見出し画像

出産の時に思い出す記憶のこと

お腹が大きくなり、物理的にも精神的にもかなり重いです。
ある程度歩くとすぐお腹が張ってしまい、休めるところがないと冷や汗が出てきてしんどくなってきて、臨月にも入っていないのにこんな感じか…と思いながら過ごしています。
お腹が破裂しそうに大きいのに、上2人の臨月の写真を見るとやっぱりお腹、今より大きいんですよね。
来月を思うと恐ろしいです。

娘の時は立ち会いの夫が動画を撮っていてくれて、この前久しぶりにその時の動画を見ました。

安産で、時間も短く、息子の時と比べて私も夫も「なんかしれっと生まれたよね」という印象だったのですが、いやいやしっかり痛そうやないかいと。
3いきみぐらいで出てきた記憶があったけど、全然3回どころじゃなかったし。
最後あと一歩というところで力が入らなくなって心折れそうになっていたし。

つまり、経産婦3人目といえどツルッと生まれてくるとは限らないなと思っていまさら出産にビビっています。
でも、陣痛始まってしまったら産むまで痛いわけで、産むしかないんですけどね。

始まってしまったら自分で終わるまでなんとかするしかないというのは、小学生の頃にスキー授業でなぜか上級レベルのグループになってしまい、やたら高くて急なコースまでリフトで登ってしまった時の絶望を思い出します。

雪国は冬、体育のスキーのほかにバスで一日雪山に行ってスキーを滑りまくり、カレーを食ってココアかコンポタを飲んで午後滑って帰ってくるという日があります。

そこでとんでもない角度のコースに行ってしまい、「こんなとこ滑れないよ…怖いよ…」といくら言っても、じゃあ山の上に1人でいるか?と言われるとその方が無理で、自分で滑り降りるしかないんですよね。
麓の小屋に電話してスノーモービルで助けに来てもらってくれー!と先生に懇願しても取り合ってもらえないあの感じ。
先生というのも学校の先生ではなく、スキーの上手な誰かのお父さんとかで、田舎の運動神経のいい父ちゃんは軒並み粗暴かつ楽天家なので、「だーいじょうぶ大丈夫!!ついてこい!!」としか言わなくなって結局滑らされるのです。

出産に際して毎回このスキー教室の絶望を思い出すわけですが、どちらも一度体験すると「いや…なんだかんだ乗り越えられたんだしもう一回やってみてもいい…かな…?」となるところが思考のバグなのかもしれません。
今年もまた、真夏の病院で朦朧としながら白銀の世界に思いを馳せる意味わからん時間を過ごすことになるんだろうな。と思うと、バカバカしくて笑えてきます。

この記事が参加している募集

育児日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?