歴史が食べ散らかしてきたこと

今おいしいなあと頬張ったその料理、いつ、どのようにしてできたのか気になったことはありませんか? 

もし馴染みの老舗料理店があったら、ご主人に一度こう訊ねてみてほしい。

「創業当時のお写真とかって保管していますか?」

答えのいくつかは、空襲や震災などのせいで失われてしまったというものだろう。そしてまたいくつかはこうだ。

「そんなんありませんわ。初めたばかりの頃はこれほど長く店が続く思ってませんでしたし、もう毎日の仕事に必死で、写真撮る余裕なんかあらしまへんでしたさかいに(なぜか京都弁)」

過去のある時点で起こったできごとが、後の世にどれだけの影響を及ぼすのか、我々はその何かが起きた時点では、残念ながらその価値や重要性をまだ十分に理解していないし、また理解のしようもない。ただそれは日常の取るに足らない通過点のひとつに過ぎず、深く顧みられることもなく、誰も記録に残そうとしないまま消え去ってしまう。

食べ物・料理の歴史ではそういうことがしばしば起こる。すなわち、現在どれだけ熱い支持を受けている人気メニューであっても、いちばん最初にその料理を食べたのはいつどこの誰か、そしてなぜそんな料理が生まれたのかという記録が残っていないという問題にかなりの頻度で直面するのだ。

僕は(私は、あるいはオレは)仕事上ちょっと必要ということもあって、これまでにいくつかの料理のルーツを調べたことがある。その対象はまだ数えるほどでしかないし、調査の精度は全然素人の域を出ないが、それでも巷間に流布している「あの料理のルーツはこれ! 広めたのはこの人!」というまことしやかな説のいくつかは、全く根拠のないものだということがわかってきた。

人々はどうやら曖昧な真相よりも、キャッチーな定説を好んで広めたがるらしい。そしてその説の真偽について自ら掘り下げようとはしない。きっと他にもっと時間を割くべき大事なことが誰にでもあって、土用の丑にうなぎを食べる習慣を広めたのがほんとうは誰なのか、なんてことにいちいちかかずりあっている暇はないのだ。

けれども僕はあいにくかなりの物好きで、ヒマを持て余していることもあって、他の人よりは少しばかり多くの労力を費やして、ことの真偽に出来るだけ迫ろうとしてきた部分がある。中年期のささやかなライフワークとでも位置付けられるだろうか。

もちろん、今出回っている「この食べ物のルーツ、発祥はコレ!」という説が全く根拠のないものだとわかったからといって、じゃあ真相はどうなのか、ということにまではたどり着いていない対象も多い。結局のところ冒頭に書いたように、決定的な証拠や文献が見つからないことが大半だからだ。むしろそんなケースがほとんどだと言える。

それでも、皆が事実無根のデマをずっと無邪気に信じていることがどうにも気に入らなくて、調べてわかったことを、誰か一人でも多くの人の目にふれるように書きとめておこうと思ったしだいだ。

なかには間違ったことを書いているかも知れない。その場合はご指摘ください。誰かの役に立てれば、いや、役に立てなくても、ちょっとしたヒマつぶしになれば幸いです。

2020年四月某日追記:最近はいろいろあって図書館にも行けないし、なかなか料理ルーツ研究は頓挫しています。日々のこれ食べた雑記みたいになっているかも。

今この世界が抱えている問題のほうがとてつもなく大きいので、できることはわずかだけど、ネットの片隅からしょうもないことを書き散らして、少しでも皆さんの気持ちが紛れるよう努めていきたいと思っています。


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