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ふつうの呪い

「ふつう分かるでしょ?」
「ふつうならこうするよ」
「え、そんなのふつうじゃん」
「どうしてふつうにできないの?!」



幼い頃の、手繰りに手繰り寄せて何とか思い出せるくらいには残っている記憶たち。それらにはいつだって上記のような言葉が付き纏っていた。
普通が何か答えが明確に提示されないまま、ただひたすらその場の空気を読み己を押し殺していた学生時代。思えばあれは空気を読んでいた訳じゃなかった。未だにあの時どうすれば良かったかなんて分からないのだから。ただ、「ふつうじゃない」と言われることに怯えてそれこそ空気のように漂っていただけだった。



自分が"ふつう"ではないと判断されることになぜ怯えていたのか。
答えは単純明快。嫌われたくないからだ。
学生時代、特に女の子のグループは私にとってかなり厳しいものだった。グループの中心人物の機嫌を損ねた途端全員から無視されるくらいには。いないものとして扱われ追いやられ、教師が異変に気づいた途端ベタベタとわざとらしく「仲良しごっこ」をする。
吐き気を催すほど苦痛だった。
しかしそれが全てだった。特に中学校までは、習い事をするにしても近所の奥様が趣味でやるピアノ教室くらいで、別のコミュニティを作ろうにも学校と同じような顔ぶれ。見えている世界が狭すぎた。
必死になって分かりもしないその場の空気を読もうとする様は滑稽だったろう。



成長するにつれある程度の空気は読めているような気がするものの、正解を提示されない不安にいつだって押しつぶされそうだ。
こんな複雑な感情を抱えた人間ではなく、野に生きる獣として生を受けていた方が私は幸せだったのかもしれない。弱い者として食い荒らされるだけで良かったのかもしれない。そこに余計な感情なんて存在せず、生きるか死ぬか、それだけだ。
何の悪戯か人間に産まれた私は、あの時の正解を今もなお求め続けてしまっている。
過去の私が抱いた底なしの絶望は大人になってしまった私では掬えないほど奥の奥でヘドロと化し、今もなお悪臭を放っているのだ。そしてそれが本当の自分であることを知っている。
私がこうして長々と駄文を連ねるのは、臭いものに蓋をするかのごとく惨めに悪臭を放つ自分を守るためだ。寂しくて泣いていた私自身を掬い上げることすらできず、枯れ果てた涙の代わりに言葉を流している。



これが私の「普通」。
だけど誰かにとっては「不通」でしかない。
ハリボテの壁をぶち破り「開通」させた先に互いの「普通」が見えてくる。
ぶち破る度胸も無いくせに、己の「ふつう」を一方的に投げつけたって、虚しく転がるだけで誰にも届かないのを、私は知っている。



今回の記事はいやに感傷的になってしまった。それもこれも全て天気のせいにして、今夜は眠りにつく。



己を縛り付けるふつうの呪い。
偉そうに綴ったとて、解呪できないのにね。

窓を打つ雨音が、今日だけはやけに悲しく響いた。


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