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うたうおばけを読んだ

久しぶりに1人で本屋さんに行った。
小さい頃からずっと本が大好き。本にかかるお金は出費じゃないというほど、値段も見ないで何冊も買うのが通例だった。
本を買いに行く時は大抵決まった目的があるわけではなく、いつもとても長い時間をかけてハードカバーから文庫の棚を隅から隅まで見て「これ」となったものを数冊手に持ってからレジに行くので、1人でないと行けない。
本を読まない夫と付き合って、子らが産まれて、1人で本屋に行くことは殆どなくなった。
たまに家族で本屋に行っても見る棚はアンパンマンのところか、絵本棚か、漫画の新刊棚ぐらいな生活を何年もしている。

最近娘が保育園に行き始めたので、たまに1人時間が出来る。夫が出勤の日など。
今日がその日で、久々に本屋さんでゆっくり本を選んできた。

そうして買った本のひとつが「うたうおばけ/くどうれいん」

隣に「虎のたましい人魚の涙/くどうれいん」も並んでいて、どっちを買おうか悩んだけど、先に刊行された方を買った。
著者の本を読むのは初めてだったけど、題名がかわいくて、カバーがかわいくて、詩人でもあるようだったので、たぶん好きだろうなと思い購入。
子らがいないお昼すぎから読み始め、さっき読み終わった。

東北出身で、雪の味の話とか、おばあちゃんの話とか、なんというか同じ空気感のところに暮らしていた人の話を聞いているみたいに懐かしく読んだ。
匂いとか、冷たい空気とか、独特な友達とか、そんなものたちが私の近くにもあったということを思い出した。

おばあちゃんの話を読んでいて、私にも死んだおばあちゃんと死んでないおばあちゃんがいるのだけど、今すぐ死んでないおばあちゃんに会いたくなったし死んだおばあちゃんは本当に死んだのかな?という気持ちになった。
地元に長く帰っていないと、親戚や近所の人が亡くなっても私の記憶の中では生きている。街並みが変わっても私の記憶の中では小さい頃のまま。
なんかそういう、地元の景色って記憶の中だけに残っているものなのか現実なのかわからない靄がかかったものになりつつある。
現実の私の状況と、記憶から想像している地元の景色とが混ざり合って、れいんさんを取り巻く人々に会ったことがあるような妙に懐かしいへんな感覚になりながら一気読みした。

これまで出会ってきたともだちみんなにも会いたくなった。今後の人生で、二度と会わない人もいるだろうと悲しくなるともだちたち。
いま、嫁いできたこの土地には友達なんてひとりもいない。地元は閉鎖的で昔ながらの価値観が窮屈だけど、それでもあたたかくて勝手がわかっていてともだちがいる。そんな孤独でばかみたいに泣き叫ぶことが2年に1回ぐらいあるのだけど、その孤独がどうしようもなく刺激された。

いつからか、詩人の書くエッセイばかりを読んでいる。
世界の解像度が高くて、内に向く視線が鋭くて、言葉がきれいでむきだし。

たぶん、虎の方もそのうち買うと思う。早ければ明日。明日も夫が出勤予定のため。

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