校での読書感想文を数年間書き上げることは、至難の技である。別に子供は困ってはいない。困っているのは母親だけだ。母親がくどくどと「感想文書いたの」と言い続けるから、子供が困るだけで「うっとうしいな」って思うのだ。 毎年毎年この繰り返しなら、親子共倒れで夏休みの後半を過ごさねばならない。帰省の後では、パパのお休みの後では、時間がない。 なぜ書けないかというと、子供が本を読んでいないからだ。 読んでいないから、書こうにも書けない。 内容を知らないから、感想もへったくれもない。

春は変わり目。

ようやく春めいてきました。梅が満開のようで、木から香ってくるものが、すでに春。桜の蕾も、じきに膨らんできそうな予感がします。 春といえば別れがつきものです。年度の変わりで、転勤する人、退職する人、学校を卒業する人、新たな学校に入る人たちが、場替えをしていきます。 場替えは辛いこともあるけれど、生き変わるチャンスでもあると思います。 知らない人なら、自分の行動を変えてみてもあまり気づかれないです。新しいことを始めるときには、絶好のチャンスです。自分を作っていけるからです。そ

頑張ってるな自分。

あれよあれよと二月が逃げていく。走り去る中でも、自分で決めたルーティンは守っていきたい。それがあるから、ブレずにエンストせずにまっすぐ走り続けられる。 一週間以上、投稿が空いてしまったのは、初めてかもしれない。とはいえ、ぼくのモットーは断続でもいい、続けること。継続は確かに力になる。ルーティンは力になる。今しないといけないこと、それも自分が信じることを一所懸命する。 多少は漏れる。たまに忘れてしまう。人間は誰しもあることだ。 あっ忘れてしまった、と気づくことで軌道修正して

考える→行動する→アイデアが出る

最近、考えていること。 うまく書けない。それは、おそらく書こうとしていることが、ちゃんと頭の中に詰まっていないから。詰まってそれからガンガン必死に入れたして、溢れてきたもので書くことができる。源泉掛け流しで、湯船に満杯入る、掛け流しだから、あとは浴槽から溢れ出す。洗い場に湯がこぼれて絵になる。 なんでもかんでも詰めたらいいものではないが、詰める材料が整理できるぐらいには詰めないといけない。いつもやっている仕事やご飯を作る時は、その作業、内容、次のステップ、もう頭の中に絵が描

はたらく。

今はもうサラリーマンではありませんが、サラリーマンはとても好きな仕事形態です。大企業に勤めればなおさら面白いと思うのです。 ものは、やりようです。 そこにいるからこそ可能なことを楽しみます。会社の看板があるからできることも多いです。多くのお金や物をリスクなく、業務として動かすことができます。 嫌なことも沢山あります。辛いことも沢山あります。しんどいことも沢山あります。サラリーマンも楽な稼業とは言えません。 とは言え、自営やフリーランスで働いていると、体や頭が資本です。

やってみることが目標。

年末が近づいています。来年を迎えるにあったって、計を立てています。今年の計はなんだったけと、もう一年も経つと忘れてしまっています。昨日の晩御飯に何食べたかも忘れるぐらいですから、勘弁してください。 自分で立てた計を忘れるのなら、許されるかもしれません。 約束となると少し事情が違います。 他人との約束を忘れてしまうと、これは許されないことになります。約束は守るべきだと、特にビジネスではそう叩き込まれました。 いつまでにどれくらいの結果が必要なのかを常に忘れずに実行し、成果

心配ごと。

心配心はどこから来ているのだろうか。ずっと考えていた。 対象は人である。ものに対して心配することもあるけれど、ここでは人への心配心のことを言っている。 対象が未成年であったり、老人であったり、自分では対処できないことが多い人たちへは、心配もする。赤ちゃんならとても心配し、不安に思い、どうしてあげたらと悩むものだ。痴呆を持つ老人の心配もそれは気が気でないだろう。一人でできないことのある人への心配は、思いやりからくるものだと思う。ほんとうに大事に至らなければと心を配る。これら

捨てる神あれば拾う神あり。

しばらくゆっくり休みたい時がある。どこか遠くへ行って、ぼーっとしたい時がある。実際、そうなってみたら2日も続かないだろうとぼくは思うだろう。過去に一ヶ月半ぐらい入院した時は、とりあえず動きたい、とりあえず何かをしたいと思う日が続いたことを思い出す。 現状に、夢も希望も失いかけた時、人はそこから逃れようとする。 けれど、逃れたところでも同じように夢も希望も失いかけ、結局逃げることを繰り返す。 逃げる人生は案外しんどいのだ。 人によっては、あの世に逃げる人もいるけれど、あ

芸術と食欲の秋、大阪と京都でぶらぶらして来た。

10月13日土曜日は。 大阪と京都をぶらぶらとしてまいりました。たまにぶらぶら散歩をし、カフェやショッピングを楽しみます。息抜きとビジネスの参考と健康を兼ねた一日の過ごし方です。 ↑大阪の梅田。 梅田に出るのも久しぶりで、リニューアル後の阪神百貨店に行ったのですが今回が初めて。そんな田舎者です。 阪神百貨店では good coffee fest @ hanshin という催事に立ち寄って来ました。10月15日までです。日本各地の有名なコーヒー豆専門店が集まっていました

ないものを欲しがるよりも。

ないものを欲しがるのが人の常です。 手に入れた瞬間から、あるものは「当たり前」という入れ物に入ります。 あれだけ、欲しがっていたのに、もう気にしないぐらい当たり前になって、感謝を忘れてしまいます。 略奪もまた、奪った時からもうそれは自分の箱に収められて、それで終わります。 自分にないものを欲しがる気持ちはわかりますが、今までなかったのですから、特別に手に入れる必要はないはずです。 それよりも、すでにあるものに感謝して大事にすることの方が、結果的に手に入れることができ