見出し画像

映画研究会デ・ニーロ

◆これまで
 浪人生活にほとほと嫌気がさした僕は予備校の悪友とともに、夏期講習をサボって九州一周の自転車旅に。
 最終的に船で奄美大島まで行って、夏休みを満喫した僕たちは再び勉強漬けの生活に戻ります。
 その後もあまり勉強は進みませんでしたが、抜け道的方法で何とか大学合格を手にし、浪人生活を抜け出すことができたのでした。

 上京した僕は、中央線の三鷹駅から歩いて30分程の所にある、四畳半ワンルームの安アパートを借りて一人暮らしを始めました。
 大都会東京をイメージしていたわりに、アパートの周りには緑が多く、家の正面も畑がたくさん残っている所でした。

 3月のうちに引っ越しを済ませ、新生活の準備をなんのかのとしているうちに4月になり、大学生活がスタートしました。
 入学式は特に感慨もなく終わりましたが、隣に座っていた同じ新入生とどこから来たとか、必修の授業は落としたらヤバいとか教えてもらったりしているうちに、大学のサークルの新歓イベントを一緒に回ろうという話になりました。
 この入学式で出会った男は、千葉出身の酒井という名前で、この後長い付き合いになります。

 大学には、体育会系のガチンコの部活から同好会、文化系のサークルなどが数百はあって、それらが4月になると構内でブースを出して新入生に募集をかけているのです。
 僕の入った大学は、とにかく学生数が多いところで、僕の入った商学部だけで新入生が1000人以上もいるくらいでしたから、サークルの数も把握しきれないくらいあったのでした。

 酒井とサークルのブースで説明を聞いたりしながら校内を巡りました。
 僕は将棋部と探検部、あと合気道部が気になって説明を聞きました。合気道は別に興味があったわけではなかったのですが、明るい茶色のボブですごく可愛いい先輩から「ちょっといい?」と声をかけられて、フラフラとついていってしまったのでした。結局1ヶ月ほど体験入部までしましたが、けっこうストイックな部活だと分かって入るのをやめてしまいました。
 探検部は説明を聞いた後、酒井から「あそこはヤバいから絶対やめたほうがいいよ。」と忠告を受けたので結局新歓コンパにも参加しませんでした。酒井は大学の情報をいろいろと事前に調べていたようで、なんのかのと僕に教えてくれるのでした。
 そして酒井はけっこうな映画好きのようで、どこか映画サークルを探しているのだと話しました。
 数百もサークルのある大学ですから、映画関連のサークルでも5、6こあって、自分達で映画を撮るようなサークル、鑑賞会など皆で見て楽しもうというサークル、映画サークルの名を冠しただけの飲み会サークルなど様々です。
 僕らはそれらのサークルを一つ一つ巡って説明を聞いていき、やがて一つのサークルの新歓コンパに参加してみようということになりました。名前を『映画研究会デ・ニーロ』といいました。

 夕方になって校内のサークル棟にあるデ・ニーロの部室に行ってみると、中では14、5人がガヤガヤと話をしていました。
 僕らが入って挨拶すると、綺麗な女の先輩がでてきて僕らを中に案内してくれました。そのままサークルの説明を聞いたり、どんな映画が好きかなど話をしているうちにやがて新歓コンパの時間になったようで、

「もうすぐ時間だからみんなぼちぼち行こうかー。部長達は先に行ってるからー。」

 と言ってみんなで部室をあとにしました。
 新歓コンパは大学の近くのお好み焼き屋さんでやるそうで、ゾロゾロと歩いて向かいました。
 僕らがそのお好み焼き屋さんに到着すると、店の前に異様な風体の二人組が立ちはだかっていました。
 まさにチンピラを絵にしたような男達で、一人は大柄で肩幅が異様に広く、高い鼻に細い目と眉毛、おでこが広くて黒い髪をオールバックにして黒いスーツに黒いシャツを着ていました。
 もう一人も長身でしたが、ガリガリで頬がこけて顔色が悪く、ブカブカのスーツに、赤い柄もののシャツを着ていました。眼鏡をつけていましたが、あっていないのか下にズレた鼻めがねでこちらを見下ろしていました。

「おう、おつかれ。」

 ガリガリ鼻めがねの方が手を上げて、先頭を行くさっきの女の先輩に声をかけました。
 この男こそが『映画研究会デ・ニーロ』の部長で名前を国木田といいました。大学は3年目らしいのですが、2回留年しているそうで、「お前らとおんなじ1年だ。よろしくな。」と言って肩を組まれました。
 隣にいたオールバックの大男はサークルの幹事長で佐伯といいました。国木田とは中学・高校が一緒の幼馴染で、同じく大学3年目の1年生でした。
 もう一人、店の中で新歓コンパの準備をしている総務部長の松永という人がいるらしく、これら「部長」、「幹事長」、「総務部長」の3人をさしてデ・ニーロの【党三役】と呼ばれていました。
 大仰な役職名でしたが、その仕事内容は不明で、なぜなら僕らが卒業してもなお彼らは大学に居座っていたので、役職を受け継ぐことがなかったからです。

 異様な雰囲気の大男二人組を前にして、僕は横にいた酒井をつついて囁やきます。

「なあ、このサークルやばくないか?チンピラだぞあれ。」

「ああ、ヤバそうだったらすぐ逃げよう。」


 そうして始まった新歓コンパでしたが、僕らの心配とは裏腹に、『映画研究会デ・ニーロ』は意外とまともな文化サークルとして活動しているようで、月に一度大学のスクリーンのついている教室を借りて映画の鑑賞会をしたり、一年に一本くらい自主制作映画を作っているそうですが、全部自由参加でやりたい人だけやるというユルいスタイルなようでした。

 いかにもチンピラな部長の国木田と幹事長の佐伯でしたが、2人ともかなりの映画マニアで自宅には映画のVHSが1000本以上あると言っていました。
 好きな映画の話になり、何が好きかと聞かれたのでつい最近見た「フィフス・エレメント」が面白かったと話すと「あれ最高!」と言って盛り上がりました。
 国木田も佐伯も一番好きな映画は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんだと言っていて、僕や酒井に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」クイズを出してきて、これに答えられたら入部を認めよう、という話になりました。
 僕もバック・トゥ・ザ・フューチャーなんてたぶん30回以上は見ていたので、「やってやりますよ!」と意気込みましたが、これに苦戦をしいられることになります。

 1問目は、「マーティの父親と母親が参加していたパーティーの名前はなんでしょう?」でした。
 1問目からいきなりキツい問題でしたが、「たしか海のなんたらパーティーだったようなー。」と頭を絞っていると、酒井が「魅惑の深海パーティーだ。」と答えを導き出しました。

「ピンポーン。なかなかやるねえ。では2問目…。」

 そんな感じで僕たちは問題を進め、ついに最終問題に到達したのでした。

「では、最後の問題。デロリアンが時間移動するのに必要な電力は何ワットでしょう?」

何十回と見た映画でしたが、全く覚えていませんでした。たしか、原子炉で動いていて、ドクが何ワットで〜と早口でまくしたてていたのは覚えていたのですが数字は全然分かりませんでした。

「ざんね〜ん。正解は1.21ジゴワットでした〜。」

佐伯先輩は愉快そうに笑って言いました。

「でもまあ君たちは健闘した方だから、特別に入部を認めよう。」

 部長の国木田先輩はもったいぶって頷いていました。
 見た目の割に恐い人達ではなく、むしろ話していてとても楽しかったのと、ゆるい空気感が気に入ったので、僕も酒井もこのサークルに入部してみることにしました。

 党三役のもう一人、松永先輩は眼鏡をかけたちょっとぽっちゃり体型で、2人と違って普通の大学生みたいな服装で、新歓コンパの進行を仕切ったりテキパキと仕事をしていました。この人も国木田、佐伯と中高が一緒の幼馴染で、2留目の1年生でした。

 楽しい新歓コンパを終えて、面白そうなサークルにも入れたし、充実した大学生活をおくれそうだぞ、と期待に胸を膨らませていましたが、1月程が過ぎゴールデン・ウィークが終わる頃になると、この『映画研究会デ・ニーロ』の隠されていた面が顔を覗かせるようになります。

 まず1つ目は、部室がとんでもなく汚くなっていきました。デ・ニーロの部室は基本的に喫煙可で、いる人達がみんなタバコを吸っているので、部屋はいつもモクモクと灰色の煙で満たされていました。
 そして部室には小さな灰皿が一つしかなく、その灰皿は常にタバコの吸い殻と灰でいっぱいなので、灰皿からテーブルへ、テーブルから床へとこぼれていき、床はどこも灰だらけになっていました。
 掃除する人は誰かいないのかと思いましたがいないみたいで、少しでも綺麗にしようという心ある人は、このサークルを去る方が手っ取り早いという事実に気付いてしまうのです。
 新歓の時期だけなんとか取り繕って綺麗に見せていたというだけだったのでした。
 部室の奥の麻雀卓には、いつも三役の国木田、佐伯、松永が陣取っていて、麻雀をしたりポーカーをしていたりして、あまりいつもいるものだから、この人達はいつ授業に行っているんだろうと不思議でしたが、行っていないからこそ2留なんかもしているのでした。

 デ・ニーロの部室はそんな惨状で、そうなると当たり前ですが、女の子達からは敬遠されるようになります。
 何人かの非常に寛容な女の子を除いて、部室はいつの間にか男だらけの空間になっていたのでした。
 新歓の時にいた綺麗な先輩もほかの女の先輩数人も、部室を教科書や荷物を置きに来るだけの倉庫として見ていて、一言二言かわしただけで、さっさと薄汚い部室からは出ていってしまいます。

 バラ色とまではいかなくても、少しくらいは華やかな学生生活を思い浮かべていた僕は、いつの間にか灰色のタバコの煙に飲み込まれていたのでした。

 そんなデ・ニーロの部室によくいたのは三役の3人の他には、俳優志望で大学が終わった後に俳優スクールにも通っている高身長イケメンの高野さん、下ぶくれで歌舞伎役者みたいな顔をした童貞でカメラマンの倉橋さんなどがいました。
 そこに1年生の僕と酒井、それともう一人パソコンオタクの高木という男が加わっていました。高木はパソコンの事にはだいたい正通していて、編集作業に使えるに違いないからと部長の国木田によって半ば強引に入部させられたのでした。

 あとはたまに顔を出すメンバーは、授業と授業の間が空いていたり、授業が終わってバイトまでの時間を潰したりする時にやってくるくらいでした。

 部室の奥でタバコをくゆらせながら麻雀卓を囲んで、朝から全く授業に出る気配のない3人を不思議に思って、僕は思い切って一度聞いてみたことがありました。「2回もダブってるのに授業をサボっていて大丈夫なんですか?」と。
 国木田はズレた眼鏡を鼻に乗せて、僕を斜めに見上げながら言いました。

「分かってねえなお前は。」

 ふうーとため息とタバコの煙を同時に吐き出しながら牌をツモります。

「人には得意、不得意ってものがあるんだよ。勉強が得意な奴がいれば、運動が得意な奴もいる。苦手な奴もいる。俺達は単位をとるのが苦手なんだ。だから人よりも時間がかかっちまう。それだけよ。」

そう言って牌を切りました。僕は「ほえー」と聞いていました。

「でもそれは悪いことじゃない。みんながいっせいのーせでスタートしてもゴールする速さが一人一人違うのは当たり前だろ。それが俺の卒論のテーマなんだよ。」

 驚くべきことに、国木田という男は教育学部にいて、小学校の教員になろうとしているのでした。2留してまだ1年生なのに、卒論のテーマも決めているということです。
 他の2人もウンウン頷いていて、この人達はまだ当分卒業する気がないのだな、と僕はなんだか納得してしまったのでした。


 『映画研究会デ・ニーロ』には他にも不可解なことがあって、なぜか4年生が一人もいないのでした。
 昭和の時代から、陰ながら脈々と続いていたらしい伝統あるサークルだという割には、4年生が全然いなくて、3年生?も三役の3人しかいませんでした。
 ある時、僕がなんの気なしにふっと「ここって4年生いないんですね。」と疑問を口にすると、「ああ、あいつ等は追放した。」とサラッとした口調で幹事長の佐伯が告げました。細い目がギラッと光ったような気がしました。
 聞くと、4年生より上の世代は結構な映画オタク達で、最初は和気あいあいと映画談義をしたり、自主制作映画を撮ってたりしたらしいのですが、みんなオタクで童貞だったせいか、いつしかオタクサークルの姫みたいなブス(彼ら曰く)にしっちゃかめっちゃかにされた挙げ句、格好つけて芸術家ぶった映画を撮ったり煩くなったのでまとめて追放した、と言っていました。
 サークル追放というのがどうやって行われるのかは分かりませんが、チンピラみたいな風体のこの人達が凄んできたら、たしかに近ずかなくなるだろうな、と思いました。
 彼らはそれ以降、【党三役】を独占してサークルを欲しいままにしているようでした。
 追放された4年生達は、外でまた映画サークルを立ち上げて、部室の使用権の正当性を主張して対立していて、何だか南北朝時代みたいになっていました。そんな彼らを国木田達は「アーティスト集団」と呼んでバカにしているのでした。

 そんな『映画研究会デ・ニーロ』でしたが、目下進行している映画プロジェクトがあって、松永さんが脚本、国木田さんが監督をつとめるゾンビ映画を撮ろうとしているようでした。

「みんなきてくれ。」

 ある時、国木田さんはみんなを集めると、煙草の灰まみれのテーブルに一冊の脚本をバンっと置きました。
 松永さんが作った脚本は分厚い超大作で、表紙には「ゾンビ館の殺人」とタイトルがつけられていました。

「来年の東京学生映画祭に向けてこれを撮るぞ!全部の賞を総ナメしてやろうぜ!」

こうして僕らは「ゾンビ館の殺人」に全勢力を費やしていくことになったのです。


つづく

次回、「恐怖映画の撮影場所とは」!?


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?