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Vol. 7 ▶︎『1時間だけゲストハウスに滞在してみた』

50カ国の旅を経て
自らの手で1から建設を行った
濃い物語のあるゲストハウス

【Guesthouse & Kitchen Hace】
⚫︎福島県/湯本町

×三上健士さん
⚫︎ Guesthouse & Kitchen Hace代表  

大学を卒業後、約8年間会社員として働く。その後脱サラを決意し、約1年半バックパッカーで世界50ヵ国を巡る中で、ゲストハウス経営への思いが生まれる。帰国して開業資金を貯め、未経験ながらほぼ1人で建物の改装を手掛けた。その後Guesthouse & Kitchen Haceが開業することになる。

そんなゲストハウスの経営を行っている宿主、三上さんのstoryやexperienceを紐解く…

「おじゃまします」

interview

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学生時代何をしていましたか?
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 私は埼玉にある高校に通っていました。 そこでは普通科じゃなく外国語科に籍を置き、第二外国語としてドイツ語を学ぶ機会にも恵まれました。その授業をきっかけにドイツに興味持ち、大学ではドイツにも留学をしました。
 帰国後はドイツ留学でお世話になった教授がドイツのテレビ局(日本でいうNHK)の元プロデューサーだったこともあり、映像メディアに関するゼミに所属していました。そこではドキュメンタリー映像の制作などをしていました。
 またアーチェリー部(体育会)にも所属していて、3年生時には主将も務めていました。そのため学生生活は9割が部活、1割がバイトみたいな感じで、ゼミ以外の授業で勉強した記憶はほぼありません。4年生になり就活が始まり、テレビ局や商社を中心に応募して、最終的にご縁があった食品系の商社で、社会人生活がスタートしました。


きっかけは震災からだった━━━━━━━。

 そこから社会人としての会社員生活を送ることとなりました。しかし8年後の3月11日に、東日本大震災が起きました。当時は東京に住んでいましたが、地震があった日はたまたま大阪へ出張に行ってました。
 東京の都市機能が麻痺したため新幹線は止まり、大阪にもう一泊することが余儀なくされました。大阪のホテルに着き、テレビを付けたら仙台空港が波にのまれている映像を目の当たりにしました。当時勤めていた会社の物流倉庫が仙台空港の横にありました。次の日運転再開した新幹線で帰宅すると、部屋はぐちゃぐちゃになってました。とりあえず会社に出社すると、仙台の倉庫の状況を見に行く必要があり、行ってくれる有志を募集するという話になりました。当時私は30歳で、同期や周りの人たちはほぼ結婚していて、家庭を持っている人たちばかりだったので、「じゃあ私が行ってくるか」という流れになりました。 
 震災直後は福島第一原発のメルトダウンがおきており、放射能の影響も未知数で、流石にその時は親にも東北に行くとは言えませんでした。実際に現地の倉庫に行くと、当たり前の様に全て流されていました。仕事での知り合いや取引先の方も被災してました。またそれとちょうど同じくらいの時期に父親のガンが見つかりました。幸い手術が成功し、その時は命に別状はありませんでしたが、そういうことが重なって、いつか世界中を巡りたいと思っていても、その「いつか」は自分には来ないかもしれないという思いがつのりました。

そして旅に出る━━━━━━━。

 色々考えた末、経済的にも体力的にも余裕のある、今が1番いいのではないのかなと思い、会社を辞めて海外を放浪することを決めました。旅の資金には限りがあるため、現地で泊まるところは主にゲストハウスでした。ゲストハウスに行けば、色々な人と交流し情報交換ができるし、これから行く場所が安全かどうか分からない場合も、ゲストハウスで知り合った方と一緒により安全に目的地に行くこともできました。
 当時そこまでネットが発達していなかったので、旅の情報源は『地球の歩き方』がスタンダードでした。一方で地球の歩き方には載っていないルートや観光地、例えば「ここのエリアから実はバスが出ているよ」「この場所は実は穴場の観光地だ」などの情報をゲストハウスに泊まることによって得ることができました。ゲストハウスのおかげで旅がより魅力的なものになりました。そのような経験を通して、将来はそういった出会いを提供する場所を運営する側にまわりたい、すなわちゲストハウスを経営したいなと旅の中で思うようになりました。

帰国することに━━━━━━━。

 放浪の旅は社会人生活で貯めていたお金が無くなり帰国することになりました。お金があれば永遠に旅を続けてたと思います(笑) そういう状況でしたので、資金面がネックですぐにはゲストハウスを始めることはできなかったので、とりあえず開業資金を貯めるため、また会社勤めを始めました。

いわきとの出会い、
そしてゲストハウスの開業を決意━━━━━━━。

 就職した会社は転勤が多く、東京、長野など年に一回のペースで引っ越しをしていました。最終的にいわきに転勤となり、そこで今の妻と出会いました。妻には結婚前から「今の会社は多分長く続けないと思う。いずれはゲストハウスを経営したいから」と伝えていました。
 元々は南の島とかでゲストハウスをやりたかったのですが、いざ私が会社を辞めてゲストハウスを始める段階になって「2人とも無職になって全く知らない土地に行くのは嫌だ」と妻に言われてしまい、妻の実家があるいわきでやろうと決めました。

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どうしてゲストハウスの建物を自らの手で、かつ1から作ろうと思ったのですか?
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 私自身、これまで200件以上のゲストハウスに泊まりました。旅の途中からは開業したいなという思いもあったので、その宿の悪いところがあれば「自分だったらこうする」と考えたり、良いところは写真を撮って記録しておくなどしてました。そこからこうしたい、ああしたいという思いが出来上がり、それを既存の物件に当てはめてやるってなった時に、色々限られそうだなと感じていました。
 今のこの物件は、もともとタクシー会社の事務所で一階が車庫で二階がドライバーの仮眠所でした。建物自体がボロかった事もあって、大家さんには「もう好きにやっていいよ、建物自体を壊したとしても現状復帰はしなくていいから」と言われました。そこでじゃあ自分のやりたいようにやれるなと思い、ここを借りることに決めました。
自分の手で作ろうと思った理由としては、普通に業者に頼んだらえらいお金かかるよなと思ったのと、自分でやる方がおもろそうだなと思ったからです。また、ここを1人でDIYで改装したら話題になるんじゃないかという事も考えていました。

⚫︎当初の建物
(Hace公式Instagramより)
▶︎@gh_k_hace


━━━━━みかみさんが作業している写真や動画をみると、前職が土木の方なのかな。って思ってたんですけど、先程の話で元商社マンだと分かってビックリしました。笑
どこで建築の技術を習得したのですか?

そうです(笑) ずーっとデスクワークの仕事をしてました。技術は7.8割くらいはYouTubeからですね。あとの2割はいわきで開講していたDIY教室からですね。そこではインパクトドライバーの持ち方をはじめとした基本的な道具の使い方や工具の揃え方を教えてもらいました。またそこで勉強してどんな工具が必要なのかも知り、工具を揃えたあとは、ずっとYouTubeでその工具の使い方(基本的なことから応用的なことまで)を勉強しました。

⚫︎完成後の内装

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作業していく中で印象的だったことはありますか?
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一番最初に苦労したことは、窓枠ですね。元々の建物に使われてたガラスが気に入ったのですが、肝心な窓枠が腐っていました。そのままじゃ使えないから、腐った窓枠からガラスだけ外して新たに窓枠を作り直さなきゃいけなくなりました。だけど昔のガラスは厚さがたったの2mmしかなくて、断熱性能が凄く低いんです。なので5mmのガラスを買ってきて、なんちゃって二重ガラスを作ったんですよ。最初は結構簡単に考えてて、木を切って溝掘ってそこにガラスの板をはめればいいじゃんくらいに思っていたんですけど、それがなかなかうまくいかなくて(笑) 一日一個しか作れない日もありましたからね。

お金を借りるにあたってどれだけ貯めたかと年齢がめちゃくちゃ大事━━━━━━━。

 私が40歳までに開業したいと思ったのは、それを過ぎるとお金が借りづらくなるんですよ。30代であれば社会人としての経験もある一方で、まだ若手の部類なので、貸す側も未来への投資として貸し易いみたいです。
 借りる際に重要なことは二つで、一つはお金をどれだけ貯めたか。貯めているっていうのはその事業に対してどれだけ本気なのかが分かります。もう一つは年齢。その事業を長い間続けることができるとなると若い方が印象としては良いのです。なので若いうちにたくさんお金を貯めておけば、その分借りやすくなる訳ですよ。ただし、これは今まではの話です。これからはクラファンなど別の選択肢も視野に入れたほうが良いと思います。

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今後新たにやっていきたいことはありますか?
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 何個かあるんですけど、直近で考えていたのは、ローカルツーリズムっていうものです。海外のゲストハウスにいくと、ゲストハウス自体がツーリズムオフィスになっていて、1dayツアーをやっているところが結構あるんですよ。日本ってもう最初から目的地何箇所か決めて、ここ回ってここ回って終わりみたいなケースが多いじゃないですか。けどそうじゃなくて、今後の旅行スタイルは行く地域と泊まる場所だけ決めて現地入りし「今日一日どうしようかな〜」みたいなスタイルが主流になってくると思います。そんな時に、街を知る人が現地を案内できるような仕組みを作りたい。いわば地域限定の旅行会社みたいなことをやりたいんですよ。

▶︎ローカルと外の人を繋げる場所を。

 いわきは数ある地方都市の一つで、ここ湯本温泉も衰退が始まっているエリアになります。私もそうですがよそ者から見た時には魅力的だと感じても、本人(現地の方)たちにとっては普通だったり日常の一つだと感じているケースが多いです。そんな人達に自分たちの土地の価値を伝え、外から来た観光客に対してもその魅力を案内できたらいいなと思います。要するに外から来た人と、地域の人を繋げる仕組みを作りたいなと思っています。

▶︎県内のゲストハウスとのネットワークを繋げる

 福島県内に滝桜っていう桜の名所があるんですけど、それっていわき市と福島市の境にあるんですよ。そこで、うちのゲストハウスに泊まったお客さんと1dayツアーで滝桜を観に行って、福島市にも知り合いがゲストハウス作っているんですけど、そこのゲストハウスも同じ日に滝桜をゲストさんを連れて観に行くと。それで現地でがっちゃんこになって交流します。帰りはうちに泊まったゲストさんはそのままいわきに戻ってもいいし、戻らず福島市の方へ行ってもいいと。要するにただ目的地に行って終わりではなくて、行くことで更に新たな目的地に行くことができるような仕組みです。バケツリレーじゃないけど、ゲストハウスのネットワークを通してお客さんを色んな場所に連れて行って、繋げてあげたら面白いんじゃないかなと思います。
 それらを実現するために、旅行業管理者の資格は取得したので、一応旅行会社の立ち上げはできるような状態にはあるんですけど、まずはゲストハウスを立ち上げないといけないんでね(笑)

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今後ゲストハウス開業に向けて動いていく僕に一言アドバイスいただけたら嬉しいです…!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 色々伝えたいんだけど、まず1つはあんまり人脈とか人間関係を無理に作る必要はないんじゃないかなと思うんだよね。多分「こういうことをやりたいんだ!」っていうことを思って自分がやれば、そこに勝手に人が集まってくると思うんだよね。それがもし魅力的なことだったらね。
 あとは少しベタな言い方だけど、本人が思っている以上に若いっていうことを魅力的だと思っている大人って物凄く多いから。とにかく若さっていうのは物凄い価値なんですよ。私ももう40なので普通におじさんなんだけども、それでも日本の経済回してるのって、50.60代だからそういう人たちから見ると私はまだ若い人間なんだよね。「若い人がこの土地で頑張っている」と言う理由で、私に対して良くしてくださる方もいるしね。だから20代なんていったら尚のことだと思うよ。20代だから許されることなんてものすごーーくあるから、それをある意味武器にして色々やってみるといいと思いますよ。だから一番良くないのは遠い将来のことばかり考えて、「じゃあやめよう」ってことかな。正直こんなコロナの状況だから明日のことも一年後のことも分からないのだから、その時やりたいって思うんだったらやった方がいいよ。
 あとはお金の心配はしなくていいと思うんだよね。若い人にお金を出したいと思ってる大人は意外と多いからね。そういう人たちにお金を出したいって思わせるような何かを見つけることの方が、お金を貯めることよりも効率がいいと思う。要するに資金調達って意味では、自分で稼いでお金を貯めるよりも、投資してくれる人を見つけることの方が効率はいいと思う。それをどうするか。それは投資をしてくれそうな人のところに言って、直接アプローチすることが大事だと思う。こんだけSNSが発達している世の中だと発信していること自体が普通だから、よっぽど興味がないと見られないんだよね。だから一本釣りじゃないけど、一人一人にアプローチしてくことの方が発信するよりも効率は良いと思うな。
 最後にもう一つ(笑) いまやりたいこと、その気持ちは本当だと思うけど、それに縛られすぎない方がいいと思うよ。初志貫徹ってカッコいいようだけど、別に変わったら変わったでいいし、ブレたらブレたでいいと思うから。なにも過去の自分に縛られる必要はない訳だからね。世の中が変わるんだから、自分の考え方も変わって当然だからね。ひょっとしたらゲストハウスよりももっと魅力的な宿泊施設とかがこれから出てくるかもしれないし。だから定期的に自問自答してって方がいいかもしれないね。
とにかく応援してますよ‼︎



以上でインタビューの内容は終わりです。
三上さん、貴重なお時間とお話をありがとうございました^ ^👍

このあとも引き続きお付き合いください…✨

column

⚫︎もし僕が「Guesthouse & Kitchen Hace」に滞在するなら…

15:00 【白水阿弥陀堂】で歴史を感じる

▶︎平安時代からある国宝です。

(Instagram: @infoiwakiより)

16:00【温菓子屋】でメロンパンを頬張る

▶︎パン職人が作ったメロンパンは絶品だそうです

(Instagram: @manamin.golf1981より)

17:00 【Guesthouse & Kitchen Hace】にチェックイン^ ^👍

17:15 【湯本町の温泉街】を散策してみる

18:15 【さはこの湯】に浸かる

▶︎ゲストハウスから徒歩1分です

(Instagram: @yves_saint_laurent5より)

19:30【Guesthouse & Kitchen Hace】でディナー

▶︎地元の食材を楽しみながら、ローカルの方とも交流できます💫


22:00 
部屋に戻り、1日を振り返る

▶︎僕は必ずその地域のポストカードを購入して、そのポストカードの裏に今日の出来事やその地に触れてみて感じたことを書いています


もちろんお部屋も全て1から三上さんが作っています。素敵ですよね…!僕も生でみてみたいです✨

23:00 就寝

5:30 【波立海岸】で日の出をみる

▶︎美しい日の出で有名らしいです

(Instagram: @photo_booooyより)

新たな旅路へ。

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⚫︎ハラちゃんのメモ帳
 この1時間の中で、みかみさんがゲストハウスを開業するまでのストーリー、その後のビジョン、そして僕への有り難すぎるアドバイスと…。とにかくみかみさんの人生そのものがとても濃く、素敵で、考え方なんて僕にはないものだらけでした。要するに沢山たくさん勉強させていただきました。 
 1時間という限られた中で、みなみさんのこと、 Haceのことを沢山知ることができました。ありがとうございました。また今度泊まらせていただいた時に、宿内でゆっくりお話しさせていただきたいなと思いました^ ^👍
 そんな充実した時間の中で気付かされたことは、若さの価値の高さです。またみかみさんが「40なので普通におじさんなんだけども、それでも日本の経済回してるのって、50.60代だからそういう人たちから見ると私はまだ若い人間なんだよね」と仰ってるのが凄く印象的で、そういう意識持ちは僕が40代になっても持ち続けたい、持ち続けることによって色んなビジョンが見えたり、アクションが起こせるのかなと思いました。またインタビュー前の心境としては、「もう大学4年で就職か…。もっとこうしとけば良かった。もう一回学生時代やり直したいな」とほとんど後悔ばっかでした。しかしみかみさんと話していくうちに、「さあここからスタートラインだ」という気持ちにさせられました。今後20代のライフが凄く楽しみになりました。それを生かすも殺すも自分次第なんだけど。
 このようなゲストハウスから大きく人生のことまでお話しいただいて、まず楽しかったのと、凄くモチベーションアップにも繋がりました。
今回はこのような素敵な話をしてくださった三上さんにはとても感謝しています。そして1時間という限られた時間、ゲストハウスに招き入れていただき本当にありがとうございました!

「おじゃましました」



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